立て続けに報告されたわが国での鍼灸事故4症例

建部陽嗣

 2020年11月から2021年3月にかけて、わが国から鍼灸の症例が英語で立て続けに4例報告された。この4症例はすべて、医師からの報告である。そして残念ながら、すべて事故症例である。そのうち2症例は、過去の鍼灸治療による障害、残りの2症例は鍼灸治療直後に生じた事故の報告である。症例①~③は、画像を無料で見ることができる。URLからぜひ見に行っていただきたい。

症例①89歳男性、けがで発覚した約50年前の埋没鍼

https://doi.org/10.1002/ams2.588

 大阪医科大学救急医学教室のOtaらによって「Discovery of decades-old acupuncture needle fragments during routine care for an arm injury(腕の怪我の日常的なケア中に数十年前の鍼治療の針の破片を発見)」と題して、埋没鍼症例が報告された[1]。

 89歳男性が家で転倒し、右肘からの出血により救急搬送された。緊急治療室に到着したときのバイタルサインは、ほぼ正常であった。右肘外側の擦過傷と右前腕橈骨側の裂傷が確認されたが、これらの創傷の周囲に異物はなかった。右腕のレントゲン写真を撮影してみると、右肘関節の周りに多数の放射線密度の高い異物が見つかった。これらの異物は当初、外傷による何か、異物による断片、もしくはX線フィルムの破片によるものと考えられた。しかし、患者に注意深く問診を行うと、約50年前に右腕の痛みとしびれに対して鍼治療を受けていたことが明らかとなった。

 レントゲン写真を見てみると、合谷や手三里の付近に、細い異物がいくつも映し出されていることがわかる。この症例では、鍼灸針は何年も無害であったので、処置はせず、そのままにされた。しかし、現在、このような埋没鍼療法を行う鍼灸師はいないと信じたい。

 2020年に刊行された「鍼灸安全対策ガイドライン2020年版」でも、埋没鍼療法は禁忌となっている[2]。そこには、体内に残存した鍼が移動し、神経・血管や臓器を損傷する可能性があること、MRI撮像や外科的処置に多大な影響を及ぼす可能性があることが記されている。ガイドラインはネットでも公開されているため、鍼灸師は必ず読んでいただきたい。

症例②腰痛治療のための埋没鍼で尿管結石に

https://doi.org/10.1016/j.ajur.2019.10.009

 2つ目の症例は、北海道社会事業協会帯広病院泌尿器科のMatsukiらによる「Ureteral calculi secondary to a gradually migrated acupuncture needle(徐々に移動する鍼治療針に続発する尿管結石)」である[3]。

 74歳の女性が尿管結石と腎盂結石の治療のために当科に紹介された。臨床症状や愁訴はなかったが、胃癌治療後の術後腹部CTスキャン画像で、左側の水腎症と、腎盂と尿管にそれぞれ直径6mmと15mmの2つの結石が映し出されていた。身体検査、血液検査、尿検査、すべてに異常がなく、尿路結石形成につながる可能性のある薬物の投与も認められなかった。

 CTおよびX線画像により、細長い異物にくっついている不自然な結石が特定され、他にも主に腰部に埋め込まれた鍼灸針が観察された。患者は、約10年前、腰痛の治療のために鍼治療を受けていた。そのため、Matsukiらは過去の画像をあらためて見直してみることにした。すると、5年前に撮像された冠状CTスキャンでは、鍼灸針が左腎実質に移動したことが示され、鍼灸針の上部にかすかな腎結石が観察された。3年前に撮影されたCTスキャンでは、左腎盂に鍼治療針を伴う左腎結石が既に認められ、その他にも多くの埋め込まれた鍼治療針の断片が確認された。つまり、尿管結石は、徐々に腎実質に移動した鍼灸針に起因するものと考えられる。

 まず、硬性尿管鏡とレーザーを使用した経皮的腎結石摘出術を実施し、1つの結石と細い針の断片を抽出した。しかし、尿管結石が壁にぶつかり、粘膜が浮腫状であったため、細いガイドワイヤーを尿管に通すことができなかったため、手術は中止された。2週間後、尿管粘膜の浮腫が解消されたので、軟性尿管鏡を使用して尿管内の針と結石の残留断片を除去した。処置以来、患者は6カ月のフォローアップ期間中、結石の再発はみられなかった。

 論文に掲載された写真を見ると、2㎝程度の鍼灸針とその断片が見て取れる。今回、尿路に移動した鍼を内視鏡で摘出することはできたが、この患者の腰にはまだ長い鍼灸針が残っている。10年前、埋没鍼は既に禁止されていたはずである。誤って折れたとしても、2cmの長さの鍼を患者の体内に残し、そのままにしておくことは決して許されることではない。

症例③アスリートの殿筋で折れ体内で発見された鍼

https://doi.org/10.1186/s40792-020-01065-8

 3例目は、三重大学医学部消化管・小児外科学のYamamotoらによる「Laparoscopic removal of an aberrant acupuncture needle in the gluteus that reached the pelvic cavity(骨盤腔に達した殿筋に刺さっている鍼灸針の腹腔鏡下除去:症例報告)」である[4]。
 患者は、26歳の男性アスリートで、殿部に残った鍼治療針の検査のため当院に紹介された。入院の6日前、鍼治療を受けたのだが、鍼灸針の端が折れて殿筋に残ってしまった。鍼灸師はすぐに針を抜こうとしたができなかった。殿部に鍼灸針が残っているにもかかわらず、症状がなかったため、患者はトレーニングを中止しなかった。アスリートである患者が、トレーニングの中断を嫌がったのだ。しかし、その後、左下肢の屈曲時に痛みを感じるようになり、整形外科を通じて当科に入院することとなった。

 患者の身長は174 cm、体重は68 kg、鍼灸針の刺入部位は特定できなかった。体内に残った鍼灸針に触れたり感じたりするのは困難な状態だった。腹部X線検査では、長さ40 mmの細い金属異物を認めた。腹部のCT検査でも、殿筋に線状の超高密度の異物が確認された。しかし、鍼灸針の針先が後腹膜を破り骨盤腔に到達しているかどうかまでは不明だった。

 迅速な異物除去が必要ではあったが、上記CT所見に加えて、急性腹症を起こしていないことから、緊急手術を行う必要はないと判断された。そして、Yamamotoらは、異物を安全かつ最小限の侵襲で除去する方法を議論した。最初は、整形外科的に体表面からのアプローチによる異物の除去を考えた。しかし、鍼灸針の断端が殿筋の真ん中にあること、殿筋の切開により患者の運動能力が低下する可能性を考慮し、経腹的アプローチを使用することが適切だと判断した。

 経腹的アプローチは直腸癌手術における外側リンパ節郭清に用いられる方法で、これによりCTで確認した鍼灸針を認識できると判断した。腐食した針は壊れやすく、除去中に断片化する可能性、針の断片が膿瘍を形成する可能性を考慮し、残存した鍼灸針をX線透視ガイド下で腹腔鏡を用いて除去することが決定された。

 実際の手術では、X線透視検査で異常な鍼灸針が殿筋にあることが確認されたが、鍼灸針周囲の腹膜が炎症により肉芽腫性変化を示していたため、腹腔鏡鉗子では鍼灸針を感じることができなかった。したがって、後腹膜をさらに解剖して鍼灸針を探すことになった。外側リンパ節郭清で使用されるアプローチで解剖学的構造を特定すると、肛門挙筋に入り内閉鎖筋に至る鍼灸針が特定された。無事に取り除くことに成功し、折れた鍼灸針の長さは40mmであった。鍼灸治療から手術による鍼灸針の抜去まで8日が経過していた。患者に合併症はなく回復し、術後2日目には退院し、すぐに競技スポーツに戻った。

 この症例では、折れた鍼灸針の鍼柄側の写真も掲載されていることから、施術した鍼灸師が協力していることがうかがえる。2.5寸(75mm)の長さの鍼灸針が施術に使われたようである。折鍼が起きてしまった場合、鍼灸師は折れた鍼の柄側と、未使用の鍼の情報を医師に提供することは重要である。使用した鍼灸針の太さまでは写真からは確認できないが、アスリートのような筋肉が発達した患者に対しては、いつも以上に太い鍼灸針を選択することが必要だろう。

症例④肩こりの女性医師が鍼治療後に両側性気胸を発症

http://dx.doi.org/10.1136/bcr-2020-241510

 最後は、慶應義塾大学医学部呼吸器内科のNishieらによる「Bilateral pneumothorax after acupuncture treatment.(鍼治療後の両側性気胸)」である。
 患者は、31歳の呼吸器内科女性医師である。彼女は、肩こりの治療のため鍼灸院を訪れ、首、肩、背中、腰、胸部に鍼治療を90分間受けた。鍼治療部位は、A:胸横筋、B:僧帽筋の中央部、C:肩甲骨上角;肩甲挙筋の起始、D:肩甲挙筋、E:僧帽筋の上部、F:棘下筋、小円筋、大円筋、G:外腹斜筋、腰方形筋、H:腸肋筋の外縁、I:腸肋筋の起始、J:大殿筋の起始、K:中殿筋、小臀筋、L:頭板状筋の起始、M:頭半棘筋、N:僧帽筋と頭半棘筋の起始、O:小胸筋の起始の15部位である。患者は、身長158.1 cm、体重42.3 kgで、呼吸器疾患の既往や喫煙歴はなかった。

 鍼治療30分後、胸と肩に倦怠感と不快感を覚えた。当初、彼女はこの感覚は鍼治療によるものだと考えていたため、様子をみることにした。しかし、背臥位になると、胸の両側から「パチパチ」という軋音が聞こえるようになった。この音は翌日も続き、くしゃみをすると胸が痛くなり、吸入時に不快感を覚えるようになった。彼女は気胸を疑って救急治療室に報告した。胸部レントゲン写真では、第3肋間腔までの右肺の虚脱と、左肺尖部のわずかな虚脱が明らかとなった。患者は、処置なしで11日後に回復した。

 施術を受けた鍼灸院では、対象の筋肉の解剖学的深さに対応するために、15~60mmまで異なる長さの鍼灸針が用意されていた。しかし、肩こりに対して使用された鍼灸針は、8番2寸(直径0.3mm、長さ60㎜)のものであった。施術部位において、特に上記Cの領域(肩甲骨上角部)は、解剖学的に胸膜に近い部位である。Nishieらが超音波検査により確認したところ、肩甲骨上角の肩甲挙筋付着部における患者の皮膚と胸膜との間の距離は22 mmであった。

 使用された鍼灸針の長さは60mmもあり、首や肩の領域に日常的に用いるには適していない可能性が高い。たとえ斜刺で刺入したとしても、刺入できる最大の深さは約30mmであり、長い鍼灸針を用いたことにより両側の胸膜を貫通した可能性が示唆された。
 今回、施術した鍼灸師は初心者ではなく、11年の経験を有していた。そのため、気胸を起こした原因は、施術した鍼灸師の「impudence(怠慢、厚かましさ)」であると論じている。同感である。施術に慣れてきた時こそ、注意が必要である。鍼灸師は、個々の患者の体格に合わせた鍼灸針(長さ・太さ)を選択する必要がある。

 患者は初めて鍼治療を受けたということもあり、鍼治療後に生じた違和感に対して、当初は鍼治療によるポジティブな反応だと勘違いした。呼吸器内科医であっても気胸を疑うことができなかった。そして、無処置で回復したことからも、鍼灸治療によって引き起こされる医原性気胸の発生頻度は、報告よりも高頻度で起きている可能性がある。この症例では、鍼灸治療に関して詳細な記載がなされているだけでなく、鍼灸師が注意する要点が記載されている。これは、論文の著者の1人として、慶応義塾大学病院漢方医学センターで鍼治療を担当する萱間洋平氏が名を連ねていることが関連しているのだろう。

慢心を慎み、鍼灸針を選択する

 いかがであっただろうか。埋没鍼療法は論外である。症例②は、故意かどうかはわからないが、体内に針を残して対処していない鍼灸師がわずか10年前にいたことに愕然とした。今一度強く禁忌であることを強調しておきたい。

 鍼灸針の単回使用はいうまでもないが、必要以上に細いもしくは長い鍼灸針を使用してはいないだろうか。長い鍼灸針を用いても技術があるから大丈夫と慢心するのではなく、必要な部位に必要な太さ・長さの鍼灸針を選ぶことも、プロとして必要な臨床能力である。

【参考文献】
1)Ota K, Yokoyama H et al. Discovery of decades-old acupuncture needle fragments during routine care for an arm injury. Acute Med Surg. 2020;7(1):e588.
2)坂本 歩 (監修), 全日本鍼灸学会学術研究部安全性委員会(編集). 鍼灸安全対策ガイドライン2020年版(日本語版). 医歯薬出版. 2020. https://safety.jsam.jp/pg157.html
3)Matsuki M, Wanifuchi A et al. Ureteral calculi secondary to a gradually migrated acupuncture needle. Asian J Urol. 2021 Jan;8(1):134-136.
4)Yamamoto A, Hiro J et al. Laparoscopic removal of an aberrant acupuncture needle in the gluteus that reached the pelvic cavity. Surg Case Rep. 2021 Feb 17;7(1):51.
5)Nishie M, Masaki K et al. Bilateral pneumothorax after acupuncture treatment. BMJ Case Rep. 2021 Mar 1;14(3):e241510.

蔵府概念が医学の根底をなす

篠原孝市

人間の〈自然性〉は生存と衰退にある

 前回、私は、〈蔵府〉における最も根源的な要素、すなわち五蔵に所蔵される〈精気〉(先天の精気)の継承(生存の連続性)と、時間とともに不可逆的に進行する衰退が、人間の根本的な条件であると述べた。

 この生誕と老化の二つは、あまりに自明のことで、いまさら指摘するまでもないように思われるかもしれない。しかし、私たちは常に、この二つのことから目をそらそうとする。その二つが、私たちの生存を決定的に規定、制約し、自由な意志による選択を阻害するからである。

 親を選択できないこと、人が他人の助力なしには生きていけないこと(自助の余地がわずかであること)、瞬く間に高齢になり、心も体も機能しなくなること、しかしそれは、絶望でもなければ、悲劇でもない。なぜならば、〈精気〉の継承とその衰退(老化)こそ、人間の中に在って、人間を支える〈自然〉だからである。そして人間は〈自然〉に勝つことはできないのである。

 一人で生まれて一人で生きてきたと考えること、あるいは秦の始皇帝がそうであったように、人の作り上げる制度や文化と人間の生存の〈自然〉を同一視し、それを人為的に覆すことが可能であるかのように考えること、それは手の届かないものを求めるという意味で、確かに人間的であり、ロマンティックでもある。

 なるほど、その地点で人間は自らを自然と区別する。しかし、人間的であること、ロマンティックであることは、常に悲劇的なもの、痛ましいものなのである。

ポイント

  • 人は生誕と衰退から目を逸らす!
  • 人間は自然には勝てない!
  • 人間は手の届かないものを求める!

〈気〉の病いとしての〈五蔵〉〈六府〉病

 私はここまで、〈精気〉という概念をもとにして、人間の生病死を考えてきた。それは生死という長い過程を考えるうえでは有効であるが、生死の間に頻繁に起こる〈病い〉の複雑な構造を考えるうえでは十分ではない。〈精気〉には盛衰しかなく、しかも衰退の一本道だからである。

 〈病い〉の現れを分析し、そこから一定の認識に至るには、そのための拠点が必要となる。現代医学であれば、それは解剖学、病理学であり、そのための細胞や微生物に関する知識ということになろう。それは総じて可視の〈モノ〉についての認識から組み立てられた体系的知識である。

 これに対して、中国医学では、生理や病理の土台となる人間の体内をブラックボックスとみている。そうした中国医学における病態認識の拠点は、これまでも述べてきたように、不可視の〈気〉であり、そこから認識されるものが〈気の病い〉である。

 中国医学を初めとする東アジアの〈病い〉の診察の枠組には、『傷寒論』の三陰三陽病、『霊枢』経脈篇の経脈病証(是動病、所生病)、寒熱や虚実、気血や津液の〈病い〉などがある。あるいは、わが国近世後半においては後藤艮山の〈一気留滞〉説吉益東洞の〈万病一毒〉論吉益南涯の〈気血水〉説などさまざまであるが、当然のことながら、現代医学的な解剖学、病理学、細胞学、微生物学などを基礎とするものではない。理論を持ち出そうと、経験を主張しようと、そこで捉えられているのは、〈気の病い〉である。そして、〈気の病い〉の最も中核をなすものこそ、〈五蔵六府〉なのである。

ポイント

  • 精気だけでは〈病い〉の構造をとらえられない!
  • 現代医学は見えるものを、中国医学は見えないものを対象にしている!
  • 〈気の病い〉の中核は〈五蔵六府〉である!

用語解説

『傷寒論』(しょうかんろん):第1回の用語解説参照。

後藤艮山の〈一気留滞〉説(ごとうこんざんの〈いっきるたい〉せつ):後藤艮山(1659~1733)は江戸前期から中期前半の医家。名は達(とおる)、字は有成、号は艮山、養庵で、左一郎と通称した。名古屋玄医へ入門しようとして果たせず、苦学して「百病は一気の留滞より生ず」として、順気(気をめぐらせること)を治療の綱要とした。そしてその具体的方法として、服薬とともに、施灸、熊胆(くまのい)の服用、温泉、食事を重視した。〈一気留滞〉説の眼目は、『素問』『霊枢』『難経』に見える陰陽五行、蔵府経脈の説を「空論雑説及び文義通じ難き者」と見なし、併せてその延長線上にある南宋以降、明に至る金元李朱医学とその温補の説も否定することによって、〈気の病い〉を、陰陽五行説や蔵府経脈説などを介して構造的に理解するのではなく、〈気のめぐり〉という感性的な捉え方の一点に集約させることにあった。

吉益東洞の〈万病一毒〉論(よしますとうどうの〈まんびょういちどく〉ろん):吉益東洞(1702~1773)は江戸中期の医家。名は為則(ためのり)、字は公言、東洞と号し、周助と通称した。東洞は、伝統的な病因と病機の診察(病いの構造的な把握)に基づく医学を、陰陽論や五行説という「論理」の故に観念的として否定し、「論理」と無関係の〈証〉に基づく処方学を以てあるべき医学の姿と考えた。そこには、「論理」や「観念」を、人から実体を遠ざけて直に物を見せなくする虚構と考える、根深い日本土着の思想があったと考えられる。そのために東洞が必要としたのが、『史記』に見られる古代の伝説的名医・扁鵲の逸話と、五行説の色彩の薄い『傷寒論』であった。そして『傷寒論』の処方とそのしるしとなる証を以て診察治療のためのカテゴリーとした。これが「方証相対」であり、東洞の医学は証即処方の治療体系であった。

吉益南涯の〈気血水〉(よしますなんがいの〈きけつすい〉:吉益南涯(1750~1813)は江戸中期後半から江戸後期の医家。吉益東洞の嗣子。名は猷(ゆう)、字は修夫で、謙斎、南涯と号した。気血水理論を述べた『医範』(1825)がある。また門人の編纂した『気血水弁』『気血水薬徴』が写本で伝存する。南涯は『医範』において、父東洞の万病一毒論を継承する形をとり、〈毒〉を無形のものとし、その病態が有形の〈気〉〈血〉〈水〉に現れると考えたようである。しかしながら、実際には、病機の中核となる〈内気〉を、後藤艮山の〈一気〉でも、東洞の〈一毒〉でもなく、〈気〉〈血〉〈水〉の三つの〈気〉と仮説し、その循環と停滞で病いを説明するという大きな転換を行ったと考えるべきである。これは古くからある〈気血〉の〈血〉をさらに〈血〉と〈水〉に区分したと考えることができる。あるいは朱丹溪や初代曲直瀨道三の有名な「気血痰鬱」を発想の遠因とするものかもしれない。

〈五蔵〉〈六府〉以前の蔵府論

 ここで、現在行われている〈五蔵〉〈六府〉の説以前の、古い蔵府論について総括しておきたい。

 現行の蔵府論は、隋唐以降の新しい医書を読むには十分であるが、それをもって『素問』『霊枢』『難経』『脈経』などの古い医学書を読もうとすると、甚だ難儀する。『素問』『霊枢』『難経』などの秦漢以前の医学書は、現行の医学説の源基ではあるが、内容自体は後代のそれと大きく異なっているからである。その事情は、『十四経発揮』以降の綺麗に整序要約された経脈と経穴の学説では、『霊枢』の複雑な経脈概念や『甲乙経』(『明堂孔穴鍼灸治要』)の兪穴部位が理解できないのに似ている。

●〈五蔵〉

 〈五蔵〉と〈六府〉は最初から現在の肝心脾肺腎や胆小腸胃大腸膀胱三焦であったわけではない。その古い形態は秦漢以前の思想書にその例を見ることができる。

 例えば『淮南子』精神訓では人間の生誕に言及したあと、「是の故に肺は目を主(つかさど)り、腎は鼻を主り、胆は口を主り、肝は耳を主り、[王念孫の『読書雑志』ではこの後に「脾は舌を主る」を補う]……天に四時(しいじ)、五行、九解、三百六十六日有り。人にも亦た四支、五蔵、九竅、三百六十六節有り。天に風雨寒暑有り、人に亦た取與(しゅよ)、喜怒有り。故に胆は雲と為(な)り、肺は気と為り、肝は風と為り[王念孫は「肝」を「脾」に改む]、腎は雨と為り、脾を雷と為し[王念孫は「脾」を「肝」に改む]、以て天地と相參(まじ)わりて、心、これが主と為る」とある。

また『文子』九守にも『淮南子』を引いたとされる類文があり、そこでは〈五蔵〉と五官の関係部分は「肝は目を主り、腎は耳を主り、脾は舌を主り、肺は鼻を主り、胆は口を主る」となっている。

 これらの文章の〈五蔵〉には現行の説には見られない「胆」が入っている。また『淮南子』と『文子』は略同文でありながら、〈五蔵〉と五官の関係に異同があるが、その理由については別に述べる。

ポイント

  • 秦漢以前の思想書には〈五蔵〉に「胆」がある!

●「六蔵」

 古代中国には「六蔵」という捉え方があった。『荘子』斉物論に「百骸、九竅、六蔵、賅(そな)わりて存(あ)り。吾れ誰(いず)れとともにか親しむことを為さん」とあるのがそれである。

 『列子』仲尼篇の中にも「乃ち是れ我が七孔四支の覚(さと)る所、心腹六蔵の知る所なるかを知らず」、同書周穆王篇にも「百骸六蔵、悸(おのの)いて凝(さだま)らず。意(こころ)迷い、精喪(うしな)う」とある。この「六蔵」は腎を左腎と右腎に分けた結果と解釈されている。おそらく『難経』三十九難の「経に言う、府に五つあり、蔵に六つ有る者は、何ぞや。然るなり。六府は、正に五府有り。然して、五蔵も亦た六蔵有る者は、謂る腎に両蔵有るなり。其の左は腎と為し、右は命門と為す」によるものと思われるが、その正否は未詳である。

ポイント

  • 腎を左腎と右腎に分けた結果の「六蔵」!

●「九蔵」「十一蔵」

 さらに古代中国では、「九蔵」という言葉も使われている。たとえば『周礼』天官・疾医の「これを参(まじ)えるに九蔵の動を以てす」の鄭玄の注に「正蔵は五、又た胃、膀胱、大腸、小腸有り」とある。
 また『素問』の三部九候論篇に「神蔵は五、形蔵は四、合わせて九蔵と為る」、六節蔵象論篇にも「形蔵は四、神蔵は五、合わせて九蔵と為る」とあるが、三部九候論の王冰注では、「神蔵」とは五つの神気(魂神意魄志)を蔵するところの肝心脾肺腎の〈五蔵〉であり、「形蔵」とは頭角、耳目、口歯、胸中を指すとする。

 『素問』のなかでも、かなり後代の魏晋南北朝頃の篇とされる霊蘭秘典論篇には「十二蔵の相使(しょうし)貴賎」を問う経文に対して、「心は、君主の官なり。神明、焉(これ)に出づ。肺は、相傅(しょうふ)の官、治節、焉に出づ」のように、心、肺、肝、胆、膻中、脾胃、大腸、小腸、腎、三焦、膀胱とその役割が列挙されている。
 このうち「膻中」は、『霊枢』脹論篇に「膻中は、心主の宮城なり」とあることから、心の包絡のこととされる。

 また同じく後代の篇とされる六節蔵象論篇では、心、肺、腎、肝と脾、胃、大腸、小腸、三焦、膀胱を挙げて「凡そ十一蔵、決を胆に取るなり」と結んでいる。この二つの篇では、〈五蔵〉〈六府〉を並列的に扱い、それぞれの意味付けをしているように見える。

●奇恒の府、胃の意味

 『素問』の五蔵別論篇には「黄帝問うて曰く、余聞く、方士或いは脳髄を以て蔵と為し、或いは腸胃を以て蔵と為し、或いは以て府と為す。敢えて問う、こもごも相反すれども、皆な自ずから是と謂う。其の道を知らず。願わくは其の説を聞かん、と。岐伯答えて曰く、脳、髄、骨、脈、胆、女子胞、此の六なる者は、地気の生ずる所なり。皆な陰に蔵して、地を象どる。故に蔵して写さず。名づけて奇恒の府と曰う。夫れ胃、大腸、小腸、三焦、膀胱、此の五なる者は、天気の生ずる所なり。其の気は天を象(かた)どる。故に写して蔵さず。此れ五蔵の濁気を受く。名づけて伝化の府と曰う」とある。これは、〈五蔵〉や〈六府〉とは別に、「脳」「髓」「骨」「脈」「胆」「女子胞」の六者をひとまとめにして、〈奇恒の府〉というカテゴリーを設けている。「奇恒」とは、常と異なる、の意味である。

 このうち、「胆」を除く五つは『素問』『霊枢』諸篇の中に散見する言葉である。また「胆」は周知のように〈六府〉の一つである。しかし、この〈奇恒之府〉という概念は、『素問』『霊枢』の中ですら五蔵別論一篇に止まるマイナーなものであって、その後の医学の中でも臨床応用されることはなかった。にもかかわらず、南京中医学院が主編した『中医学概論』(1959)以来の現代中医学の中医学書や、日本の『新版東洋医学概論』(2015)において、〈五蔵〉や〈六府〉に続いて〈奇恒の府〉に一章を割いているのは、『素問』『霊枢』中に散見する「脳」「髓」「胞」という言葉を意味づけようとする意図というふうに善意に解釈したしても、不可解である。

 六府の中でも「胃」と「胆」、そして「三焦」は特別な位置にある。特に「胃」は「脾」とともに「脾胃」とも呼称され、また〈六府〉とは異なる〈腸胃〉という概念(現代医学の消化器系に類似した概念)を表す言葉としても使用されたことから、〈五蔵〉とともに特別の位置に置かれている。
 これらの経文は、五蔵論の先駆的状態をうかがわせるものとして興味深い。しかし、〈蔵府〉が後年の医学的基礎となるのは、これが陰陽論と五行説によって整序され、〈五蔵〉〈六府〉となってからのことである。

ポイント

  • 奇恒の府はマイナーな存在!
  • 胃は特別な存在!

用語解説

『十四経発揮』(じゅうしけいはっき):別名「十四経絡発揮」。三巻。滑寿(字は伯仁。1304~1386)著。中国・元末の1341年に成立した経脈経穴書。巻上では『霊枢』経脈篇所載の十二経脈の流注を述べ、本書の中核を為す巻中では十二経脈に督脈と任脈を加えた十四経脈の流注に沿って所属する経穴を配当して注解を加え、巻下では『素問』『難経』『甲乙経』『聖済総録』を典拠として、奇経八脈の流注と所属する経穴を列挙している。本書の内容には、元の忽泰必列著『金蘭循経』に依拠するところが大きいと見られる。経脈と経穴の関係を一義的に関係づけるための試行錯誤は、魏晋南北朝以降、宋代まで繰り返し行われてきたが、その試みは、北宋の『銅人腧穴鍼灸図経』と『聖済総録』を経て、本書によって一応の決着をみた。この十四経理論は、その後の中国鍼灸書に継承されたものの、『十四経発揮』自体は中国ではほとんど重刊されず、かえって日本の近世において20回以上版を重ね広く流布し、江戸初期から1970年代まで、経脈と経穴に関する標準的典拠書として高く評価された。

『甲乙経』(こうおつきょう):第3回の用語解説参照。

『明堂孔穴鍼灸治要』(めいどうこうけつしんきゅうちよう):『甲乙経』巻之三のほぼ全文と巻之七~巻十二所載の鍼灸主治条文、計24000字あまりを指す。書名は『甲乙経』の皇甫謐序による。後漢後期頃に成立したと考えられる、著者未詳の中国最古の経穴書『明堂』の一伝本で、『素問』『鍼経』とともに『甲乙経』を構成する要素となった。唐の楊上善が撰注した『黄帝内経明堂』(現存は巻第一のみ)、それを節略して引用した『医心方』巻第二、唐の王燾の『外台秘要方』巻第三十九、敦煌出土『黄帝明堂經』断簡などの『明堂』復元資料のうちでも第一にあげられるべきものである。

『淮南子』(えなんじ):第4回の用語解説参照。

『文子』(ぶんし):中国古代の思想書。一名「通玄真経」。『漢書』芸文志に著録された段階で既に偽託の可能性が指摘され、また通行本の文章の多くが『淮南子』と共通することなどを理由に、魏晋以降の偽作すら疑われてきたが、1973年に前漢の漢墓から出土した本書の竹簡の研究から、成立や内容についての再評価が進んでいる。

『荘子』(そうじ):一名「南華真経」。戦国時代の思想家・荘子(そうし)の思想を伝えるとされる思想書。西晋の郭象(?~312?)が刪定注解した現行のテキストは、内篇七篇、外編十五篇、雑篇十一篇からなるが、内篇以外の多くの部分については、弟子や後人による附加とされる。後世、道教の隆盛にともない、『荘子』は『老子』と並び称され、その原典とされるようになった。ただし、政治性の強い『老子』とは異なり、『荘子』は世俗を離れた無為自然を理想とし、徹底した相対主義の立場に立っている。

『列子』(れっし):一名「沖虚真経」。戦国時代の思想家・列禦寇(れつぎょこう)の思想を述べたとされる書で、『漢書』芸文志にも著録されているが、通行本は魏晋頃の偽託とされる。『老子』『荘子』などとともに道家の系統に属し、寓話によって説を為すことが多い。

『周礼』(しゅらい):周の官制を述べた書。孔子が理想とした周の政治家・周公旦に仮託されている。『儀礼』(ぎらい)、『礼記』(らいき)とともに、礼儀や制度を説いた「三礼」(さんらい)の一つに算えられ、また儒教の経典「十三経」の一つでもある。後漢の鄭玄(じょうげん)が注を、唐の賈公彦(かこうげん)が疏を著している。

鄭玄(じょうげん):「ていげん」とも読む。127~200。後漢の著名な学者で、『儀礼』『礼記』『周礼』のいわゆる「三礼」と『毛詩』(『詩経』)の注解が現存している。

古典の所出文字数から見た〈五蔵〉と〈六府〉の軽重

 〈五蔵〉は〈六府〉と併称されるが、『素問』『霊枢』において、あるいは後代においても、対等ではなく、中心はどこまでも〈五蔵〉である。それは、『素問』『霊枢』約150000字弱の中に、〈五蔵〉〈六府〉を構成する個々の言葉が何回使用されているかを見るだけでも歴然である。

 今、試みに張登本・武長春主編『内経詞典』(1990)に基づいて、各蔵府の所出回数を示せば、「肝」という言葉は251回(このうち「肝」の文字が単独で使用されている例は196回。以下同じ)、「心」は542回(314回)、「脾」は236回(185回)、「肺」は304回(248回)、「腎」は293回(222回)である。
 他方、「胆」は52回(42回)、「小腸」は46回(44回)、「胃」は324回(195回)、「大腸」は45回(42回)、「膀胱」は52回(50回)、「三焦」は38回(35回)である。
 ちなみに「腸」という言葉の使用例も222回(23回)と多いが、これは「腸胃」という言葉の所出が50回を数えるためである。

 参考に『難経』11945字(『王翰林集註黄帝八十一難経』の正文による)について、筆者監修の「『難経』総索引」(『難経古注集成』第6冊所収、1982 )に基づいて、同様の換算を行えば、肝は70回、心は93回、脾は43回、肺は67回、腎は55回である。胆は6回、小腸は18回、胃は34回、大腸は12回、膀胱は8回、三焦は15回である。

 秦漢以前の医書以外の書物に見える〈五蔵〉〈六府〉の所出回数は、〈五蔵〉では「心」が群を抜いて多く、「肝」と「肺」がこれに次ぎ、「脾」と「腎」は「肝」「肺」よりも相対的に少ない。また〈六府〉では「胃」が「肝」「肺」に並び、「胆」がこれに次ぐ。

 「心」の用例が桁外れに多いのは、〈五蔵〉的な意味ではなく、意識や感情、知識などの意味として使われたためである。また「胆」は、こころを打ち明けるとか、親しさを表す際に用いる「肝胆」の用例に使われているためである。一方、一般社会においては、小腸、大腸、膀胱、三焦などの認識は極めて低かったと考えられる。

ポイント

  • 『素問』『霊枢』に出てくる肝・心・脾・肺・腎を数えてみた!
  • 胆・小腸・胃・大腸・膀胱・三焦も数えてみた!
  • 『難経』に出てくる回数も数えてみた!
  • 五蔵の出現回数はケタが違う!

用語解説

『内経詞典』(だいけいしてん):人民衛生出版社、1990年初版。史上初の本格的な『素問』『霊枢』の字句と語句についての辞典。2286字、5560語について、所出回数、発音と音韻(現代音、中古音、上古音)、解釈、用例、解釈のもとになった典拠をあげてある。これに続くものに郭靄春主編『黄帝内經詞典』(天津科學技術出版社、1991年)、周海平[等]主編『黄帝内經大詞典』(中医古籍出版社、2008年)がある。

『王翰林集註黄帝八十一難経』(おうかんりんしっちゅうこうていはちじゅういちなんぎょう):一名「難経集註」(なんぎょうしっちゅう)。五巻。『難経』に対する唐宋までに成立した古注をうかがう唯一の注解書。三国の呂広、唐初の楊玄操、北宋の丁德用、虞庶、楊康侯の五家の注が収められている。書名から北宋の王翰林(王惟一)の編纂のように見えるが、その関与は未詳である。南宋頃に成立したと見られるも、熊宗立の『勿聴子俗解八十一難経』や滑寿の『難経本義』の新注が出たこともあって中国では早くに失われた。他方、日本では江戸前期の慶安五年(1652)に重刊本が出て、これをもとに重刊された江戸後期刊本が中国に舶載されて、『守山閣叢書』『四部叢刊』に影印された。これとは別に、江戸末期に発見された、慶安本とは系統を異にする古写本も伝存する。ちなみに本書が日本で認識されるようになったのは、江戸末期の『経籍訪古志』への著録を除けば、1982年以
降のことである。

サブスタンスPなしでは鍼の効果は現れない?

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建部陽嗣

新たに発見されたサブスタンスPの役割

 「サブスタンスP」に関して、鍼灸師の皆さんはどのようなイメージを持っているだろうか?

 はりきゅう理論の教科書には「痛みの伝達物質」として、そして何より「軸索反射」の項に掲載されている。そのページを読んでみると「疼痛発生筋に対する鍼刺激の効果はatropine投与で出現しなくなるので、鍼刺激で血流が改善されるのは,筋内血管に分布するコリン作動性神経が鍼刺激で活動したこと、……(中略)……。さらにモルモットに対してsubstance PもしくはCGRPを投与した場合には、どちらを投与しても鍼刺激と同様の効果が現われた。しかし、atropineの投与によりsubstance Pの効果は影響を受けなかったがCGRPの効果は消失した。」とある[1]。

 以上の結果から、鍼刺激による疼痛発生筋の痛みが解消する機序には、サブスタンスPではなくCGRPが深くかかわっていると結論付けている。つまり、鍼灸に関わる伝達物質ではあるが、大きな役目はよくわからない。単なる発痛物質として記憶している鍼灸師も多いことだろう。

 そんななか、鍼灸治療とサブスタンスPとの関係を調査した論文が2021年初めに発表された。韓国のFanらによる「The role of substance P in acupuncture signal transduction and effects(鍼治療のシグナル伝達と効果におけるサブスタンスPの役割)」である[2]。今回は、この論文を読み進めることによってサブスタンスPについて再考したいと思う。

高血圧ラットを用いたFanらの研究

 サブスタンスP(SP)は、中枢神経系および末梢神経系に広く分布しているペプチドで、ニューロキニン1受容体(NK1R)に対して高い親和性を示し、優先的に結合する。サブスタンスP / NK1Rシステムは、その広範な解剖学的分布も手伝って、神経炎症、微小血管透過性、痛みを含むさまざまな生理学的反応に関与しているとされる。そのため、NK1RへのサブスタンスP結合を調節することによって、胃腸炎、嘔吐、うつ病、不安障害、はたまたがんの治療に有効である可能性が示されている[3]。

 Fanらはまず、ラットに拘束ストレスを与えることで高血圧を発症させた。高血圧ラットにエバンスブルー色素を静脈内注射するとすぐに、PC6(内関)に神経性炎症のスポットが出現した。そう、この論文は、第3回で紹介した大邱韓医大学校研究チームの最新論文である。まだお読みでない方は、本連載第3回「アルコール依存症への鍼 韓国の最新基礎研究」をご一読いただきたい。

 神経性炎症スポット(Neuro-Sps)は、PC6(6匹12カ所中n = 9)の他に、神門(HT7、n = 8)といった前肢の経穴、行間(LR2、n = 3)、太衝(LR3、n = 4)、束骨(BL65、n = 5)、足通谷(BL66、n = 4)などの後肢の経穴に出現した。

 Neuro-Spsが生じた求心性神経からSPが放出されたかどうかを調べるために、Fanらは高血圧にさせたラットの前肢の組織サンプルを使って、SPを免疫組織学的に染色した。すると、高血圧ラットの前肢ではSP発現が有意に増加していたのである。このSPの増加は、非経穴部位では起きなかった。加えて、鍼治療自体がSP放出を増加させることができるかどうかを判断するために、無処置ラットの前肢に、鍼刺激を1分間隔で20秒間、合計10分間実施した。すると、鍼治療で刺激された皮膚でも、SP発現の増加が確認された。

サブスタンスPが増えて鍼刺激への感度上昇

 次に、SPが高血圧に対する鍼治療効果に関与しているかどうかを調査した。まず、高血圧ラットの前肢の足首に出現したNeuro-Sps(主にPC6)に、生理食塩水もしくはSP受容体拮抗薬であるCP-99994を注射した。20分後、前肢付近の両側Neuro-Spsに合計10分間(1分間隔で20秒間)鍼刺激を行うと、生理食塩水を投与したラットでは、拘束ストレスによる血圧上昇を防止または減少させることに成功した。この高血圧抑制効果は、SP受容体拮抗薬であるCP-99994を注射したラットでは起きなかった。

 FanらはさらにSPの効果を確かめるために、高血圧ラットに発現したNeuro-SpsへSPを直接皮下注射した。すると鍼治療の効果と同様に、高血圧の発症を有意に抑制したのである。つまり、鍼による血圧調節作用にSPが直接かかわっていることが示唆される。これは、2002年発刊のはりきゅう理論の教科書に書かれていることと真逆の結果である。

 本当にSPが、鍼刺激を伝える神経の感受性を高めているかどうかを判断するために、体性求心性神経の単線維記録を行った。これは、顕微鏡下で神経の束をほどいていき、単一の神経線維を露出させる方法である。15匹のラットの神経を露出させ、9つのA線維、6つのC線維が記録された。前足肢の経穴に鍼刺激を与えると、A群線維・C線維ともに神経活動が記録されるのだが、皮内にあらかじめSPを投与しておくと、A群線維では2倍、C線維では3倍の放電が記録された。
 つまり、SP量が増えることによって、鍼刺激に対する体性求心性A群線維とC線維両方の感度を高め、鍼治療のシグナル伝達を大幅に高めたことが示唆される。

鍼治療による脊髄後角ニューロンの活動にも関与

 次に、Fanらは、SPの影響が中枢神経である脊髄後角に影響を及ぼすのか調査した。
 機械刺激(フォンフライフィラメント)に対する脊髄後角ニューロンの反応を、生理食塩水またはSPを投与し比較した。脊髄後角ニューロンは、非侵害刺激(2、8.5、15 g)の力、侵害刺激(60 g)の力によく反応を示し、その反応は力の強さに応じて漸進的に増加する。
 生理食塩水投与群では、脊髄後角ニューロンの活動は、侵害刺激である60 gの力に応答して、治療前、5分後、10分後、30分後でそれぞれ、10.45±1.20、10.72±1.59、10.46±1.60、10.97±1.66スパイク/秒であった。
 一方、SPを注射すると、その応答時間は19.16±2.03、20.96±2.62、22.29±2.09スパイク/秒と有意に増加した。このような反応の増加は、非侵害刺激では生じなかった。つまり、SPは侵害刺激特異的に、脊髄後角ニューロンの活動を増加させる。
 では、鍼刺激を加えるとその反応はどう変化するのだろうか。高血圧ラットにおける脊髄後角ニューロンの誘発活動は鍼刺激によって増強され、SP受容体拮抗薬(CP-99994)投与によって抑制された。これは、鍼治療による脊髄後角ニューロンの活動にSPが関与していることを示している。

 最後に、Neuro-Spsでの鍼治療が、心血管調節の重要な部位として知られている中脳の吻側延髄腹外側野(rVLM)ニューロンに影響を与えるのか調査した。高血圧にさせたラットの前肢部に発現したNeuro-Spsに鍼刺激を2分間行うと、rVLM神経線維の放電は約130%以上増加し、2分後にはベースラインに戻った。この反応は、SP受容体拮抗薬(CP-99994)投与によって抑制された。
 Neuro-Sps部の SP上昇が鍼治療によるrVLM活性化に関連していることをさらに確認するために、カプサイシンをNeuro-Spsに注入することでSP放出を誘導し、rVLMニューロンの興奮性を測定した。すると、鍼治療をした際と同様の結果が得られたのである。
 つまり、鍼治療におけるSP増加は、rVLMの発火活動を強化し、高血圧ラットに対する鍼治療効果をもたらしたと考えられる(図1)。

図1 Fanらの実験結果模式図
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サブスタンスPは鍼治療効果を決定づける可能性

 いかがであっただろうか。まとめると、高血圧の発症に伴い、ラットの前肢の経穴に神経原性炎症(Neuro-Sps)が生じた。Neuro-Spsは求心性神経からのSP放出を増加させる。Neuro-Spsへ鍼刺激すると高血圧の発症は抑制され、これは鍼治療前にSP受容体拮抗薬を局所注射することで起きなかった。末梢神経線維の単線維記録では、Neuro-SpsへSPを注入すると、鍼刺激に対するA線維およびC線維の感度を増加させる。脊髄後角ニューロンの活性はNeuro-Spsへの鍼刺激後に上昇し、さらに、中脳rVLMニューロン活動も増加した。鍼治療によるSP上昇は、鍼治療信号のトリガーとなるだけでなく、鍼治療効果自体に決定的に寄与すると考えられるのである。

 面白いことに、Fanらの研究では、神経性炎症は拘束ストレス後1分以内に経穴に現れ始め、15分以内に完全に発現が認められ、高血圧になった後はずっと維持されていた。これは、経穴の局所的変化は病的状態の発症より前に生じ、病的状態の間維持されたことを意味する。未だ病気にならざる前に、経穴に反応が現れ、そこに鍼治療を加えれば発症を抑えられる可能性を秘めているということになる。

 また、これまでは、SPと鍼治療効果自体との関係についてはほとんど知られていなかったが、Fanらの研究によって、鍼治療は高血圧の発症に対する抑制効果を生み出し、その効果はSP受容体拮抗薬投与によって失われた。脊髄後角ニューロンの誘発反応は、高血圧ラットのNeuro-SpsへのSP注入によって強化され、この反応もまたSP受容体拮抗薬投与によって失われた。

 活動的な経穴は、神経性炎症メディエーターによって感覚神経終末が感作される。感作された感覚神経終末は非侵害刺激の神経よりも侵害刺激に敏感であることを考えると、経穴に伸びている感覚神経終末は、高血圧ラットの神経性炎症によって放出されるSPによって感作されると考えることができる。したがって、鍼刺激は非常に敏感に伝わり、sham鍼刺激と比較した場合、生理学的閾値に容易に到達することによって鍼治療効果を呼び起こすのである。
 また、Fanらの結果をみると、これらの反応は、末梢だけでなく、中枢レベルでも生じていると考えられる。

 神経性炎症によって放出されるSPは、単なる発痛物質などではなく、鍼治療の刺入に対する感覚求心性神経の反応を増強し、鍼治療効果の開始に関与する重要な神経ペプチドとして機能すると結論付けることができる。

【参考文献】
1)東洋療法学校協会 編.はりきゅう理論.医道の日本社.2002.
2)Fan Y, Kim DH et al. The role of substance P in acupuncture signal transduction and effects. Brain Behav Immun. 2021; 91: 683-694. doi: https://doi.org/10.1016/j.bbi.2020.08.016
3)Garcia-Recio S, Gascón P. Biological and Pharmacological Aspects of the NK1-Receptor. Biomed Res Int. 2015; 2015: 495704.

虚していく運命の〈精気〉

logo-313541_1280鍼灸論考

篠原孝市

〈先天の精気〉――連続し、受け継がれる

 前回、私は、人体における〈内気〉は、陰陽論に基づき、〈蔵府〉という一体不可分の〈関係〉として構造化されたと述べた。

 その〈関係〉において、〈府〉(陽性の〈内気〉)は食物の摂取から大小便の排泄に至る過程の総体を象徴するものであり、〈五蔵〉(陰性の〈内気〉)の役割は、〈六府〉の助けも得て〈五蔵〉に所蔵される〈精気〉という一語に集約されている。それは、①生殖、②食物の摂取、③大気(空気)の摂取からもたらされたものであり、先天的なものと後天的なものがミックスされたものである。

 人間が生まれる最初の段階から持っている〈精気〉、いわゆる〈先天の精気〉について、『霊枢』本神篇には「生の来たる、これを精と謂う」、経脈篇には「人始めて生ずるときは、先ず精を成す」とある。決気篇ではさら詳しく「両神相搏(まじ)わりて、合して形を成す。常に身に先だちて生ずる、これを精と謂う」とある。

 この「両神」とは陰陽のことであり、男女のこと、「搏」は「交わる」を意味する。本神篇にはこれに類似した経文「両精相搏(まじ)わる、これを神と謂う」があるが、これもまた「両精」は陰陽の精のこと、「神」とは「神明」、すなわち人間の人間らしい身心の在り方のことを指す。『素問』上古天真論篇には具体的に「精気溢し寫し、陰陽和す。故に能く子有り」とある。この「精気」は体外に出れば目に見える精液となるのである。

 これらの経文が意味することは、人間は、最初から自分以外の人間、広くは人間の長い生存の歴史における連続性の中に置かれており、その連続性に支えられて、初めて人間らしい存在となるのである。そのことは、私たちにとって時に桎梏(しっこく)でもあり、時に慰安でもあるが、〈精気〉を受け継ぐことで生存しているという事実を振り捨てることはできない。しかも、その〈精気〉は受け継がれた瞬間から失われ始めるようなものなのである。

ポイント

  • 〈精気〉は生殖、食物の摂取、大気(空気)の摂取からもたらされる!
  • 〈精気〉は先天的なものと後天的なものがミックスされたもの!
  • 人間らしさとは連続性!

〈五蔵〉の〈精気〉が虚していく過程

 〈五蔵〉の〈精気〉が虚していく過程について、『素問』上古天真論篇では男女別に七あるいは八の倍数で年齢を設定し、「女子は七歳にして、腎気盛んに、歯更(あらた)まり、髪長す。二七にして天癸至り、任脈通じ、太衝脈盛んにして、月事時を以て下る。故に子有り。三七にして腎気平均なり。故に真牙生じて長極す。四七にして筋骨堅く、髪長極にして、身体盛壮なり。五七にして陽明の脈衰え、面始めて焦れ、髪始めて墮つ。六七にして三陽の脈、上に衰え、面、皆な焦れ、髪始めて白く、七七にして任脈虚し、太衝脈衰少し、天癸竭(つ)き、地道通ぜず、故に形壊れて子無し。丈夫は八歳にして、腎気実し、髪長し歯更(あらた)まる。二八にして腎気盛んに、天癸至り、精気溢し寫し、陰陽和す。故に能く子有り。三八にして腎気平均、筋骨勁強なり。故に真牙生じて長極す。四八にして筋骨隆盛、肌肉満壮なり。五八にして腎気衰え、髪墮ち歯槁(か)る。六八にして陽気、上に衰竭(すいけつ)し、面焦れ、髪鬢頒白す。七八にして肝気衰え、筋動くこと能わず、天癸竭き、精少く、腎蔵衰え、形体皆な極まる。八八にして則ち歯髪去る」と述べている。

 また『霊枢』天年篇にはこれを十年単位で描いて「人生まれて十歳にして、五蔵始めて定まり、血気すでに通ず。其の気、下に在り。故に好みて走る。二十歳にして、血気始めて盛んに、肌肉まさに長ず。故に好みて趨(はし)る。三十歳にして、五蔵大いに定まり、肌肉堅固にして、血脈盛んに満つ。故に好んで歩む。四十歳にして、五蔵六府、十二経脈、皆な大いに盛んに以て平らかに定まり、腠理始めて疏(おろそ)かに、栄華頽落し、髪頗(すこぶ)る班白に、平盛にして揺(ゆ)らがず。故に好んで坐す。五十歳にして、肝気始めて衰え、肝葉始めて薄く、膽汁始めて減じ、目始めて明かならず。六十歳にして、心気始めて衰え、善く憂悲し、血気懈惰(かいだ)す。故に好んで臥す。七十歳にして、脾気虚し、皮膚枯る。八十歳にして、肺気衰え、魄離(はな)る。故に言(こと)、善く悞(あやま)る。九十歳にて、腎気焦がれ、四蔵経脈空虚す。百歳にして、五蔵皆な虚し、神気皆な去り、形骸独り居り、而して終る」とある。『素問』陰陽応象大論篇にも同内容の「年四十にして陰氣自ら半(なか)ばし、起居衰う。年五十、体重く、耳目聡明ならず。年六十、陰痿し、気大いに衰え、九竅利せず、下虚上実し、涕泣倶に出づ」との経文が見られる。

 以上の三つの経文によれば、〈五蔵〉の〈精気〉は三十五歳あるいは四十歳頃から衰退が始まり、各蔵の〈精気〉が次々に虚していくことで、老化が進むとされている。しかし、中年に始まるとされる〈精気〉衰退の表れは、その時期に初めて生じるものではなく、それ以前からひそかに進行していたものが、ただその時期に顕在化してきただけと考えることができる。

 私はこれらの経文を踏まえつつも、自分の臨床経験も加味して、〈五蔵〉の〈精気〉の虚を次のように読み替えたいと思う。

 生まれたばかりの乳児は、他人の加護を一瞬も欠かすことのできない、究極の弱い存在である。身心ともに究極の受動的状態であり、こころの状態としては、なお両親との一体感の中にある。しかし、〈精気〉という観点からすれば、乳児こそ根源的な〈精気〉が最も充実している瞬間とみるべきである。この〈精気〉の充実を、乳児の起居動作その他から、陰陽の観点からいえば「〈陽気〉の最も盛んな状態」と呼んでもよい。乳児の弱さとは、ただ後天の気血がいまだ決定的に不足していることから来るものであって、根源的な〈精気〉の充実は、表面上の筋力とか運動能力、体の大きさとは無関係である。しかし、私たちは、どうしても表面上の現れに目を奪われがちである。

 乳児は食物の摂取と、親やその他の人間との交わりを経て、時間とともに成長する。体は大きくなり、やがて歩けるようになり、知識が増え、言葉をしゃべることができるようになる。生まれてから十数年も経てば、鍛えれば鍛えるほど、筋力は増強し、運動能力は向上する。知的な能力もそうである。同時に、身心ともに両親からの分離が行われる。中国医学風にいえば、〈後天の精気〉あるいは〈気血〉はどんどん充実する。そして、それが、静かに進行する〈先天の精気〉の衰退を見えなくさせてしまうのである。

 若さの盛り、元気のただ中にある若年者でも、ふとそうした〈精気〉の消耗を感じることがある。それは多くの場合、病気、あるいは一時的な身心の消耗の際に突然起こることがある。二十歳で「もう若くない」と感じたり、三十歳で「人生を降りる」と考えることは、高齢者が考えるほど感傷的でも滑稽でもない。若さというものは、確かに輝かしいものであるが、それがやがて失われてしまうことが定まっているという意味で、痛ましいものでもある。

ポイント

  • 『素問』上古天真論篇には〈五蔵〉の〈精気〉が虚していく過程が記されている!
  • 女は七、男は八の倍数の年齢での変化を示した、あの条文にも〈精気〉が!
  • いくら若づくりしても〈精気〉は失われている!

強い外見、弱い内面――過労としての〈精気〉の虚

 生まれた瞬間から始まる〈精気〉の虚の進行とは別に、通常の生活自体が〈精気〉の虚を進行させる。しかし、それは多くの場合、一時、一期のものであり、いわば後天の精気に関わるものである。

 そもそも人間は、生きていれば、身心に大きく傷を負ったり、弱さを抱え込むことは避けられない。しかし、人間は身心の弱さ、あるいは精神的な貧困の意識があればあるほど、かえって肉体や精神が強まるものである。本当に強くあるためには、弱くなくてはならないというパラドックスがそこにはある。身心に何かの傷を負った人間が、強硬な性格となり、強靱な肉体を持つことは珍しくない。私の臨床経験からいっても、強い精神や肉体を持つ人間は、例外なく、それに対応した弱さを持っているものである。

 もちろん、過労やストレスも長期間にわたり、過剰なものであれば、それは根源的な〈精気〉の虚損につながる。第一次産業や第二次産業中心の社会であれば、肉体的な過労、過重労働が原因となる。日本でいうならば、1870年代から1950年代以前の社会がそれにあたる。しかし、第三次産業主体の社会に転換して以降、私たちを疲労困憊させるものは、主として睡眠不足と、自分あるいは他人との関係のなかの精神的葛藤である。この精神的葛藤の問題については、今後の連載の中で詳しく述べることにする。

ポイント

  • 精神的な貧困で肉体や精神が強まる!
  • 本当に強くあるためには、弱くなくてはならない!
  • 睡眠不と精神的葛藤で〈精気〉は失われる!

老化は病である

 〈五蔵〉にある〈精気〉の虚とは軽い疲れといったようなものではない。〈精気〉の虚とはつまり不可逆的な老化である。そして、老化そのものが一種の病気なのである。『素問』や『霊枢』の中には、五蔵の支配領域として、五主(筋、脈、肉、皮、骨)であれ、五液(涙、汗、涎、涕、唾)、五竅(目、舌、口唇、鼻、耳)であれ、自分の意のままにならないもの、鍛えられないものが挙げられているのは、象徴的である。年々歳々の絶対的な〈精気〉の虚の進行は、それらの領域に、様々な異変をもたらす。その土台の上に、過労やストレス、あるいは寒暑といった病因とも相まって、様々な病気が生起する。

 世間には、〈鉄の男〉と見なされているような人間たちがいる。激しい運動で鍛えた体、他人の非難にも揺るがない強い意志、何事も躊躇無く行う実行力、極端に少ない睡眠時間でもやっていける体力、高齢にもかかわらず水泳をしたり、大型バイクを操ったりする若さ……。それは、しばしば、弱さから逃れられない私たちの、とめどない憧憬と拝跪の対象ともなる。

 しかし、〈五蔵〉の〈精気〉の虚という東洋医学的な見地からすれば、そうした〈鉄の男〉は、一つの幻影にすぎない。人は誰もそのように生きることはできないからである。
 自分は強いと思い込み、あるいは他人にそのように見られ、体を鍛え続けているにもかかわらず、年々歳々足腰は弱り、手は震え、手すりにつかまってようやく階段を上っても、息切れはなかなか止まず、一夏ごとに視力は低下し、耳は鳴り、そのうち聞こえなくなってくる。特に食欲の減退と睡眠の障害は決定的である。いや、体力の減退とともに、眠ることも食べることもできなくなる。食欲も睡眠も、大小便の排泄も、すべて自分一身のことでありながら、自分の意のままにならない。そして、その果てにやってくるのは、生死の問題である。

 〈精気〉の虚の結末ということを考える時、私はいつも秦の始皇帝のことを想起する。司馬遷の『史記』秦始皇本紀には、中国全土を統一し、諸国を制圧して絶対の権力を得、領土を拡張し、様々な改革を行っていく始皇帝のエネルギッシュな活動を活写する中に、前後の脈絡もなく「韓終、侯公、石生に仙人不死の薬を求めさせた」という一句がさりげなく差し込まれている。やがて始皇帝は病に倒れる。死の前、「始皇帝は死を嫌ったので、群臣は誰も死ということを口にしなかった」とあるのが印象的である。

ポイント

  • 『素問』や『霊枢』の五蔵の支配領域は「意のままにならない」もの!
  • 鉄の男も美魔女もまぼろし!
  • 強靱だった秦の始皇帝は死を嫌い、病に倒れた!

〈蔵府〉と〈精気〉の思想の意味

 中国医書における〈蔵府〉と〈精気〉についての言説には、人間の生理(蔵象)あるいは病態(病証)を一つの全体像として説明するとともに、生病死の全過程に関する内容が込められている。また、今後、詳述するように、人間と自然との関係や、人間の意識についての?説明にも重要な意味を持っている。それは『霊枢』経脈篇に詳述されている経脈学説の空間的な病理理論や、『傷寒論』の三陰三陽の時間的な病位理論にはないものである。

 ちなみに、〈蔵府〉や〈五蔵〉についての記載は、医書以外にも散見する。しかし、経脈理論と三陰三陽の病位理論は医書にしか見られないように思われる。これは一つの仮説であるが、〈五蔵〉とその〈精気〉の理論は、道家思想の側からもたらされたもの、経脈学説や三陰三陽の病位理論は、鍼灸と湯液の専門的な実践から生まれたものかもしれない。

ポイント

  • 〈蔵府〉と〈精気〉は生病死の全過程に関係する!
  • 〈五蔵〉とその〈精気〉の理論は道家思想が根本か?

更年期症状の不眠に鍼治療が効果的 中国発信のRCT結果

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建部陽嗣

コクランメタアナリシスでも実証されていた不眠への鍼

 女性の更年期とは、閉経の時期をはさんだ前後10年間のことを指す。この時期に卵巣の機能が低下し、女性ホルモン(エストロゲン)の分泌が急激に減少する。結果としてホルモンのバランスが崩れ、月経周期の乱れやエストロゲンの欠乏により心身にさまざまな不調が表れることになる。更年期のさまざまな不調を「更年期症状」といい、仕事や家事など日常生活に支障をきたしてしまうほどの重いものを「更年期障害」と呼んでいる。

 更年期の症状は、いわゆるホットフラッシュといわれるほてりやのぼせなどの症状を含む自律神経(血管運動神経)系の症状が一般的であるが、月経異常や性交痛などの性器症状、肩こり、腰痛などの運動器系の症状、不安感、イライラ感、うつなどの精神神経症状など多岐にわたる。とくに、更年期の不眠症(Perimenopausal insomnia:PMI)は、女性の生活の質を著しく損ない、期間中の有病率は35〜50%と多い[1]。
 PMIは、入眠困難や早朝覚醒を特徴とし、閉経期の女性ではその症状はより重症で長期間に及ぶ。最も効果的な治療法は、ホルモン補充療法と認知行動療法とされている。しかし、他の基礎疾患を抱え薬物療法に消極的な患者も多く、また、わが国では不眠症に対する認知行動療法は一般的ではないため、安全で効果的かつ実行可能な治療が必要だといえる。

 鍼治療はどうだろうか。
 2012年に発表されたコクランメタアナリシスでは[2]、薬物治療の補助として鍼治療を使用した場合、不眠症に対して臨床的に有効であるという結果が出ている。これまでにもランダム化比較試験がいくつも行われており、鍼治療は原発性不眠症およびうつ病に関連した不眠症の治療に比較的効果的であることが示されている。

 そんななか、2020年12月、PMIに対する鍼治療効果を検討した論文が上海中医医院のLiらによって発表された。「Electroacupuncture versus Sham Acupuncture for Perimenopausal Insomnia: A Randomized Controlled Clinical Trial.(更年期女性の不眠症に対する鍼通電療法vs. sham鍼:ランダム化比較試験)」[3]と題されたこの論文では、更年期女性の不眠症に対して鍼治療の短期的および長期的な効果を調べるために、非侵襲的なsham鍼とその効果を比較したランダム化プラセボ対照試験が実施された。今回はこの論文を読み進めたいと思う。

Liらの臨床試験プロトコルは81人の患者を対象に実施

 Liらの臨床試験のプロトコルは、2019年5月に公開されている[4]。これにより、試験終了後の値を見てから、都合のよい解釈をすることを防ぐことができる。近年、中国や韓国は、ある程度の規模の鍼灸に関する臨床試験を行う際、プロトコルの詳細を論文にして公表することが多くなってきている。そうすることによって、鍼灸に関するエビデンスの信頼性を高めている。

 対象者は、2018年10月~2019年12月、診療所・病院に関するWeChatの広告、ポスターを通じて、上海市中医医院で募集された。WeChatとは、中国大手IT企業が開発したメッセージングアプリである。日本ではLINEが一般的だが、WeChatはアクティブユーザー数が世界第3位の規模で、中国では最もポピュラーなアプリの1つといえる。中国ではこのような方法で臨床試験参加者を募っており、とても先進的な動きをしていることにも驚く。

 包含基準は、①ICSD-3(睡眠障害の国際分類)基準を満たす、②45〜60歳、③少なくとも6カ月間の無月経、④ピッツバーグ睡眠質問票(PSQI)で合計点が6点以上、⑤腎陰虚または腎陽虚である。
 除外基準は、①ホルモン補充療法および/または抗うつ薬を使用中、②手術による無月経の誘発、③深刻な身体的疾患、④他の外的要因によって引き起こされる不眠、⑤PSQIで15点を超えるスコア、⑥エスタゾラムを除く催眠薬の使用、⑦ 過去6カ月間に更年期症状に対して鍼治療を受療、である。

 106人の女性患者が臨床試験の参加に申し込みがあったが、5人が説明後の参加拒否、17人が基準を満たしていないことから、計84人の参加者が2群(鍼治療群、sham鍼治療群:各42人)に振り分けられた。鍼治療群では2人、sham鍼治療群では1人が途中で脱落したため、鍼治療群40人、sham鍼治療群の41人の参加者が治療を完了した。欠測値は、脱落を起こした時点での値を、単純に代入値として利⽤するLOCF(Last Observation Carried Forward)法で値を代入した。

 鍼治療は、8週間にわたって18回×30分間実施された(週3回を4週間、その後週2回を2週間、週1回を2週間)。主要経穴は、百会(GV20)、神庭(GV24)、齦交(GV28)、気海(CV6)、関元(CV4)、両側の安眠(Ex-HN22)、三陰交(SP6)、神門(HT7)である。追加経穴は、腎陽虚に対しては命門(GV4)と腎兪(BL23)が、腎陰虚に対しては太渓(KI3)と復溜(KI7が)選ばれた。

 滅菌済みの使い捨て鍼(0.25×40mmおよび0.30×40mm)を10~30mmの深さまで刺入し、患者が得気(Deqi感覚)を報告するまで手動で操作した。GV20とGV28に対しては、連続波、周波数2.5 HZ、強度4.5 mAの鍼通電療法が行われた。その後、30分間置鍼した。

 sham鍼治療グループの参加者には、非侵襲的プラセボ装置であるStreitberger針が用いられた。Streitberger針は切皮するとマジックナイフのように鍼体が鍼柄の中に入り、外見的には刺入したように針が短くみえる世界で最も用いられているsham鍼である(図1 )。台座をくっつけることで刺入されていなくても針が倒れることはない。通常の鍼にも台座が使われており、患者はどちらの鍼治療を受けているのか視覚的にはわからなくなっている。

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 経穴は、鍼治療群で使用されたものと全く同じであるが、刺入はされていない。また、鍼通電療法においても電気は流れないように設定された。

 鍼治療以外の不眠症に対する治療は、新たに加えないように指導した。ただし、すでにエスタゾラム(1-2mg)を投与されている参加者に関しては、介入期間中継続して使用が許可された。ベースライン時に不眠症に対してエスタゾラムを使用していた患者は、鍼治療群で9人、sham鍼治療群で10人であった。

Liらが用いた主要評価項目と副次評価項目

 主要評価項目は、ベースライン時と鍼治療終了時(8週目)のピッツバーグ睡眠質問票(PSQI)の変化とされた。PSQIは、7つのサブスコア(睡眠の質、入眠潜時、睡眠時間、睡眠効率、睡眠障害、日中の機能障害、睡眠薬の使用)で構成される、0〜21点で評価する自己評価質問票である。PSQIを、ランダム割り当て前(ベースライン時)、治療中(4週目)、治療終了時(8週目、主要評価時点)、およびフォローアップ期間中(12週目と20週目)に評価した。

 副次評価項目は、

  1. 更年期障害特有の生活の質に関する質問票(Men-QoL):0週、4週、8週、12週、20週
  2. アクチグラフに記録された睡眠指標(TST:総睡眠時間;SE:睡眠効率;SA:睡眠覚醒;AA:平均覚醒数;WASO:中途覚醒):0週、8週
  3. 不眠症重症度指数(ISI):0週、8週
  4. 自己評価不安尺度(SAS):0週、8週
  5. うつ性自己評価尺度(SDS):0週、8週

であった。対象者は、試験終了時に彼女らが受けた治療が「鍼治療」「sham鍼治療」、もしくは「わからない」の3択で評価した。加えて、鍼治療に関連する可能性のある有害事象(AE)すべてが記録された。

 ベースライン時の、社会人口統計学的特徴、臨床的特徴、不眠症の危険因子に関して両群間で差はみられなかった。参加者の平均年齢は52.5歳、不眠症の期間は39.7カ月であった。最初の治療の前に実施した、鍼治療に対する期待に関するアンケートで、ほとんどの女性が自分のPMIが鍼治療によって改善されると信じていると述べた。

鍼治療を続けて3カ月後の変化、sham鍼との有意差も

 まず、主要評価項目についてだが、PSQIのベースライン時からの変化は、鍼治療群で-3.76、sham鍼治療群で-1.38であり、その差は-2.38となり有意であった。面白いことに4週の時点ではこの有意な差はみられず、12週および20週のフォローアップ期間ではその差は大きくなった(図2)。PSQIの7つの要素の中でも、睡眠時間、睡眠の質、睡眠障害、習慣的な睡眠効率において、2群間で有意な差が認められた。

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 次いで、副次評価項目である。Men-QoLにおいてもPSQI同様の結果が観察された。鍼治療群は、治療後の8週、およびフォローアップ期間の12週と20週において、Men-QoL血管運動分野および身体分野でsham鍼治療群よりも低いスコアを示した。ただし、心理社会的および性的分野については、どの時点でも群間に有意な差はなかった。

 アクチグラフを用いた睡眠状態の評価では、治療終了時においてTST、SE、AAの項目で、鍼治療群のほうがsham鍼治療群と比較して有意な改善を認めた。ただし、SAとWASOには有意な差はみられなかった。

 不眠症の重症度、不安、うつ状態の副次評価については、不眠重症度のISIと不安評価のSASで、鍼治療群のほうがsham鍼治療群と比較して有意に低い値となった。しかし、うつ状態評価のSDSには差は認めなかった。

 エスタゾラムの服用に関して、治療後、鍼治療群の3人がエスタゾラムの服用を止め、sham鍼治療グループの1人がエスタゾラム療法を開始することになった。盲検化の評価に関して、sham鍼治療群の盲検化は成功してはいたが、鍼治療群のほうがより多く正しく推測できていた。有害事象は、鍼治療群で2人(出血1人、痛み1人)、sham鍼治療群では1人(痛み)であったが、それらすべて軽度であり、被験者は脱落せずに試験を完了した。

鍼治療により交感神経やホルモン分泌が調整される可能性

 いかがであっただろうか。更年期症状への鍼治療というと自律神経(血管運動神経)系に焦点が当てられることが多い。対して、Liらは不眠症に注目した。Liらの半標準化、患者の盲検化、ランダム化された、sham対照試験では、8週間の電気鍼療法がPMIの患者に対してsham鍼治療よりも効果的であることを示した。鍼治療が、睡眠時間の延長、睡眠の質の改善、睡眠障害の減少、習慣的な睡眠効率の向上に影響を与えることが示唆され、これらの影響はすべて、フォローアップ期間中でも観察された。

 つまり、鍼治療が短期的な症状緩和だけでなく、治療後3カ月まで続く長期的な改善をもたらすということである。これらはアクチグラフを用いた評価でも検証された。加えて、いくつかの更年期症状(血管運動神経領域および身体領域)および不安の改善を認め、重篤な有害事象は1件も見られなかったのである。

 鍼治療がどのような機序でPMIを軽減するかは不明である。Liらは、鍼治療が交感神経中枢である延髄吻側腹外側野(RVLM)の酸化ストレスを軽減し、交感神経興奮性を調節するのではないかと考察している。加えて、視床下部-下垂体-副腎系の活動亢進の調節、視床下部での糖代謝を減衰なども考えているようである。

PMI患者の場合、エストラジオールの低下と黄体形成ホルモン量の上昇が大きく関与していると考えられる。鍼治療によって、エストラジオール、卵胞刺激ホルモン、および性ホルモンを安定させる黄体形成ホルモンの量が改善する過去の報告にも注目している[5]。

 更年期症状に当てはまる不調には別の病気が潜んでいる場合もあり、実際に施術を行うには注意が必要ではあるが、鍼治療の効果が強く期待される結果であることに違いはない。日常生活に支障が出るほどではないが、不調を訴える患者に対しては積極的に鍼治療を勧めてみてはいかがだろう。

【参考文献】
1)Prairie BA, Wisniewski SR et al. Symptoms of depressed mood, disturbed sleep, and sexual problems in midlife women: cross- sectional data from the study of Women’s Health Across the Nation. J Womens Health (Larchmt). 2015;24(2):119–26.
2)Cheuk DK, Yeung WF et al. Acupuncture for insomnia. Cochrane Database Syst Rev. 2012.
3)Li S, Wang Z et al. Electroacupuncture versus Sham Acupuncture for Perimenopausal Insomnia: A Randomized Controlled Clinical Trial. Nat Sci Sleep. 2020;12:1201-13. https://doi.org/10.2147/NSS.S282315
4)Li S, Yin P et al. Effect of acupuncture on insomnia in menopausal women: a study protocol for a randomized controlled trial. Trials. 2019;20(1):308.
5)Zhu H, Nan S et al. Electro-Acupuncture Affects the Activity of the Hypothalamic-Pituitary-Ovary Axis in Female Rats. Front Physiol. 2019;10:466.

病証と〈蔵府〉〈精気〉の考え方

篠原孝市

病証学に欠かせない〈内気〉の陰陽的分類

 前回、私は、中国古代の自然学である〈気〉という認識、ならびにその人体への適応として五蔵、経脈、精神、気血、営衛、津液などのカテゴリーのあることについて述べた。そして、その第一に来るべきものが、〈内気〉としての〈五蔵〉あるいは〈蔵府〉であり、それが唐代までの医書においてどのように系統化され、重要視されたかについて解説した。

 この〈内気〉が一つであれば、一気の流通と滞留が、外に現れて様々な症状を起こすというふうな、シンプルな医学となったであろう。しかし、古代中国人は、常に人体を構造的に捉えようとする。すなわち一つのものを一つのものとして見ず、陰陽や五行の〈関係〉として見ようとする。したがって、人間を一つの個体として見ず、〈外形〉と〈内気〉の二つのカテゴリーの一体不可分の〈関係〉と見たように、〈内気〉自体も二つの〈気〉、すなわち〈蔵〉と〈府〉とその間の〈関係〉というふうに捉えた。

 『素問』金匱真言論篇の「人身の蔵府中の陰陽を言うときは、則ち蔵は陰為り、府は陽為り。肝心脾肺腎の五蔵は、皆な陰為り。胆胃大腸小腸膀胱三焦の六府は、皆な陽為り」や『霊枢』終始篇の「五蔵は陰為り。六府は陽為り」とは、単に蔵府を二分し、それぞれに所属する蔵府を列挙しただけではない。そこに陰陽という原理を介在させることで、蔵と府が一体不可分の〈関係〉にあることをも表している。しかし、これらの条文だけでは、〈蔵〉と〈府〉それぞれの具体性はまだ理解できない。

ポイント

  • 古代中国人は、人体の構造を〈外形〉と〈内気〉と捉えた!
  • そして〈内気〉は〈蔵〉と〈府〉という一体不可分の〈関係〉と捉えた!

〈蔵〉と〈府〉の意味と文字についてーー「臓腑」との違い

 「蔵」は、『玉篇』に「隠匿なり」とあるように、蔵匿、蓄蔵の意味を持ち、転じて文書や器物を蓄える場所を指す。「府」も、『説文』に「文書の蔵(くら)なり」とあって、意味が「蔵」と相通じる。この二文字を重ねた「府蔵」とは、倉あるいは倉に蔵したものを指す言葉である。内蔵(内気)あるいは内臓(はらわた)という意味は、ここから派生した。
 内蔵(内気)を二分する際に、わざわざ意味の近い「蔵」と「府」という文字を使って表記したことは、両者が類似しながら相違していることを表わしている。『脈経』巻第一・脈形状指下秘決第一所載の二十四脈状において、意味の近似する「軟」「弱」という言葉を使って類似する脈状「極軟而浮細」「極軟而沈細」を区別していることに似ている。

 後代、専ら「五蔵」や「六府」を意味する漢字として作られた文字が、「蔵」「府」に「にくづき」を付けた「臓」「腑」である。日本の経絡治療では、この先行する文字である「蔵」「府」で表記し、現代中医学やその強い影響下にある日本の中国医学用語辞典では、後出の文字である「臓」「腑」で表記する傾向にある。ただ、影宋何大任本『脈経』などを見てもわかるように、古医書の古い版本においては、両者はしばしば混用されており、「蔵腑」などという例すら珍しくない。
 つまり、過去の用例自体が統一されたものではなく、したがってどちらを使ってもよいのであるが、各文字の成り立ちや先後関係を知っておくことは重要であろう。ちなみに、私自身は中国医学の蔵府概念と現代医学の臓器概念とを区別する意味から、専ら「蔵」「府」を使用する。

ポイント

  • 〈内気〉である「蔵」「府」には、どちらも「蓄蔵」の意味がある!
  • 「蔵府」「臓腑」は文字の成り立ちに違いがある!
  • 「蔵府」「臓腑」はどちらの漢字を使ってもよい!

用語解説

『玉篇』(ぎょくへん):第1回用語解説参照。

〈蔵〉と〈府〉の役割と、〈蔵〉がおさめる精気

 〈蔵〉と〈府〉の性格を端的に表す条文としてしばしば引かれるのが、『素問』五蔵別論篇の「五蔵とは、精気を蔵して寫さざるなり。故に満てども実すること能わず。六府とは、物を伝化して蔵さず。故に実すれども満つること能わざるなり」の一節である。このうち、「精気」は『素問』新校正注に引く全元起本や『太素』『甲乙経』では「精神」となっていることから、劉衡如張燦玾は「精神」に改めている。ただし、胡天雄は「古代には「精」「気」「神」三字は通用し、「精気」と「精神」も同じ意味で使用できる」とする。

 『霊枢』にはこれを敷衍したような経文がいくつかある。
 たとえば本蔵篇には「五蔵は、精神、血気、魂魄を蔵(おさ)むる所以の者なり。六府は、水穀を化して津液を行(や)る所以の者なり」とある。また衛気篇の「五蔵は、精神、魂魄を蔵(おさ)む所以(ゆえん)の者なり。六府は、水穀を受けて行物を化す所以の者なり」も本蔵篇と同義である。『素問』五蔵別論篇にいう「精気(精神)」は、「精神」「魂魄」「血気」を総体的に述べたものと見なすことができる。

 しかし、こうした複数の〈気〉を〈五蔵〉と関わらせることになったため、「精神」「魂魄」「血気」「津液」などの〈気〉を再定義する必要があった。それが決気篇の「黄帝曰く、余、聞く、人に精気津液血脈有り。余、意(こころ)に以為(おもえら)く、一気ならくのみと。今、乃ち弁(わか)って六名と為す。余、其の然る所以を知らず、と。歧伯曰く、両神相搏(まじ)わりて、合して形を成す。常に身に先だちて生ずる、是を精と謂う、と。」云々の経文であったと考えられる。
 また、『霊枢』本神篇では刺法と絡めて「凡そ刺の法、必ず先ず神を本とす。血、脈、營、気、精、神、此れ五蔵の蔵す所なり」とする。この箇所は「血脈、営気、精神」と読むこともできるが、本神篇後文の「肝は血を蔵す、血は魂を舎(やど)す」「脾は営を蔵す。営は意を舎す」「心は脈を蔵す。脈は神を舎す」「肺は気を蔵す。気は魄を舎す」「腎は精を蔵す。精は志を舎す」に基づいて読むことにする。
 両文を対応させると、後文の〈五蔵〉の司りには「神」が欠けているが、郭靄春孫鼎宜の説を引いて、前文の「神」を衍文としている。

ポイント

  • 五蔵におさまっているのは「精気」!
  • 「精神」「魂魄」「血気」が五蔵と関係している!
  • 複数の気が関わったことから、五蔵との関係を再定義した!

用語解説

劉衡如(りゅうこうじょ):1900~1987。仏教ならびに古典文学の研究者であったが、1959年以降、中国医学古典の本文校訂に従事し、特に校勘学の方法によって、大きな成果を遺した。校訂書に『甲乙経校注』(1962)、『黄帝内経素問』(1963。通称「梅花本」「横排本」)、『霊枢経(校勘本)』(1964)、『黄帝内経太素』(1964)、『本草綱目』校点本(1975)、『本草綱目』新校注本(1998)があるが、『素問』と『太素』にはその名が記されていない。長く埋もれていたその業績は、錢超塵の論文「劉衡如先生的中医文献学成就」(中医薬文化2014年第一期。錢超塵『中国医史人物考』所収)と同著者の『黄帝内経太素新校正』の前言によって再評価された。『黄帝内経素問(梅花本・横排本)』『霊枢経(校勘本)』は現在も『素問』『霊枢』に関する必備の研究書である。

張燦玾(ちょうさんこう):1928~2017。胡天雄(1921~)、方薬中(1921~1995)、李今庸(1925~)と並ぶ1920年代生まれの医史文献研究家。1959年以来、山東中医学院で教鞭をとるとともに、1964年からは徐国仟(1921~1995)とともに『鍼灸甲乙経』を考究し、山東中医学院校釈の『針灸甲乙経校釈』(1979)を主編した。また徐国仟、宗全和とともに山東中医学院・河北医学院校釈の『黄帝内経素問校釈』(1982初版、2016第2版)の主編者の一人をつとめた。その後、徐国仟とともに再び『甲乙経』を取り上げ、大作『鍼灸甲乙経校注』(1996)を完成させている。張燦玾は医史文献学全般に通じており、『中医古籍文献学』(1998初版、2013第2版)、『黄帝内経文献研究』(2005初版、2014修訂版)を著しているほか、『張燦玾医論医案纂要』(2009)、『張燦玾医論医話集』(2013)などの医論集も遺している。

胡天雄(こてんゆう):1921~。湖南中医学院の中医師。著書『素問補識』(1991)は、多紀元簡の『素問識』と多紀元堅の『素問紹識』の成果を踏まえて、その未だ解せざる点を解明しようとしたもので、経文の考証は厳正かつ的確である。『素問補識』は後に補訂され、多紀父子の前記二書とともに『素問三識』(2011)と題して刊行されている。

郭靄春(かくあいしゅん):1912~2001。龍伯堅(1900〔1899あるいは1901〕~1983)、劉衡如に続く、近代中国の代表的医史文献研究者。特に医経と目録学の分野で傑出した業績を遺した。医経関係の校注ならびに主編として『黄帝内経素問校注語訳』(1981)、『霊枢経校釈』(1982)、『黄帝内経霊枢校注語訳』(1989)、『黄帝内経詞典』(1991)、『黄帝内経素問校注』(1992)、『新医林改錯/内経・素問分冊』(1992)、『八十一難経集解』(1984)、方書関係では『東医宝鑑』(1995)、『傷寒論校注語訳』(1996)、『金匱要略校注語訳』(1999)、目録学関係では『河北医籍考』(1979)、『中国分省医籍考』(1984)、『中国医史年表』(1984)、『中国鍼灸薈萃・現存鍼灸医籍巻』(王雪苔と共編。1993)がある。

孫鼎宜(そんていぎ):清末の医家。湖南省湘潭の人。生没年未詳。最初は儒学を学んだが、父親の死をきっかけに医学に転じ、1905年には日本に留学して西洋医学を学んだあと、晩年は湖南国医専科学校で教鞭をとったとされる。著書に『傷寒雑病論章句』(1906自序)、『医学三言』(1906自序)、『傷寒雑病論読本』(1907自序)、『黄帝内経章句』(1907自序)、『難経章句』(1907自序)、『脈経鈔』(1907自序)、『明堂孔穴』(1907自序)、『鍼灸知要』(1907自序)があり、後に『孫氏医学叢書』(1932自序)にまとめられた。『明堂孔穴』と『鍼灸知要』は、古代の兪穴書『明堂』復元の最初の試みである。

 
 〈六府〉については、私たちはすぐに現代解剖学の消化管のイメージとして受け取ってしまいがちであるが、古代中国では人体の解剖は、本連載第2回で述べた王孫慶欧希範のような、処罰に伴う、歴史的にもごく稀な例を除いて、体内の実見はほぼ皆無である。当時の医家の依拠できたものは、甚だ不正確な解剖図と、動物の解体によって得られたその体内の知識程度しかなかったことを想起する必要がある。したがって、〈気〉としての〈六府〉は、水穀(食物)を伝化すること、すなわち物を食べることに始まり、大小便の排泄に至る、その過程の総体を指していると考えるべきである。この動的な過程が、陽の〈内気〉(府)とされたのである。

 〈五蔵〉の「精気を蔵す」とは何を意味しているのであろうか。
「精」は『説文』に「択(えら)ぶなり」とあるが、段玉裁に従って「米」を補って「米を択ぶなり」に作り、よく精米された米を意味する。そこから派生した意味が、純粋、正しさ、細やかさ、精密、微小であり、天においては日月、星辰を意味することから、明るさや光にも通じる。つまり「精気」は清純の気である。

 ちなみに『管子』内業篇の「精なる者は、気の精なる者なり」の「精」は心の在り方という意味での「精神」のことと解されるが、「精気」と解しても通じるように思われる。

 「精神」はしばしば心の在り方と解釈される言葉であるが、『淮南子』精神訓の篇名に附された高誘の注に「精は人の気、神は人の守りなり」とあるように、「精神」を心の在り方ではなく、人の生命を支える根源(精気)と解釈すべき経文も少なくない。

ポイント

  • 「六府」の気は飲食から排泄に関与している!
  • 〈五蔵〉の「精気」は清純の気!
  • 「精神」を心の在り方ではなく、人の生命を支える根源(精気)

用語解説

王孫慶(おうそんけい):第2回の用語解説参照。

欧希範(おうきはん):第2回の用語解説参照。

段玉裁(だんぎょくさい):第1回の用語解説参照。

『管子』(かんし):中国春秋時代の斉の管仲(?~前645)に仮託された著者未詳の政治経済学書。前漢までに成立し、『漢書』芸文志に八十六篇が著録されたが、現存するものは七十六篇。法家や道家、儒家など複数の立場からの論説を含む。代表的注解書に安井息軒(1799~1876)の『管子纂詁』(1965)などがある。『管子』には、水地篇や内業篇など、中国医学を考える上における重要な篇が少なくない。

『淮南子』(えなんじ):二十一篇。一名「淮南鴻烈解(わいなんこうれつかい)」。前漢の淮南王(わいなんおう)劉安(前179~前122)の命を承けて編纂された思想書。成書年未詳。道家を中心に、先秦の諸思想を百科全書的に編纂したもの。後漢に許慎と高誘の注があったが、現在は高誘の注のみ伝存する。『淮南子』には精神訓を始めとして中国医学と関わりのある記述が少なくない。

『素問』『霊枢』の「精気」について

 「精気」という言葉は『素問』『霊枢』の中に数多く見られるが、その意味は一様ではない。しかし、その内容は以下の三つに大別することができる。

 第一は生命の根源としての精気である(金匱真言論篇「精は身の本なり」。脈要精微論篇の「五蔵は、身の強なり」と呼応)。その直接の源泉は男女の精気にある。したがって、後述する食物から得られた精気〈後天の精気〉と区別して、〈先天の精気〉と呼ばれるものである。上古天真論篇には、女子の場合「二七にして天癸至り、任脈通じ、太衝脈盛んにして、月事時を以て下る。故に子有り」とあり、「天癸」に対して楊上善は「精気なり」と注している。男子の「二八にして腎気盛んに、天癸至り、精気溢し寫し、陰陽和す。故に能く子有り」も同様である。上古天真論篇のこの一節は「此れ子有りと雖も、男は八八を尽すに過ぎず、女は七七を尽すに過ぎずして、天地の精気、皆な竭く」と締めくくられている(「天地の精気」とは男女の精気の意)。

 第二は水穀精微の気、つまり営衛気血津液を精気と呼ぶ例である。
 食物摂取によって得られた精気であるから、〈後天の精気〉と呼ばれる。経脈別論篇の「飲は胃に入りて、精気を遊溢し、上、脾に輸す。脾の氣は精を散じ、上、肺に歸し、水道を通調し、下、膀胱に輸す。」、小針解篇の「水穀は皆な胃に入り、其の精気は上りて肺に注ぎ、濁は腸胃に溜る」がそれである。

 ただ、水穀精微の気を説明するために「営気」「衛気」という概念が現れてからは、精気(精神)や気血との間の概念整理を行う必要が生じたと思われる。その例が営衛生会篇の「営衛とは、精気なり。血とは、神気なり。故に血と気は、名を異にして類を同じくす」である。
 これは気(営衛)も血も同じ「精神」という気であるという意味であると理解される(ただし、『備急千金要方』巻第二十・三焦虚実第五や『外台秘要方』巻第六・三焦脈病論には異文「衛は是れ精気なり、営は是れ神気なり」が見えるので、疑義がないわけではない)。
 奇病論篇の「五味は口に入り、胃に蔵さる。脾はこれが為に其の精気を行(や)る」や厥論篇の「脾は胃の為に其の津液を行るを主る者なり……胃和せざれば則ち精気竭(つ)く」も中焦脾胃と精気の関わりを述べたものである。また痺論の「栄は、水穀の精気なり。五藏を和調し、六府を灑陳し、乃ち能く脈に入るなり」、衛気篇の「其の浮気の経を循らざる者を、衛気と為す。其の精気の経に行く者を、営気と為す」のように、営気(栄気)のみを精気と呼ぶ例もある。

ポイント

  • 『素問』『霊枢』の中の「精気」は、3つの意味に分けられる!
  • 第一は生命の根源としての精気!
  • 第二は水穀精微の気、つまり営衛気血津液を精気と呼ぶ例!

 
 第三は呼吸としての精気である。

 その数少ない例は、五味篇で、水穀が胃に入った後、五蔵と営衛の道に行き、その一部が胸に止まって「気海」となり、それが「肺に出で、喉咽を循る。故に呼(は)けば則ち出で、吸えば則ち入る。天地の精気、其の大数、常に三を出して一を入る。故に穀入らざること半日なれぱ則ち気衰う。一日なれば則ち気少なし」となる。

 経文中の「天地の精気」は『太素』に従い「天の精気」とするのが正しい。つまり、人の生存は地からの水穀(穀物)の摂取と、天の精気(空気)の呼吸によって支えられているとの考えである。

 呼吸については、上古天真論篇にも「精気を呼吸して、独立して神を守る」とあるように、〈形〉とは対象的な〈神〉を養うための重要な手段「調息」であった。『荘子』刻意篇に見える「吹呴呼吸。吐故納新。熊経鳥申」三句は、長生法として有名である。

ポイント

  • 第三は呼吸としての精気!

精気を損傷させるもの

 このように、親から受け継いだ〈先天の精気〉、食物から得た〈後天の精気=地の精気〉、そして呼吸することによる〈天の精気〉が人間の精気の全体を構成する。

 そして、五蔵に所蔵されるこの精気は絶え間ない損傷にさらされる。邪気と対立する(玉機真蔵論篇「邪気勝る者は、精気衰うるなり」、通評虚実論篇「邪気盛んなれは則ち実し、精気奪わるれば則ち虚す」)だけではない。自身の心と体の働き、食物を摂取すること自体によって、時間の経過とともに次第に損耗していき、様々な形で身体と心の在り方を損なうことにつながってい行くのである(疏五過論篇「精気竭絶すれば、形体毀沮す」)。

ポイント

  • 五臓に所蔵される精気は損傷にさらされている!

中国の研究グループが発表した刺絡療法の臨床結果

建部陽嗣

2020年11月、「世界鍼灸雑誌」に掲載された論文

 World Journal of Acupuncture – Moxibustion誌という雑誌を知っているだろうか?
「世界鍼灸雑誌」と訳されるこの雑誌は、世界鍼灸学会連合会(The World Federation of Acupuncture – Moxibustion Societies:WFAS)、中国中医科学院 鍼灸研究所(Institute of Acupuncture and Moxibustion, China Academy of Chinese Medical Sciences)中国鍼灸学会(China Association of Acupuncture and Moxibustion)が主催する、英語の学術雑誌である。医学・科学技術関係を中心とする世界最大規模の出版社であるエルゼビア(Elsevier B.V.)から刊行されている。

 2020年11月5日、この雑誌に大変興味深い論文が掲載された。安徽(あんき)中医薬大学第二附属病院リハビリテーション科のSunらによる「Observation on the effect difference in migraine treated with the combination of acupuncture and blood-letting therapy and medication with carbamazepine(鍼治療と刺絡療法の併用、カルバマゼピン投薬による片頭痛に対する効果の違いに関する観察)」と題された論文である。題名の通り、刺絡療法の効果を検証している[1]。

 カルバマゼピンは、テグレトールという商品名で有名な抗てんかん薬の一つである。神経の伝達を抑える作用を持つことから、痛みの情報が神経を伝わるのを抑えて痛みを和らげる効果を得ることができる。

 片頭痛は、日常生活に支障を呈する場合が多く、頻度が多いもののまだまだ見逃されているといわれている。日常生活に支障をきたすことも多く、虚血性心疾患や高血圧につながることもあるため、積極的な予防・治療が必要となる。さまざまな薬が予防・治療に一定の役割を果たすが、副作用の存在に注意を払わなければならない。

Sunらが用いた研究方法と診断

 Sunらの研究方法を見てみよう。

 近年、片頭痛に対して鍼灸が効果的であることが示された[2]。また、中国では、片頭痛に対する鍼灸アプローチ方法は、96%が鍼治療、77%が刺絡療法であるといわれている[3]。そのため、Sunらは片頭痛治療において、鍼治療と刺絡療法の組み合わせの効果を調査した。
 ①鍼治療+刺絡療法、②刺絡療法、③カルバマゼピンの3群に30人ずつ、計90人の片頭痛患者をリクルートした。片頭痛の診断は国際頭痛学会の診断基準に基づいて下された。中医学的な診断は、以下の5つのパターンに分けられた。

  1. 肝陽亢進による頭痛:頭と目の膨張性の痛み、神経過敏、熱気、口苦、紅い顔色、黄苔を伴う紅舌、弦脈、速脈
  2. 血虚による頭痛:頭の鈍い痛み、繰り返しの発作、顔色に光沢がない、動悸、薄白苔、糸のように細くて弱い脈
  3. 痰濁による頭痛:食欲不振、吐き気、嘔吐、胸部と心窩部の膨満感、白苔、ひもをぴんと張った脈
  4. 瘀血による頭痛:固定性、持続性、難治性の刺すような痛み、暗紫舌、薄白苔、糸状で躊躇的な脈
  5. 腎虚による頭痛:頭の痛みと空虚感、腰部と膝関節の痛みと脱力感、苔の少ない紅舌、糸状で弱い脈

 この研究に参加した患者の基準は、(1) 片頭痛の診断基準に準拠、(2) 1年以上の片頭痛歴、(3) 3カ月に少なくとも2~4回の発作、(4) 吐き気、嘔吐、光過敏などを伴う、(5) 神経学的検査、脳波、画像検査で異常なし、(6) 12~75歳、(7) 説明に基づく同意の7項目であった。

 一方、除外基準は、(1) 原発性疾患(心臓、肝臓、腎臓、造血系など)を有している、(2) 妊娠または授乳中の女性、(3) 精神状態の異常またはコミュニケーション困難、(4) 7日以内に片頭痛のために他の薬を服用した、(5) 関係する他の薬による臨床研究に参加の5項目であった。また、試験中断の基準は、(1) 患者自身による撤退とフォローアップの損失、(2) 感染症、出血性疾患、肝臓および腎臓の機能障害など、治療中に深刻な副作用または内部障害の発生の2項目とした。

鍼治療+刺絡療法による症状の変化

 鍼治療+刺絡療法の方法は以下のとおりである。

 鍼治療は、刺絡と吸い玉療法とを組み合わせて実施された。主要な経穴は、百会(GV20)、印堂(EX-HN3)、風池(GB20)、太陽(EX-HN5)、列欠(LU7)、太衝(LR3)であった。これら主要な経穴に鍼を刺入した。
 肝陽亢進タイプの患者には、丘墟(GB40)に瀉法(穏やかに刺入し、力強く持ち上げ、最初に深い層で操作し、次いで浅い層で操作する)を加えた。
 血虚タイプの患者には、気海(CV6)と足三里(ST36)に対して補法(力強く押して軽く持ち上げ、最初に浅い層を操作し、次に深い層を操作する)を行った。
 痰濁タイプの患者には、中脘(CV12)と豊隆(ST40)を加え、鍼で均一に刺激した。
 瘀血タイプの患者には、血海(SP10)と膈兪(BL17)に鍼刺激を均一に加えた。
 肝虚および腎虚タイプには、肝兪(BL18)と腎兪(BL23)とが加えられ、補法の手技で刺激を加えた。治療頻度は1日1回、12回だった。

 刺絡および吸い玉療法は、大椎(GV14)に対して施された。GV14を消毒後、事前にポピドンヨードで消毒した左手で局所の皮膚をつまむ。右手に三稜針を持ち、4~6回素早く刺入する。その後、局所で火を用いた吸い玉治療を行った。出血が止まったのち吸い玉を外し、局所を消毒した。
 患者には、感染を防ぐために、12時間は刺激部位を水につけないようにアドバイスした。刺絡治療は3日に1回の頻度で実施され、4回の治療で1コースとし、それを計2コース行った。
 西洋治療薬は、カルバマゼピン錠が処方され、1日2回、24日間服用した。

 Sunらは片頭痛に対する評価に関して、(1)発作頻度、(2)QOLへの影響、(3)持続時間、(4)随伴症状に関して点数化して比較した。すると、3群ともに治療前に比べて治療後で有意な改善がみられた。

 そのなかでも、鍼治療+刺絡療法群は、刺絡療法群、西洋医学群と比較して明らかに症状の改善が認められたのである。刺絡療法群と西洋医学群との間に差はみられず、効果の程度はほぼ同じであった(表1)。

表1 治療前後の片頭痛評価スコアの比較
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 また、痛みの程度に関してVASにて評価すると、この評価においても、3群ともに治療前に比べて治療後で有意な改善がみられた。そのなかでも、鍼治療+刺絡療法群は、刺絡療法群、西洋医学群と比較して明らかに症状の改善を認め、刺絡療法群と西洋医学群との間に差はみられなかった(表2)。

表2 治療前後の3群間のVASスコアの比較
acupopj_ronko_20201214_2

 治療効果に関しては、以下の公式を用いて評価した。
(治療前の片頭痛スコア ー 治療後の片頭痛スコア)/ 治療前の片頭痛スコア × 100
  完治:治療後に片頭痛発作がなく、1カ月以内に片頭痛発作が生じていない
  著効:合計スコア50%以上の減少
  効果あり:合計スコア21~50%の減少
  効果なし:合計スコア20%以下

 すると、鍼治療+刺絡療法群は、刺絡療法群、西洋医学群と比較して明らかに効果的であることが示され、刺絡療法群、西洋医学群との間には差はなかった(表3)。
 つまり、鍼治療+刺絡療法群は、刺絡療法群、西洋医学群よりも明らかに優れており、刺絡療法と薬物治療による効果の間には差がないことが示された。

表3 治療後の3群間における臨床治療効果の比較
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日本の鍼灸界は刺絡療法のスタンスを明確に

 いかがであっただろうか。
 鍼治療単独の群が設定されていないため、Sunらの論文で何を証明したかったのかは少々分かりにくい。刺絡療法は薬物療法と同程度の効果を持つが、鍼治療を加えるとその効果は非常に大きくなるということになる。少しできすぎた感じのするデータではあるが、何より中国では片頭痛治療に刺絡療法が浸透していることがこの論文からうかがえる。

また、ここまでしっかりとした臨床研究が実施されていることに筆者は正直驚いた。特に、今回の論文では詳しく刺絡の方法が記載されている。そのなかでも、消毒に関して徹底されている印象を持った。

 この消毒方法が適しているのか議論はあるものの、刺絡療法に関しては、通常の鍼治療や採血での消毒操作ではなく、腰痛穿刺レベルの消毒を実施されていることがうかがえる。伝統の技であっても、現代に即した衛生操作を取り入れなくてはならないことはいうまでもない。

 では、日本における刺絡療法を取り巻く環境はどうだろうか。
 1990年より日本刺絡学会が、刺絡鍼方の普及と発展のため、学術大会、講習会を精力的に開催している。一方で、全日本鍼灸学会では刺絡療法に関する発表ができない時期もあった。その後、刺絡療法検討委員会が学会内に設置され、2014年には、道具、刺絡部位の目標、出血量、消毒、安全性への配慮などを明記することを条件に発表が認められることになる。
 しかし、その後も当学会より刺絡療法に関する論文が出された記憶はない。ましてや、国際的な雑誌に刺絡療法の論文が出されるような状態にはないといえるだろう。

 わが国においても刺絡療法の効果を検証し、どのような道具・手技を使い、衛生操作をするべきなのか幅広く議論する必要がある。その結果として、今一度、刺絡療法に対して鍼灸界がどのようなスタンスをとるのか、しっかりとしたコンセンサスを打ち出すべきなのではないだろうか。

【参考文献】
1)Sun X, Sun S et al. Observation on the effect difference in migraine treated with the combination of acupuncture and blood-letting therapy and medication with carbamazepine. World Journal of Acupuncture – Moxibustion. In Press.  https://doi.org/10.1016/j.wjam.2020.10.008

2)Sun P, Li Y. Effect of acupuncture therapy based on multiple-needle shallow needling at Ashi point on cephalagra with syndrome of qi and blood defi- ciency. J Clin Acupunct Moxibust 2016;32(6):49–51.
3)Hu J, Wang XY et al. Transformation of the do- mestic standard (Guideline for Clinical Practice of Acupuncture-Moxibustion: migraine) to international standard: in the perspective of the differences in clinical questions. Chin Acupunct Moxibust 2020.

病証と〈気〉〈内気〉〈五蔵〉の関係

季節の移り変わりに見る〈気〉

 前回、私は、中国医学の病態認識形成の特徴として三つの点を指摘した。

 第一は体内にある臓器や血液などの解剖学的実体を、その〈物〉としてのイメージを引きずったまま不可視の〈気〉に転じたこと、第二はそれを陰陽五行説でカテゴリー化したこと、第三は自覚的あるいは他覚的な生理的・病理的現象(外形)を、カテゴリー化された〈気〉の体系によって解析し、説明したことである。この解析と説明こそ、現在いうところの蔵象学であり、病証学である。

 ところで、こうした〈気〉による現象の解釈は、中国医学に特有のものではなく、中国古代の自然学の認識の一つにすぎない。〈気〉と現象の表れは、たとえば春夏秋冬とその変化に対する認識の中に典型的に現れている。

 たとえば、春の気候は、〈春気〉の働きとされる。しかし、〈春気〉なるものは存在しない。暦は春とはいえ、なお真冬と変わらない厳しい寒さ、晩秋から初冬には見られない空の明るさ、地表における雪の消失、氷解による河川の水量の変化、草花は芽生え、樹木は花を咲かせ、野山を美しく彩り、それまで何カ月も見ることのなかった虫や動物が姿を見せる……。東アジアの季節の歳時記というべき七十二候に「東風解凍(はるかぜ、こおりをとく)」、「魚上氷(うお、こおりをはいずる)」、「桃始笑(もも、はじめてさく)」と美しく表現される、その総体が〈春気〉の実体である。
 こうしたことからもわかるように、原因であるはずの〈気〉とは、実は一定の現象の総和、結果なのである。

 中国の〈気〉の自然学には、いくつかの特徴がある。一つはその時節にふさわしい一定の現象が様々なカテゴリーで横断的、かつ一斉に起こるということである。もう一つは、この〈気〉には時間的変遷がある。つまり時間の経過とともに、その〈気〉の極点において別の〈気〉に移行する。
 春は夏に変わり、秋は冬へと移行し、終わりなく循環する。この時間的な変化こそ、自然界における〈気〉の存在の根拠である。この変遷は寒暑や春夏秋冬、二十四節気、七十二候、あるいは「五運」や「六気」など様々に呼ばれる。

 ただし、同時に忘れてはならないことは、その法則や循環(順)には、そこからの逸脱(逆)という要素が常態として織り込まれているということである。寒冷の夏や温暖の冬がそれである。それらは個々の場面では異常であるが、長い時間のスタンスの中では常態である。順と逆は対立しながら、実は一つのものの両面である。

ポイント

  • 〈気〉による現象の解釈は、中国古代の自然学の一つ!
  • 春夏秋冬、時間的な変化は自然界における〈気〉の存在の根拠!
  • 寒冷の夏や温暖の冬のような「逆」の要素が常にある!

中国医学古典による人体内の〈気〉の説明

 一方、人体の〈気〉、つまり〈内気〉と生理現象あるいは病症状を説明する方法は、自然を説明する場合よりも、一層複雑である。

 〈内気〉のカテゴリー化とは、〈気〉をただ一つと見なさず、〈内気〉を構造化し相互に関係づけることによって、病態を構造的に把握しようとする考えにつながっている。こうした考え方は、症状や病名に特効穴や特効薬を直接結びつける経験治療や、一つの〈気〉の滞りや偏りをもって病態の根本原因とする〈一気留滯〉的な考えとは対照的である。

 中国医学古典の中に見られる〈内気〉には、深部の五蔵六府、表層の経脈、そして〈内気〉の様々な変形である精神、気血、営衛、津液などがある。また病理の分野では痰飲がある。しかし、古来、〈内気〉の第一と考えられてきたのは、五蔵である。

 五蔵の蔵象は、『素問』『霊枢』『難経』『傷寒論』『金匱要略』の諸篇に散見するが、蔵象の条文は『素問』に顕著である。特に金匱真言論、陰陽応象大論、霊蘭秘典論、六節蔵象論、五蔵生成篇、宣明五気篇、五運行大論などには総括的な記載が見られる。

 『素問』の最初の部分に蔵象の記載が集中しているのは、現行本『素問』の再編者である王冰の意図が働いていると考えられる。

 なお、これまでしばしば使ってきた「蔵象」という言葉は、六節蔵象論に見られるものである。

 『霊枢』では本輸、邪気蔵府病形、本神、本蔵、五味の諸篇に比較的まとまった記載が見られる。

 この『素問』『霊枢』に見える蔵象については、唐代では楊上善『黄帝内経太素』巻第六・蔵府之一が、宋元以降では朱丹溪『素問糾略』形体蔵府性情略、滑寿『素問鈔』蔵象、張介賓『類経』蔵象類、李中梓『内経知要』蔵象、汪昂『素問霊枢類纂約註』蔵象などが五蔵およびその他の関連条文を集めて注解を加えており、参考になる。

 『素問』『霊枢』諸篇に述べられた藏象は、蔵の陰陽(陽中の陽は心など)、蔵府の表裏関係、蔵府と経脈の関係といった基礎論から、五主(筋脈肉皮骨)や五竅(目舌唇鼻耳)、五神(魂神意魄志)、五色(青赤黄白黒)、五味(酸苦甘辛鹹)、五液(涙汗涎涕唾)など五蔵所管の各分野に及んでいる。

 また診察の分野で最も重要視されるのは、五蔵の脈証と病証である。特に五蔵の脈診は、春夏秋冬の脈状を土台として行われる。それは五蔵それぞれが、〈気〉という点において、春夏秋冬と対応関係にあるとの認識が根底にあるからである。病証については、その蔵が病んだ場合、あるいは虚実の場合の典型的な病症状を挙げる場合が多いが、『素問』痺論に見られるように、特定の病証を「肺痺」「肝痺」のように五蔵分類するという方法も採用されている。その他、蔵の病には五蔵の間における〈伝変〉がしばしば問題となる。

ポイント

  • 中国の医学古典は五臓を中心に人体内の気を説明している!
  • 診察の分野で最も重要視されるのは、五蔵の脈証と病証!
  • 五蔵の蔵象の条文は『素問』にたくさん載っている!

 

用語解説

王冰(おうひょう): 名は冰、啓玄子と号す。唯一の伝記的資料である『素問』に附された王冰の序文と、それに対する宋臣の注によると、王冰は中国盛唐期(712~765)の官僚で、太僕令に任ぜられ、八十歳あまりで没したという。また当時流行していた『素問』に先師張公家蔵の「秘本」を参照して校訂と注解を行うとともに、養生関係の諸篇を最初に移すなどの大幅な構成の変更によって道教風に一変させて、宝応元年(762)に序文を記した。『素問』を現在に伝えた功績のある一方、第六十六篇から七十四篇に至る所謂「運気七篇」を補入したとの説もあり、毀誉褒貶の評価が絶えない。なお王冰の他の著作は早くに佚亡し、現存する『素問六気玄珠密語』『元和紀用経』はいずれも偽作と考えられている。

朱丹溪(しゅたんけい):1281~1358。元代の医家。金元四大家の一人。名は震亨、字は彦修、丹溪はその号である。「陽は常に余りあり、陰は常に不足す」の立場から陰虚火動の解消、すなわち陰気(精気、腎)の保養(滋陰)と、相火(肝や腎が持つ陽気)の降下を主張した。伝記資料として、『丹溪心法』に附された宋濂「故丹溪先生朱公石表辞」、戴良「丹溪翁伝」がある。自著は代表作『格致余論』(1347)及び『局方発揮』『本草衍義補遺』の三書にすぎないが、門人や後世医家の編纂した医書に、戴思恭『金匱鈎玄』(1358。一名「平治会萃」)、楊楚玉『丹溪心法』、呉尚黙『丹溪手鏡』、王世仁『脈因証治』、高賓『丹溪治法心要』などがある。

滑寿(かつじゅ):1304?~1386。元末明初の医家。字は伯仁、攖寧生(えいねいせい)と号した(「攖寧」の語は『荘子』大宗師篇による)。『明史』に伝が見えるほか、李濂『医史』巻之八に朱右の手になる長文の伝と治験が見えるが、これは日本の上村二郎右衛門無刊記本や元文六年(1741)本『診家枢要』にも附載されている。代表的著作である『難経本義』(1361)、『十四経発揮』(1341)は日本の江戸期に繰り返し重刊され大きな影響を及ぼした。その他の著作として『診家枢要』(1359)、『読素問鈔』(『黄帝内経素問鈔』『素問鈔補正』)、『五臓方』(日本宝暦七年〔1757〕本)が伝存する。

張介賓(ちょうかいひん):第2回の用語解説参照

李中梓(りちゅうし):1588~1655。明末の医家。字は士材、念莪、凡尽居士と号した。生没年は李中梓の門人・郭佩蘭『本草匯』の記事に基づく。代表的著書である『内経知要』(1642)は『素問』『霊枢』の経文を摘録して八分類とし附注したもので、張介賓の『類経』の縮約版の趣がある。『医宗必読』(1637)は通論、脈法、本草、傷寒、雑証からなる医学全書である。また『診家正眼』(1642)は、先行する滑寿『診家枢要』、李時珍『瀕湖脈學』、呉崑『脈語』と並ぶ明代脈書の白眉である。

汪昂(おうこう):1615~1694?。明末清初の医家。号は訒庵。本草や方剤学に優れ、南宋の陳言や明の呉崑の医説を尊重した。代表的著作に後世方剤学の規範となった『医方集解』(1682)、『素問』『霊枢』を類別に分類して注解した『素問霊枢類纂約註』(1689)、常用される薬物の要旨を述べ、『本草綱目』などの不備を補った『本草備要』(1694)がある。

『素問』『霊枢』以降、隋の時代までの五蔵

 『素問』『霊枢』の後を承けて著された『難経』では、陰陽や寒熱など様々な問題が扱われているが、やはり医論や脈論の中心となっているのは、五蔵論である。しばしば指摘される『難経』の五行説とは、『難経』の著者が意図的に強調しようとしたものではなく、実は五蔵を論じることによって強いられた結果であると私は考えている。

 後漢の頃に成立したとされる最古の兪穴書『明堂』では、五蔵に関わりが深いものとして、『霊枢』本輸篇に基づく手足の五兪穴や、『霊枢』背腧篇をさらに展開したものと考えられる背部兪穴がある。腹部の募穴は『難経』六十七難に「募」一語として登場するが、兪穴や募穴と蔵府の関係を明らかにしたのは、『明堂』が最初である。
 後漢のあと、王叔和は『脈経』巻第三の諸篇において、『素問』『霊枢』などから蔵府条文を集約し、さらにそれに現在は佚亡した『四時経』を加えて五蔵五府の病証を整理した。これは最初の本格的な蔵府論の初めであった。

 やはり後漢のあとに出たとされる『甲乙経』は、巻之一で蔵府、巻之二で経脈、巻之三で兪穴、巻之四で脈法、巻之五で鍼法、巻之六以降に医論、病論と鍼灸の主治を載せていることから、蔵府論を基礎とする鍼灸書として構成されていることがわかる。
 『脈経』以降、本格的に蔵府論を展開したのは、孫思邈『備急千金要方』で、その巻第十一~巻第二十の各巻に、心主を除く十一蔵府を充て、それぞれの蔵象、脈証、病証について詳細に論を展開している。
 また同書の巻第二十九・五蔵六腑変化傍通訣第四では、五蔵に所属するカテゴリーを56条の一覧表にまとめ、続く『外台秘要方』巻第三十九・五蔵六腑変化流注出入傍通では、これに更に24条を加えた。

ポイント

  • 『難経』の五行説は五蔵を論じた結果の説!
  • 兪穴と蔵府の関係を最初に明らかにしたのは『明堂』!

用語解説

『難経』(なんぎょう):中国の後漢に成立したとされる医書。古くは「八十一難」「八十一問」などと呼ばれたが、唐代以降、『素問』『鍼経』『明堂』と並んで、「黄帝」の名を冠して「黄帝八十一難経」と呼ばれるとともに、『史記』に見える伝説上の名医・秦越人の著作に擬された。早く三国時代から注解の対象となり、唐代初期に楊玄操が再編注解して、現在の『難経』の祖型が確立した。唐宋までの古注は南宋以降に『王翰林集註黄帝八十一難経』(『難経集註』)にまとめられ、元明以降の新注では滑寿の『難経本義』が最も大きな影響を及ぼした。また宋代以降は、脈書『王叔和脈訣』と併せて注解刊行され、当時の脈学に影響を与えた。

王叔和(おうしゅっか):中国・三国・魏(一に西晋あるいは呉)の太医令。『医心方』巻第二十九、『太平御覧』巻七百二十二に引く高湛の『養生論』によれば、名は熙で、字である叔和をもって行われた。その伝は正史には見えず、前掲『太平御覧』や『甲乙経』の皇甫謐序所載の記事しか徴すべきものがない。諸家の医説、脈論を引いて『脈経』十巻を編纂したほか、『傷寒論』の原型である『張仲景方』十五巻を編纂したとされる。

『四時経』(しじけい):『脈経』巻第三に多数の引用が見える、現在は失われた古医書。「四時経」の引用は、おそらく『脈経』からの引用であろうが、『素問』玉機真蔵論の新校正注にも見える。森枳園は『脈経』から条文を採録して、『四時経攷注』一書を輯佚した。

『甲乙経』(こうおつきょう):12巻。中国の魏晋南北朝に、『素問』『霊枢』『明堂』の三書を再編した鍼灸書。古来、皇甫謐(215~282)の撰とされてきたが、近年、疑義が提出されている。宋以前には『素問』『鍼経』『難経』『明堂』と並ぶ書として、「黄帝」を冠して「黄帝甲乙経」などと呼ばれたが、元明以降は鍼灸書として扱われている。『素問』『霊枢』の校勘資料であるとともに、佚亡した古代の兪穴書『明堂』の復元資料としても重要である。

孫思邈(そんしばく): 581~682。その伝は『旧唐書』と『唐書』に載せられている。『老子』や『荘子』、あるいは百家の説に通じ、傍ら仏説を好んだとされる。朝廷からしばしば召されたが応じず、在野にあって医療や著作に努めた。代表的著作は『備急千金要方』と『千金翼方』であるが、『千金翼方』については若干の疑義がないわけではない。

『外台秘要方』(げだいひようほう):40巻。王燾の撰。中国盛唐期(712~765)の752年成立。『備急千金要方』『千金翼方』と並ぶ唐代の医学全書。各項の冒頭に『諸病源候論』を引いて病機、病因を述べ、次いで方書を引いて治療法を述べるという体例は、その後の医学全書に大きな影響を及ぼした。唐以前の医学文献からの引用で構成され、引用に際しては引用書名が明示されていることから、現在では失われたしまった医書の輯佚資料としても重要である。とりわけ宋改以前の『傷寒論』の古本が引用されていることから、森枳園はそれらを集めて『張仲景方十八巻』を復元している。なお本書については1981年に『東洋医学善本叢書』所収の宋版をもって唯一のテキストとする。従来流布してきた明版とその重刊本は原型を損なっており、使用すべきではない。

『千金翼方』(せんきんよくほう):『備急千金要方』『外台秘要方』と並ぶ唐代の医学全書で、『新修本草』の内容が見られることから、659年以降の著作とされる。189門に方論2900余条を収める。孫思邈が『備急千金要方』を補うために著作したとされてきたが、その構成や内容は『備急千金要方』とは大きく異なっているだけでなく、道家の説を引く例が多いことから、託名の可能性もある。

江戸期の医書にみる日本の五蔵研究

 日本では江戸後期、尾張浅井家が主宰する尾張医学館で、「五蔵六腑変化傍通訣」に龔廷賢滑寿馬蒔などの諸本から抜粋した「薬性歌括」「諸病主薬」「十四経穴分寸歌」を加えて四書とし、浅井正封の校正編集を経て、天保10年(1839年)に刊行している。幕末の考証医家・森枳園も『素問攷注』の生気通天論の注でこの表をとりあげ、「此の図に据らば則ち一目瞭然、生剋の理、得る可し」と高く評価している。

 また江戸の鍼灸の分野では、江戸初期から前期の鍼灸流派・意斎流がこの傍通訣を鍼灸術の根底に置いた。意斎流と関わりのある鍼灸書『鍼灸抜萃』『鍼灸要歌集』には「五臓の色体」という章名も見られる。
 わが国独自の言葉であるこの「色体」という言葉は、大正から昭和の初期に五蔵を重要視した沢田健がこの名称を踏襲したことから、昭和時代を通じて「色体表」として広く流布、定着した。ただ、現在の日本の鍼灸用語辞典などではその出自を問うことなく「五行色体表」「五行の配当表」と称するか、まったく取り上げない場合すらもある。

ポイント

  • 「色体」は五蔵を重要視した沢田健が江戸期のいずれかの古典のなかから踏襲した言葉!
  • 日本独自の「五行色体表」「五行の配当表」の言葉は近年の辞書では出典すら問題とされない!

用語解説

尾張浅井家(おわりあざいけ): 浅井家はもと京都にあったが、医系三代の浅井周伯(正純)の時、曲直瀨玄朔の門人・饗庭東庵の高弟である味岡三伯(1629~1698)の門人となり「浅井の四傑」として名を挙げた。周伯は『素問』『霊枢』に通じ,浅井家の内経学の祖ともなった。四代の東軒(正仲)の時、尾張藩に招かれて侍医となり、尾張浅井家の祖となった。五代の図南(政直)は『素問』『霊枢』と李朱医学に通じ、医家として盛名を極めた。その後、六代南溟(正路)、七代貞庵(正封)、八代紫山(正翼)、九代九皐(正贇)と続いて江戸後期の医学に存在感を示した。十代国幹(正典)は明治期の漢方存続運動を主導したが敗れ、そこで尾張浅井家は絶えた。

龔廷賢(きょうていけん):1522~1619。明代中期の医家。字は子才、雲林と号した。代々医学を業とする家に生まれ、父・龔信ととともに名医と評された。父の著書『古今医鑑』を補訂刊行(1576)したほか、代表的著作に『種杏仙方』(1581)、『万病回春』(1587)、『雲林神彀』(1591)、『魯府禁方』(1594)、『寿世保元』(1615)、『済世全書』(1616)、『普渡慈航』(1632)などがある。なかでも『万病回春』は日本江戸期の最初の百年間に20回ほども重刊され、広く流布した。刻舟子『万金一統鈔』(1641序、1684刊)、野村謙亨『万病回春発揮』(1693)、苗村丈伯『俗解龔方集』(1694)、あるいは岡本一抱『回春指南』(1688)、『万病回春脈法指南』(1730)、『万病回春病因指南』(1695)、堅田絨造『万病回春名物考』(1799)などは、龔廷賢の医学の影響の大きさをよくあらわしている。

馬蒔(ばじ):中国・明代後期の医家。字は仲化、玄台(一に元台)と号した。万暦年間(1673~1619)に太医院正文に任ぜられた。著書に『素問註証発微』(1586)、『霊枢註証発微』(1588)、『難経正義』(1580)、『脈訣正義』(1588)がある。『註証発微』両書は、宋代以降最初の『素問』『霊枢』に対する本格的注釈であり、特に『霊枢註証発微』は『霊枢』全篇への最初の本格的な注解として高く評価されている。

浅井正封(あざいまさよし):1770~1829。江戸後期の医家。尾張浅井家の第七代。名は正封、貞庵と号した。尾張藩藩医として医療に尽力するとともに、医学館を設立、『素問』『霊枢』『難経』『扁鵲倉公列伝』『傷寒論』『金匱要略』などを講じ、門人は三千人に及んだとされる。1827年以降、仁和寺秘蔵の古巻子本『黄帝内経太素』や『新修本草』を転写させた。著書に子孫が筆記・補足した『方彙口訣』(1865)、『金匱要略口訣』がある。

森枳園(もりきえん): 1807~1885。江戸後期の考証医家。名は立之(たつゆき)、字は立夫、枳園と号し、養真、養竹と称した。祖は御薗意斎の高弟・森宗純である。伊沢蘭軒門人の渋江抽斎の門下となり、安政元年(1854)に医学館講師に任ぜられ、『宋本素問』『医心方』の校刻に従事するとともに、医学館での講義を行った。主要な著書に『素問攷注』(1864)、『傷寒論攷注』(1868)、『本草経攷注』(1857)があるほか、渋江抽斎とともに善本解題書『経籍訪古志』(1856)を撰し、師である伊沢蘭軒の『蘭軒医談』(1856)や狩谷棭齋の『箋注倭名類聚抄』(1883)の刊行にも尽力した。

意斎流(いさいりゅう):織豊期から江戸初期に活躍した鍼家・御薗意斎(1557~1616)を祖とする鍼灸流派。その術を伝える書に森共之(1669~1746)著『意仲玄奥』(1696)がある。病証による選穴と灸法が主流であった古代・中世の鍼灸に対して、腹部による五蔵の診察に基づく施術という決定的な転換を行った。腹部への打鍼(うちばり)という手技でも知られる。夢分斎伝『鍼道秘訣集』(1685)、渡辺東伯『鍼法奇貨』(1680)、安井昌玄『鍼灸要歌集』(1695)など無分流の流れをくむ鍼灸書、あるいは『鍼灸抜萃』(1676)やその後継書である『鍼灸重宝記』(1718)などの啓蒙的鍼灸書も、早い段階で意斎流と分枝した可能性があるが、詳細は未詳。

沢田健(さわだけん): 1877~1938。大正、昭和時代初期の鍼灸師。民間療法、対症療法化していた日本近代の鍼灸に対して、五蔵や色体表を重視することを通じて、古典を土台とする全体治療「太極療法」を提唱し、柳谷素霊や経絡治療家の先駆的存在となった。鍼灸にまつわる奇矯かつ神秘的なその言説は、代田文誌による聞書集『鍼灸真髄』に詳しい。

唐の時代の医書が重視していたこと

 
 ここで唐代の古医書の再編注解における五蔵論について触れておけば、まず唐の初期に『難経』を再編注解した楊玄操は、全体を十三章に分類し、そのうちの五章の章名に「蔵府」を冠している。これは『難経』の五蔵論的性格を踏まえた命名ではあるが、各章名は総合的にみて、適切とはいえない。
 初唐期に楊上善が著した『黄帝内経太素』三十巻では、巻第五と巻第六が蔵府の巻となっている。冒頭の諸巻に養生論的内容が置かれていることを別にすれば、その構成は、『甲乙経』にやや類似している。

 また同著者の『黄帝内経明堂』十三巻は各巻に一経脈が充てられているが、各巻の冒頭に、おそらく元来の『明堂』にはなかったであろう蔵象の文章が置かれている。これは唐代の蔵府重視を反映したものと見られる。
 盛唐期に『素問』を再編注解した王冰の五蔵論重視については既に述べたとおりである。

 ちなみに、六朝の成立とも、また五代頃の著作ともいわれ、宋代から明代までの脈学に決定的な影響を及ぼした『王叔和脈訣』もまた、五蔵を中心とする脈書ということができよう。
 こうして、五蔵とその蔵象や病証、脈証は、唐代を通じて完備し、元明以降の五蔵論の展開を準備したのである。

ポイント

  • 五蔵とその蔵象や病証、脈証は、唐代を通じて完備した!

用語解説

『備急千金要方』(びきゅうせんきんようほう):略称「千金方」。30巻。孫思邈著。中国・初唐(600年代)成立。唐の始めまでに成立した医方書や鍼灸書を集大成した、唐代の代表的医学全書。232門に方論5300余首を採録している。本書には宋改をうけた南宋版(金沢文庫旧蔵本、日本嘉永二年(1849)江戸医学館覆刻本)と、宋改を経ていない『孫真人千金方』(陸心源旧蔵本)の二種があるので注意を要する。

楊玄操(ようげんそう):中国・初唐(600年代)の人。呂広注本『難経』を得て、再編注解し、現在の『難経』の祖型を確立させた。また『黄帝明堂経』を注解し、『宋史』芸文志その他に『素問釈音』『鍼経音』など音釈の書が著録されているが、全て佚亡している。『王翰林集註黄帝八十一難経』(『難経集註』)の序文及び注文中の「楊曰く」部分に佚文を見ることができる。『外台秘要方』巻第三十九に多数見える「楊操音義」や「甄権千金楊操同」の「楊操」も楊玄操への言及とみられる。

楊上善(ようじょうぜん):中国・初唐(600年代)の人で、太子文学の地位にあった。医書への注解として『黄帝内経太素』『黄帝内経明堂類成』があるほか、『旧唐書』経籍志や『唐書』芸文志には楊上善の手になる『老子』や『荘子』の注解書や思想書が著録されている。

『黄帝内経太素』(こうていだいけいたいそ):30巻。楊上善撰注。錢超塵の説によれば、初唐(600年代)後半、662~670年の間に成立。『素問』『霊枢』の経文を19類に分類して附注したものである。経文は唐宋の改変を受けている『素問』『霊枢』よりも古態を遺すことから、その注解も含めて、『素問』『霊枢』の一級の校勘資料、訓詁資料として珍重される。中国では宋元の間に佚亡したが、日本江戸後期に京都の仁和寺で発見され、現在、仁和寺に23巻、武田科学振興財団杏雨書屋には仁和寺からの流出分2巻、計25巻が伝存する。

『黄帝内経明堂』(こうていだいけいめいどう):13巻。楊上善撰注。一名「黄帝内経明堂類成」。中国・唐の前期(600年代)頃に成立。中国古代の兪穴書『明堂経』、またはその唐代の一伝本『黄帝明堂経』に対する注解書。大半は失われ、日本の仁和寺と尊経閣文庫に第一巻のみ伝存する。十二経脈それぞれに一巻をあて、最終巻に奇経八脈を加えて十三巻とし、各経脈に関係する蔵象と所属兪穴について述べている。唐の752年に成立した『外台秘要方』の巻第三十九の主治条文と同様、全て兪穴を経脈に配当し、かつ兪穴ごとに部位や主治、鍼灸法を集約しようとする志向により成立した、唐代の代表的兪穴書である。

『王叔和脈訣』(おうしゅっかみゃっけつ):歌訣形式で書かれた脈書。編者とされる高陽生については六朝の人とする陳言の説(『三因方』)と、五代の人とする王世相の説(『瀕湖脈学』所引)がある。北宋以降、繰り返し注解されるとともに、『難経』と併せ刊行されて、明代までの脈学に大きな影響をあたえた。他方、『脈経』との内容の相違や言辞の鄙俗などの点からの批判も絶えない。

アルコール依存症への鍼 韓国の最新基礎研究

精力的な発表を続ける研究チーム

 本連載第1回でも述べたが、現在、世界で実施されている鍼灸研究のトレンドは臨床試験にとどまらず、そのメカニズムに迫ることである。例えば昨年(2019年)、最も強いインパクトを与えた鍼灸論文の1つは、SCIENCE ADVANCES誌に掲載された「Acupuncture attenuates alcohol dependence through activation of endorphinergic input to the nucleus accumbens from the arcuate nucleus(鍼治療は弓状核から側坐核へのエンドルフィン作動性入力の活性化を介してアルコール依存を弱める) https://advances.sciencemag.org/content/5/9/eaax1342 」だろう1)。今回はこの論文に焦点を当てる。

 SCIENCE ADVANCES誌は、かの有名なScience誌の姉妹誌で、生命科学、物理学、環境科学、数学、工学、情報科学、社会科学において、質の高い研究成果を掲載している。Science Advances誌はオンラインで展開され、オープンアクセス方式で、一般読者に無料で研究論文が提供されているため、誰でも読むことができる。

 今回取り上げる研究は、大邱韓医大学校のChangらによって行われた。大邱韓医大学校の研究チームはこれまでにも、ネズミを使った鍼の基礎研究において数々のインパクトの高い論文を提供し続けている。筆者が「医道の日本」誌で連載していた「鍼灸ワールドコラム」でも、同チームの論文はたびたび紹介している。

 例えば、同誌2014年2月(第33回)では、「海外で研究が進む薬物中毒への鍼刺激効果」と題し、コカイン依存に対する鍼治療効果機序に迫る論文を紹介した2)3)。そのなかでは、手の少陰心経の神門(HT7)への鍼刺激が、触・圧刺激の受容器であるマイスネル小体・パチニ小体を介して比較的太い神経であるA群求心性線維から脊髄へと情報が伝わり、脳内におけるドーパミン代謝に影響を及ぼすことが明らかにされた。

 また、同誌2018年1月(第80回)では、「経穴の解明を試みた韓国の最新研究『神経性スポット』」と題して同チームの論文に着目した。高血圧モデルラットと大腸炎モデルラットでは、出現する神経性の炎症点(神経性スポット)に違いがあり、その点は経穴と一致し、その点に鍼治療を行うと症状が改善される、という内容である。疾患ごとに反応の出る経穴が違うこと、また鍼治療に用いる経穴が異なることの根拠が示されていた4)5)。

 なお、今回のChangらの論文では、アルコール使用障害:Alcohol use disorder 〈(AUD)〉という言葉が用いられているが、本稿では一般的な「アルコール依存症」を使用する。

ラットでの実験――飲酒癖を断ち切れるか

 アルコール依存症は、禁酒期間を設けても、再発を繰り返すことが特徴的で、世界的にみても深刻な医学的問題の1つといえる。アルコール依存症から脱するには、アルコールを渇望する意識の再発を防ぐことがポイントとなる。

 これまでの研究により、アルコール依存症ラットにおいて、慢性的にアルコールを摂取させると、視床下部のβ-エンドルフィンニューロンの活性が低下することが分かっている6)。そして、この視床下部のβ-エンドルフィン活性の低下が、アルコール依存による禁断症状に伴う不快感や抑うつ状態の原因となる可能性がいわれており、継続的なアルコール摂取につながると考えられている。
 さらに側坐核のβ-エンドルフィンは、アルコール依存症の発症と密に関連するストレスへの反応を調整する、とされている。

 また、慢性的なアルコール摂取から離脱させると、側坐核の細胞外ドーパミン量の低下が起こる。そしてそれは、アルコール摂取からの離脱に関連した否定的な感情と身体的離脱兆候の根本原因と考えられ、飲酒行動の再発を引き起こすとされている。

 アルコール摂取がβ-エンドルフィンの活性低下を招き、うつやストレスを発症し、またアルコール摂取へとつながる。逆にいえば、β-エンドルフィンはアルコール依存性の緩和に重要な役割を果たすことが期待できるのである。

飲んだあとの代謝には影響なし

 ここで鍼治療の作用機序に視点を移してみよう。
 鍼治療は、視床下部の弓状核内のβ-エンドルフィン作動性線維およびエンケファリン作動性線維を刺激し、また、鍼治療によって賦活化されるエンドルフィン作動性ニューロンは、側坐核のγ-アミノ酪酸(GABA)ニューロンに発現するオピオイド受容体を活性化することが分かっている7)。
 先述した薬物乱用における鍼治療機序の論文の中にもあったように、HT7への鍼治療によって、側坐核のエンドルフィン作動性入力の活性化を通じて中脳辺縁系ドーパミン放出とアルコール摂取量を調節し、ドーパミン量を回復させることで行動の変容を促すのではないかとChangらは考えた。

 加えて、β-エンドルフィンが側坐核のドーパミン放出を増強するので、鍼治療によって視床下部のエンドルフィン神経線維が刺激され、慢性的なアルコール摂取からの離脱期間中に減少したβ-エンドルフィン量を正常化すると仮定したのである。

 そこでChangらは、
 1. アルコール依存性ラットにおけるアルコール離脱期間の身体的および心理的兆候に対する鍼治療の効果
 2. 鍼治療によるアルコール離脱効果における側坐核の内因性オピオイド系の役割
について評価した。

 アルコールを含まない食事を与えた群(対照群)、アルコールを含んだ食事を与える群(エタノール群)、エタノール群にHT7へ鍼治療を行った群(エタノール+HT7群)の3群の比較を実施している。

 まず、16日間アルコール有り無しの食事を与える。その後アルコールから2時間離脱させ、すぐに鍼治療を行う。鍼治療は機械式鍼治療器具(mechanical acupuncture instrument : MAI)を用い3)、85Hzで20秒間、両側HT7に刺激を加えた。
 対照群、エタノール群、エタノール+ HT7群の平均血中エタノール濃度(BEC)は、それぞれ5.7±1.3 mg / dl、198.9±9.0 mg / dl、180.7±9.1 mg / dlであり、鍼治療によってアルコールの代謝には影響を及ぼさないことが分かった。
 つまり、飲んだ後に鍼治療を受けても酒は抜けない、ということになる。

陽渓ではなく神門、健康ではなく病的状態

 次に、Changらは振戦の評価を行っている(図1)。自動振戦活動監視システムを用いて、離脱時間2時間後のラットを15分間観察すると、エタノール群では10〜22 Hzの振戦が有意に増加していた。しかしエタノール+HT7群では、コントロール群と変わらない値を示した。
 この振戦の減少は、手の陽明大腸経の陽渓(LI5)への刺激では起こらなかった。つまり、心経の経穴であるHT7特異的な反応であることが分かる。そして、このHT7への鍼刺激の反応は、オピオイド拮抗薬であるナロキソンの投与で消失した。このことから、HT7への刺激は、オピオイドを介してアルコール離脱による振戦を抑制したことになる。

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 このことを証明するために、Changらは側坐核のβ-エンドルフィン量を測定した。アルコールを摂取させた群(エタノール群、エタノール+HT7群)では対照群と比較してβ-エンドルフィン量が有意に減少するのだが、エタノール+HT7群では鍼刺激後にβ-エンドルフィン量が2倍以上に上昇する。この反応は、LI5を刺激しても起こらない。加えて、対照群のラットにHT7鍼刺激を行ってもβ-エンドルフィン量は増加しない。つまり、病的な状態で適切な部位に鍼刺激を実施しないと振戦の抑制は生じないのである。

 では、視床下部ではどのような変化が起きているのだろうか。HT7への鍼刺激を受けたラットでは、アルコール有り無しの食事にかかわらず、弓状核内のc-Fos陽性細胞の数に有意な増加を示した。つまり、HT7への鍼治療によって側坐核に投射する弓状核ニューロンの活性化が起きているのである。この反応は、電気的にも測定され、HT7への鍼治療によって放電率が有意に上昇していた。

ドーパミン放出正常化での好影響

 次に心理的な評価である。
これには高架式十字迷路装置が使用された。高架式十字迷路とは、(壁のない)オープンアームと(壁のある)クローズドアームによる十字型の迷路である。ラットは、不安が高いとクローズドアームを好むので、オープンアームにいる時間とクローズドアームにいる時間の量を比較することで、不安の評価に用いることができる。
 エタノール群では、対照群の動物と比較して、オープンアームで過ごした時間の割合が有意に短くなった。対照群では30~40%の時間オープンアームで過ごすのだが、エタノール群では1%にも満たなくなる。しかし、エタノール+HT7群では25%程度に回復する。このような現象は、側坐核内に直接β-エンドルフィンを注入しても起こる。
 つまり、HT7に鍼をすると不安が減少し、そしてこの反応はβ-エンドルフィンによるものと似ている、ということになる。

 Changらはオペラント条件付けの検査も実施している(図2)。オペラント条件付けとは、報酬や嫌悪刺激に適応して、自発的にある行動を行うように学習する、行動主義心理学の基本的な理論である。
 2本のレバーのうち、一方のレバーを引くとアルコールが出て、もう一方のレバーを引くと何も出てこない装置を用いる。すると、エタノール群では、アクティブ(アルコールが出る)なレバーを引く回数が有意に増加する。HT7に鍼刺激を行うと、アルコール摂取の有無にかかわらずアクティブなレバーを引く回数は減少した。β-エンドルフィンを直接側坐核に注入した場合も、アクティブなレバーを引く回数は、HT7への鍼治療と同様の結果を示した。
 つまり、HT7への鍼治療はβ-エンドルフィンと同じように、飲酒の再発予防につながる可能性がある。

 これらの結果から、HT7への鍼治療によって側坐核でのドーパミン放出を正常化させることにより、アルコール依存性の症状緩和に機能的な役割を果たす可能性が示唆された。慢性的なアルコール摂取から離脱することは、中脳辺縁系におけるドーパミンの低下を引き起こし、これがアルコール禁断中の負の情動や離脱症状に対する神経化学的メカニズムだと考えられている。
 この否定的な情動は、アルコール依存症ラットにおける継続的なアルコール探索行動を動機付ける可能性があり、HT7への鍼治療によって生じたアルコール自己投与(アクティブレバーを引く回数)の減少は、ドーパミンの枯渇を抑制した可能性が考えられる。

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通電ではない鍼の刺激で変化

 いかがであっただろうか。
 慢性的なアルコール摂取による依存症では、離脱中の振戦、不安様行動、アルコールの自己投与の増加と側坐核での有意なβ-エンドルフィンの減少を示した。β-エンドルフィンが側坐核のドーパミン量をどのように調節するかはまだ解明されていないが、モルヒネは側坐核のGABAニューロンを阻害し、腹側被蓋野のドーパミンニューロンを阻害しないことが分かっている。

 したがって、β-エンドルフィンは、オピオイド受容体を介して腹側被害野のドーパミンニューロンに投射する側坐核のGABAニューロンに対して、その阻害作用を発揮すると推測される。つまり、アルコールからの離脱中に、側坐核のβ-エンドルフィン、内因性オピオイドの量が低いと、側坐核のGABAニューロンが抑制されなくなり、ドーパミンニューロン活動が低下する。その結果として、不快感や不安な症状が生じる。
 HT7への鍼治療が、アルコール依存性ラットの側坐核で減少したβ-エンドルフィン量を回復することにより、振戦、不安様行動、飲酒行動を抑制したことから、これらの経路に何らかの影響を及ぼしたと考えられるのである。

 鍼治療によってオピオイドが放出されることは全鍼灸師が知っている。それは、鍼麻酔の機序として勉強する。しかし、Changらの結果から、抗不安作用にも同じような機序が関わっていることになる。
 これまでの鍼鎮痛に関わる鍼灸オピオイド説では、数分~数十分の鍼通電刺激が主なものであった。今回のChangらの研究では、鍼通電刺激を用いず(85Hzというのは、その頻度で鍼を動かしているという意味であり、2本の鍼の間に電気を流すわけではない)、それもわずか20秒の刺激で十分な量のオピオイドが放出される可能性が示唆された。また、薬物中毒に対する鍼治療効果を調べた時と同様の結果を示したことから、鍼刺激はC線維だけではなく、太いA線維にも入力があることが分かった点は興味深い。

酒好きへの現実的なアドバイス

 昔から「酒は百薬の長」といわれている。また、これまでの数々の研究で少量ならば飲まないよりは飲んだほうが健康によいとされてきた。
 しかし、2018年、この説は覆ることになる。英ケンブリッジ大学によって行われた研究では、健康の損失を最小限に抑えるお酒の量はゼロであると結論付けている8)。そのなかでは、消費量が増えれば増えるほど、ありとあらゆる原因の死亡率が上がるとも述べている。

 お酒は飲まないことに越したことはないということになるのだが、現実は多くの人が飲酒を楽しんでいる。いくら鍼治療が効果的であるといえども、飲んだ後には鍼治療という前に、ほどほどで留めておくよう指導することが大事なのはいうまでもない。

 
【参考文献】
1)Chang S, Kim DH et al. Acupuncture attenuates alcohol dependence through activation of endorphinergic input to the nucleus accumbens from the arcuate nucleus. Sci Adv. 2019; 5(9): eaax1342. doi: 10.1126/sciadv.aax1342.
2)建部陽嗣, 樋川正仁. 鍼灸ワールドコラム第33回. 海外で研究が進む薬物中毒への鍼刺激効果. 医道の日本 2014; 73(2): 166-8.
3)Kim SA, Lee BH et al. Peripheral afferent mechanisms underlying acupuncture inhibition of cocaine behavioral effects in rats. PLoS One. 2013; 8(11): e81018.
4)建部陽嗣, 樋川正仁. 鍼灸ワールドコラム第80回. 経穴の解明を試みた韓国の最新研究「神経性スポット」とは. 医道の日本 2018; 77(1): 226-8.
5)Kim DH, Ryu Y et al. Acupuncture points can be identified as cutaneous neurogenic inflammatory spots. Sci Rep. 2017 ;7(1): 15214.
6)Scanlon MN, Lazar-Wesley E et al. Proopiomelanocortin messenger RNA is decreased in the mediobasal hypothalamus of rats made dependent on ethanol. Alcohol Clin Exp Res. 1992; 16(6): 1147-51.
7)Mansour A, Khachaturian H et al. Anatomy of CNS opioid receptors. Trends Neurosci. 1988; 11(7): 308-14.
8)Wood AM, Kaptoge S et al. Risk thresholds for alcohol consumption: combined analysis of individual-participant data for 599 912 current drinkers in 83 prospective studies. Lancet. 2018; 391(10129): 1513-23.

病証学は人体の内外を解析する学問

東洋医学には解剖学的知見とは異なる基礎がある

 『史記』扁鵲倉公列伝に見える「病の応は大表に見(あらわ)る」という一節は、中国医学の本質を突いたものとして有名である。しかし『史記』では、その少し前に扁鵲の事跡として「病を視て、尽くに五蔵の癥結(ちょうけつ)を見る」との逸話が置かれている。
 これは、実体臓器に生じた何かの病変を、体表の観察も問診も脈診もなく、透視で察知し得た秦越人扁鵲の常ならざる能力を称揚する一節である。しかし、実際は病の原因である体内を直接知ることの不可能性が象徴されていると読むべきである。中国古代医学では、病を生じさせる根源である〈内〉を実体として捉えることはできない。

 なるほど、人は『霊枢』の腸胃篇、平人絶穀篇、『難経』四十二難に見られる「腸胃」や「蔵府」の容量や形状の詳細な記述を挙げ、『霊枢』経水篇の「其の死するや解剖して之れを視る可し」云々の一節を引き、『漢書』王莽伝の末に見える反逆者・王孫慶の剖検(16)を挙げ、北宋における反逆人・欧希範ら五十六人の処刑の際に描かれた蔵府図『欧希範五蔵図』(1045)とその補訂版である楊介『存真環中図』(1113)に言及して、中国古代医学における解剖学の意義と重要性を強調するかもしれない。しかし、東アジアの古今の医書を通覧すれば、東洋医学の直接の基礎となったものが、そうした解剖学的知見でなかったことは自明である。

ポイント

  • 病を生じさせる根源の〈内〉は問診や脈診を介して捉えられる!
  • 東アジアの古今の医書は解剖学を重視していない!

用語解説

『史記』(しき):中国・前漢の歴史家・司馬遷の撰。前91年頃に成立。本紀、表、書、世家、列伝から構成される紀伝体の歴史書で、伝説上の五帝から前漢の武帝に至る歴史が描かれている。正史二十四史の第一に位置する。列伝の第四十五にあたる扁鵲倉公列伝は、中国古代医家の伝記というに止まらず、中国古代医学の体系を考える上における重要資料で、室町末期の禅僧・月舟寿桂(幻雲)、江戸期の医家・浅井図南や多紀元簡らによる詳細な注解がある。

扁鵲(へんじゃく):秦漢以前の様々な古典に事跡が見える中国古代の名医に与えられた象徴的呼称。『史記』扁鵲倉公列伝の秦越人が最も有名である。なお中国古代には扁鵲を祖と仰ぐ学統があったようで、『漢書』芸文志著録の『扁鵲内経』『扁鵲外経』、『脈経』巻第五の扁鵲の名を冠した諸篇、唐代の医学全書に多数見られる「扁鵲曰」する引用などは、「扁鵲医籍」と総称されることもある。また近年には、『素問』『霊枢』や近年中国から出土した医書にも、関連する内容のあることが指摘されている。

倉公(そうこう):中国前漢初期の実在の医家。『史記』扁鵲倉公列伝の後半にその伝が見える。また伝記に附された診籍(診療記録)二十五例は難解であるが、中国古代医学の貴重な資料として、また『素問』『霊枢』『難経』などの内容を理解するための手がかりとして注目されている。

秦越人(しんえつじん):『史記』扁鵲倉公列伝の前半にその事跡が見られる中国古代の医家。師匠・長桑君から術を受け継ぎ,諸国を偏歴して医療を行い、「扁鵲」と称せられたが、その事跡には伝説の色彩が濃い。唐代以降、『難経』の著者に擬せられた。

『漢書』(かんじょ):中国・後漢の班固の撰。妹の班昭と門人の馬続(馬融の兄)が補修して、82年頃成立。帝紀、表、志、列伝から構成される紀伝体の歴史書で、前漢の歴史が描かれている。『史記』に続く正史二十四史の第二の書である。中国の代表的歴史書として『史記』とともに「史漢」と併称された。

王莽(おうもう): 前45~後23。前漢の皇帝の位を簒奪し、8年に王朝・新を樹立した。儒教の経典『周礼』に基づく復古的な理想国家を目指したが、赤眉の乱などにより王朝は崩壊、殺害された。その伝記は『漢書』巻九十九の王莽伝に詳しい。

王孫慶(おうそんけい):王莽の討伐を目的とした翟義の乱(7)の一味の一人。捕らえられ、新の天鳳三年(16)に王莽の主導により生体解剖され、五蔵を量り、竹のへらで経脈をたどったと、『漢書』王莽伝に見える。正史における、最初で唯一の医学目的としての解剖の記録として注目される。

欧希範(おうきはん):北宋の慶暦四年(1044)に反乱を起こしたが、五年(1045)に捕らえられて、他の反逆人数十人とともに腹を割かれて処刑された。処刑に際しては、王莽以来絶えていた医学目的の解剖が行われ、派遣された画工による詳細な観察に基づく蔵府図『欧希範五蔵図』が作られた。

『欧希範五蔵図』(おうきはんごぞうず):北宋の慶暦五年(1045)に欧希範ら反逆者に対して行われた医学目的の解剖によって作られた蔵府図。南宋頃までは伝存したが、その後佚亡した。わが国鎌倉期の梶原性全『頓医抄』(1302)の巻四十四・五蔵六府形の第一図、中国明末の亡名氏著『循経考穴編』所載の「欧希範五臓図」に、僅かにその蔵府図の一端をうかがうことができる。

楊介(ようかい):北宋末の崇寧年間(1102~1106)に江蘇泗州で賊の処刑が行われた際、先行する『欧希範五蔵図』を補正する目的で、画工とともに派遣されて医学目的の解剖に立ち会った医家。楊介は、この時作成した蔵府図を、煙蘿子の蔵府図によって校訂し、これに十二経脈図を加えて、政和三年(1113)に新しい蔵府図『存真環中図』を完成させた。

『存真環中図』(そんしんかんちゅうず):北宋末の医家・楊介の撰した蔵府経脈図。「存真」は五蔵六府図、「環中」は十二経脈図を意味する。中国では明末頃まで伝存したが、その後佚亡した。わが国鎌倉期の梶原性全『頓医抄』(1302)の巻四十四に本書の全体が転載されていると推定されるほか、明後期から末期に成った亡名氏『循経考穴編』や胡文煥『新刻華佗内照図』、施沛『蔵府指掌図書』、王文潔『脈訣宗統』などにもその図が伝えられている。

人体は〈気〉によって説明することもできる

 解剖学的知見は、漢代の医学に対して何ら本質的な影響を与えなかった。また、北宋以降の医学は、解剖によって何かを導き出そうとする方向には向かわなかった。古代中国の医家は、解剖に熱心でなかっただけでなく、その必要すら感じていないように見える。それはなぜか。

 臓器、血管、血液などは現実の物であるが、それについての認識が進んでも、それだけで身体の生理や病候の理由を完全に説明することは、現代医学においてすら、なお困難である。まして古代中国医学においては当然である。近世までの医学のレベルにおいては、解剖学的知見のみに依拠していては、医学を形成することも、発展させることもできなかった。

 解剖学に依拠できない中国古代の医家が行ったことは、体内にある現実の臓器や血管、血液といった実体から出発しつつ、その解剖の所見を、不可視の〈気〉としての〈五蔵〉や〈経脈〉に転化し、それを陰陽論と五行説でカテゴリー化することであった。

 もちろん、〈気〉としての〈五臓〉や〈経脈〉には、出発点にあった現実の〈物〉のイメージがどこまでもつきまとっていた。したがって、〈五蔵〉は常に現実の五種の臓器と混同され、〈脈(経脈)〉はその字義からして血管のことと判断された。そうした正しいが誤った理解により、概念の混乱は何時の時代においても不可避であった。

 明の張介賓『類経』蔵象類・蔵象の中で、こうした身体観を「蔵は内に居り、形は外に見る」と概括している。〈内にある蔵〉とは(蔵気)のことであるが、それだけでなく、経脈や気血、津液など、あらゆる体内の〈気〉を指すと見てよい。

 一方、〈外に現れる形〉とは身体各部とそこに生じる生理的・病理的現象、症状や脈状のことである。〈外形〉と〈内気〉は、陰陽的一体関係にあって、互いに影響を及ぼし、〈外形〉のすべては、不可視の〈内気〉によって実現するとされるも、その〈内気〉は〈外形〉を介してしか把握されない(病態像が構築されない)という構造となっている。

 しかし、この構造こそが、中国医学の診察における重層性と柔軟性を保証したのである。
 人体上に起こるあらゆる病理的現象の解析学である病證学とは、こうした考えを基礎とするものである。

ポイント

  • 中国古代の医家は解剖学に依拠できなかった!
  • 人体上に起こるあらゆる病理的現象の解析学が病證学!

用語解説

張介賓(ちょうかいひん):1563~1640。会稽(浙江省紹興)の人。字は景岳。明代後期の著名な医家。医経研究ならびに明代の臨床医学に対して大きな貢献を行い、その影響は現在に及んでいる。主要な著作に『類経』『景岳全書』がある。

『類経』(るいきょう):明の張介賓の手になる『素問』『霊枢』の再編注解書。1624年成立。『類経図翼』と『類経附翼』を附刊。中国のみならず、日本近世の『素問』『霊枢』研究にも決定的な影響を及ぼした。近代の復興古典鍼灸である経絡治療成立時、経絡治療家は張介賓の『類経』の注によって『素問』『霊枢』を読んだ。