病証と〈蔵府〉〈精気〉の考え方

篠原孝市

病証学に欠かせない〈内気〉の陰陽的分類

 前回、私は、中国古代の自然学である〈気〉という認識、ならびにその人体への適応として五蔵、経脈、精神、気血、営衛、津液などのカテゴリーのあることについて述べた。そして、その第一に来るべきものが、〈内気〉としての〈五蔵〉あるいは〈蔵府〉であり、それが唐代までの医書においてどのように系統化され、重要視されたかについて解説した。

 この〈内気〉が一つであれば、一気の流通と滞留が、外に現れて様々な症状を起こすというふうな、シンプルな医学となったであろう。しかし、古代中国人は、常に人体を構造的に捉えようとする。すなわち一つのものを一つのものとして見ず、陰陽や五行の〈関係〉として見ようとする。したがって、人間を一つの個体として見ず、〈外形〉と〈内気〉の二つのカテゴリーの一体不可分の〈関係〉と見たように、〈内気〉自体も二つの〈気〉、すなわち〈蔵〉と〈府〉とその間の〈関係〉というふうに捉えた。

 『素問』金匱真言論篇の「人身の蔵府中の陰陽を言うときは、則ち蔵は陰為り、府は陽為り。肝心脾肺腎の五蔵は、皆な陰為り。胆胃大腸小腸膀胱三焦の六府は、皆な陽為り」や『霊枢』終始篇の「五蔵は陰為り。六府は陽為り」とは、単に蔵府を二分し、それぞれに所属する蔵府を列挙しただけではない。そこに陰陽という原理を介在させることで、蔵と府が一体不可分の〈関係〉にあることをも表している。しかし、これらの条文だけでは、〈蔵〉と〈府〉それぞれの具体性はまだ理解できない。

ポイント

  • 古代中国人は、人体の構造を〈外形〉と〈内気〉と捉えた!
  • そして〈内気〉は〈蔵〉と〈府〉という一体不可分の〈関係〉と捉えた!

〈蔵〉と〈府〉の意味と文字についてーー「臓腑」との違い

 「蔵」は、『玉篇』に「隠匿なり」とあるように、蔵匿、蓄蔵の意味を持ち、転じて文書や器物を蓄える場所を指す。「府」も、『説文』に「文書の蔵(くら)なり」とあって、意味が「蔵」と相通じる。この二文字を重ねた「府蔵」とは、倉あるいは倉に蔵したものを指す言葉である。内蔵(内気)あるいは内臓(はらわた)という意味は、ここから派生した。
 内蔵(内気)を二分する際に、わざわざ意味の近い「蔵」と「府」という文字を使って表記したことは、両者が類似しながら相違していることを表わしている。『脈経』巻第一・脈形状指下秘決第一所載の二十四脈状において、意味の近似する「軟」「弱」という言葉を使って類似する脈状「極軟而浮細」「極軟而沈細」を区別していることに似ている。

 後代、専ら「五蔵」や「六府」を意味する漢字として作られた文字が、「蔵」「府」に「にくづき」を付けた「臓」「腑」である。日本の経絡治療では、この先行する文字である「蔵」「府」で表記し、現代中医学やその強い影響下にある日本の中国医学用語辞典では、後出の文字である「臓」「腑」で表記する傾向にある。ただ、影宋何大任本『脈経』などを見てもわかるように、古医書の古い版本においては、両者はしばしば混用されており、「蔵腑」などという例すら珍しくない。
 つまり、過去の用例自体が統一されたものではなく、したがってどちらを使ってもよいのであるが、各文字の成り立ちや先後関係を知っておくことは重要であろう。ちなみに、私自身は中国医学の蔵府概念と現代医学の臓器概念とを区別する意味から、専ら「蔵」「府」を使用する。

ポイント

  • 〈内気〉である「蔵」「府」には、どちらも「蓄蔵」の意味がある!
  • 「蔵府」「臓腑」は文字の成り立ちに違いがある!
  • 「蔵府」「臓腑」はどちらの漢字を使ってもよい!

用語解説

『玉篇』(ぎょくへん):第1回用語解説参照。

〈蔵〉と〈府〉の役割と、〈蔵〉がおさめる精気

 〈蔵〉と〈府〉の性格を端的に表す条文としてしばしば引かれるのが、『素問』五蔵別論篇の「五蔵とは、精気を蔵して寫さざるなり。故に満てども実すること能わず。六府とは、物を伝化して蔵さず。故に実すれども満つること能わざるなり」の一節である。このうち、「精気」は『素問』新校正注に引く全元起本や『太素』『甲乙経』では「精神」となっていることから、劉衡如張燦玾は「精神」に改めている。ただし、胡天雄は「古代には「精」「気」「神」三字は通用し、「精気」と「精神」も同じ意味で使用できる」とする。

 『霊枢』にはこれを敷衍したような経文がいくつかある。
 たとえば本蔵篇には「五蔵は、精神、血気、魂魄を蔵(おさ)むる所以の者なり。六府は、水穀を化して津液を行(や)る所以の者なり」とある。また衛気篇の「五蔵は、精神、魂魄を蔵(おさ)む所以(ゆえん)の者なり。六府は、水穀を受けて行物を化す所以の者なり」も本蔵篇と同義である。『素問』五蔵別論篇にいう「精気(精神)」は、「精神」「魂魄」「血気」を総体的に述べたものと見なすことができる。

 しかし、こうした複数の〈気〉を〈五蔵〉と関わらせることになったため、「精神」「魂魄」「血気」「津液」などの〈気〉を再定義する必要があった。それが決気篇の「黄帝曰く、余、聞く、人に精気津液血脈有り。余、意(こころ)に以為(おもえら)く、一気ならくのみと。今、乃ち弁(わか)って六名と為す。余、其の然る所以を知らず、と。歧伯曰く、両神相搏(まじ)わりて、合して形を成す。常に身に先だちて生ずる、是を精と謂う、と。」云々の経文であったと考えられる。
 また、『霊枢』本神篇では刺法と絡めて「凡そ刺の法、必ず先ず神を本とす。血、脈、營、気、精、神、此れ五蔵の蔵す所なり」とする。この箇所は「血脈、営気、精神」と読むこともできるが、本神篇後文の「肝は血を蔵す、血は魂を舎(やど)す」「脾は営を蔵す。営は意を舎す」「心は脈を蔵す。脈は神を舎す」「肺は気を蔵す。気は魄を舎す」「腎は精を蔵す。精は志を舎す」に基づいて読むことにする。
 両文を対応させると、後文の〈五蔵〉の司りには「神」が欠けているが、郭靄春孫鼎宜の説を引いて、前文の「神」を衍文としている。

ポイント

  • 五蔵におさまっているのは「精気」!
  • 「精神」「魂魄」「血気」が五蔵と関係している!
  • 複数の気が関わったことから、五蔵との関係を再定義した!

用語解説

劉衡如(りゅうこうじょ):1900~1987。仏教ならびに古典文学の研究者であったが、1959年以降、中国医学古典の本文校訂に従事し、特に校勘学の方法によって、大きな成果を遺した。校訂書に『甲乙経校注』(1962)、『黄帝内経素問』(1963。通称「梅花本」「横排本」)、『霊枢経(校勘本)』(1964)、『黄帝内経太素』(1964)、『本草綱目』校点本(1975)、『本草綱目』新校注本(1998)があるが、『素問』と『太素』にはその名が記されていない。長く埋もれていたその業績は、錢超塵の論文「劉衡如先生的中医文献学成就」(中医薬文化2014年第一期。錢超塵『中国医史人物考』所収)と同著者の『黄帝内経太素新校正』の前言によって再評価された。『黄帝内経素問(梅花本・横排本)』『霊枢経(校勘本)』は現在も『素問』『霊枢』に関する必備の研究書である。

張燦玾(ちょうさんこう):1928~2017。胡天雄(1921~)、方薬中(1921~1995)、李今庸(1925~)と並ぶ1920年代生まれの医史文献研究家。1959年以来、山東中医学院で教鞭をとるとともに、1964年からは徐国仟(1921~1995)とともに『鍼灸甲乙経』を考究し、山東中医学院校釈の『針灸甲乙経校釈』(1979)を主編した。また徐国仟、宗全和とともに山東中医学院・河北医学院校釈の『黄帝内経素問校釈』(1982初版、2016第2版)の主編者の一人をつとめた。その後、徐国仟とともに再び『甲乙経』を取り上げ、大作『鍼灸甲乙経校注』(1996)を完成させている。張燦玾は医史文献学全般に通じており、『中医古籍文献学』(1998初版、2013第2版)、『黄帝内経文献研究』(2005初版、2014修訂版)を著しているほか、『張燦玾医論医案纂要』(2009)、『張燦玾医論医話集』(2013)などの医論集も遺している。

胡天雄(こてんゆう):1921~。湖南中医学院の中医師。著書『素問補識』(1991)は、多紀元簡の『素問識』と多紀元堅の『素問紹識』の成果を踏まえて、その未だ解せざる点を解明しようとしたもので、経文の考証は厳正かつ的確である。『素問補識』は後に補訂され、多紀父子の前記二書とともに『素問三識』(2011)と題して刊行されている。

郭靄春(かくあいしゅん):1912~2001。龍伯堅(1900〔1899あるいは1901〕~1983)、劉衡如に続く、近代中国の代表的医史文献研究者。特に医経と目録学の分野で傑出した業績を遺した。医経関係の校注ならびに主編として『黄帝内経素問校注語訳』(1981)、『霊枢経校釈』(1982)、『黄帝内経霊枢校注語訳』(1989)、『黄帝内経詞典』(1991)、『黄帝内経素問校注』(1992)、『新医林改錯/内経・素問分冊』(1992)、『八十一難経集解』(1984)、方書関係では『東医宝鑑』(1995)、『傷寒論校注語訳』(1996)、『金匱要略校注語訳』(1999)、目録学関係では『河北医籍考』(1979)、『中国分省医籍考』(1984)、『中国医史年表』(1984)、『中国鍼灸薈萃・現存鍼灸医籍巻』(王雪苔と共編。1993)がある。

孫鼎宜(そんていぎ):清末の医家。湖南省湘潭の人。生没年未詳。最初は儒学を学んだが、父親の死をきっかけに医学に転じ、1905年には日本に留学して西洋医学を学んだあと、晩年は湖南国医専科学校で教鞭をとったとされる。著書に『傷寒雑病論章句』(1906自序)、『医学三言』(1906自序)、『傷寒雑病論読本』(1907自序)、『黄帝内経章句』(1907自序)、『難経章句』(1907自序)、『脈経鈔』(1907自序)、『明堂孔穴』(1907自序)、『鍼灸知要』(1907自序)があり、後に『孫氏医学叢書』(1932自序)にまとめられた。『明堂孔穴』と『鍼灸知要』は、古代の兪穴書『明堂』復元の最初の試みである。

 
 〈六府〉については、私たちはすぐに現代解剖学の消化管のイメージとして受け取ってしまいがちであるが、古代中国では人体の解剖は、本連載第2回で述べた王孫慶欧希範のような、処罰に伴う、歴史的にもごく稀な例を除いて、体内の実見はほぼ皆無である。当時の医家の依拠できたものは、甚だ不正確な解剖図と、動物の解体によって得られたその体内の知識程度しかなかったことを想起する必要がある。したがって、〈気〉としての〈六府〉は、水穀(食物)を伝化すること、すなわち物を食べることに始まり、大小便の排泄に至る、その過程の総体を指していると考えるべきである。この動的な過程が、陽の〈内気〉(府)とされたのである。

 〈五蔵〉の「精気を蔵す」とは何を意味しているのであろうか。
「精」は『説文』に「択(えら)ぶなり」とあるが、段玉裁に従って「米」を補って「米を択ぶなり」に作り、よく精米された米を意味する。そこから派生した意味が、純粋、正しさ、細やかさ、精密、微小であり、天においては日月、星辰を意味することから、明るさや光にも通じる。つまり「精気」は清純の気である。

 ちなみに『管子』内業篇の「精なる者は、気の精なる者なり」の「精」は心の在り方という意味での「精神」のことと解されるが、「精気」と解しても通じるように思われる。

 「精神」はしばしば心の在り方と解釈される言葉であるが、『淮南子』精神訓の篇名に附された高誘の注に「精は人の気、神は人の守りなり」とあるように、「精神」を心の在り方ではなく、人の生命を支える根源(精気)と解釈すべき経文も少なくない。

ポイント

  • 「六府」の気は飲食から排泄に関与している!
  • 〈五蔵〉の「精気」は清純の気!
  • 「精神」を心の在り方ではなく、人の生命を支える根源(精気)

用語解説

王孫慶(おうそんけい):第2回の用語解説参照。

欧希範(おうきはん):第2回の用語解説参照。

段玉裁(だんぎょくさい):第1回の用語解説参照。

『管子』(かんし):中国春秋時代の斉の管仲(?~前645)に仮託された著者未詳の政治経済学書。前漢までに成立し、『漢書』芸文志に八十六篇が著録されたが、現存するものは七十六篇。法家や道家、儒家など複数の立場からの論説を含む。代表的注解書に安井息軒(1799~1876)の『管子纂詁』(1965)などがある。『管子』には、水地篇や内業篇など、中国医学を考える上における重要な篇が少なくない。

『淮南子』(えなんじ):二十一篇。一名「淮南鴻烈解(わいなんこうれつかい)」。前漢の淮南王(わいなんおう)劉安(前179~前122)の命を承けて編纂された思想書。成書年未詳。道家を中心に、先秦の諸思想を百科全書的に編纂したもの。後漢に許慎と高誘の注があったが、現在は高誘の注のみ伝存する。『淮南子』には精神訓を始めとして中国医学と関わりのある記述が少なくない。

『素問』『霊枢』の「精気」について

 「精気」という言葉は『素問』『霊枢』の中に数多く見られるが、その意味は一様ではない。しかし、その内容は以下の三つに大別することができる。

 第一は生命の根源としての精気である(金匱真言論篇「精は身の本なり」。脈要精微論篇の「五蔵は、身の強なり」と呼応)。その直接の源泉は男女の精気にある。したがって、後述する食物から得られた精気〈後天の精気〉と区別して、〈先天の精気〉と呼ばれるものである。上古天真論篇には、女子の場合「二七にして天癸至り、任脈通じ、太衝脈盛んにして、月事時を以て下る。故に子有り」とあり、「天癸」に対して楊上善は「精気なり」と注している。男子の「二八にして腎気盛んに、天癸至り、精気溢し寫し、陰陽和す。故に能く子有り」も同様である。上古天真論篇のこの一節は「此れ子有りと雖も、男は八八を尽すに過ぎず、女は七七を尽すに過ぎずして、天地の精気、皆な竭く」と締めくくられている(「天地の精気」とは男女の精気の意)。

 第二は水穀精微の気、つまり営衛気血津液を精気と呼ぶ例である。
 食物摂取によって得られた精気であるから、〈後天の精気〉と呼ばれる。経脈別論篇の「飲は胃に入りて、精気を遊溢し、上、脾に輸す。脾の氣は精を散じ、上、肺に歸し、水道を通調し、下、膀胱に輸す。」、小針解篇の「水穀は皆な胃に入り、其の精気は上りて肺に注ぎ、濁は腸胃に溜る」がそれである。

 ただ、水穀精微の気を説明するために「営気」「衛気」という概念が現れてからは、精気(精神)や気血との間の概念整理を行う必要が生じたと思われる。その例が営衛生会篇の「営衛とは、精気なり。血とは、神気なり。故に血と気は、名を異にして類を同じくす」である。
 これは気(営衛)も血も同じ「精神」という気であるという意味であると理解される(ただし、『備急千金要方』巻第二十・三焦虚実第五や『外台秘要方』巻第六・三焦脈病論には異文「衛は是れ精気なり、営は是れ神気なり」が見えるので、疑義がないわけではない)。
 奇病論篇の「五味は口に入り、胃に蔵さる。脾はこれが為に其の精気を行(や)る」や厥論篇の「脾は胃の為に其の津液を行るを主る者なり……胃和せざれば則ち精気竭(つ)く」も中焦脾胃と精気の関わりを述べたものである。また痺論の「栄は、水穀の精気なり。五藏を和調し、六府を灑陳し、乃ち能く脈に入るなり」、衛気篇の「其の浮気の経を循らざる者を、衛気と為す。其の精気の経に行く者を、営気と為す」のように、営気(栄気)のみを精気と呼ぶ例もある。

ポイント

  • 『素問』『霊枢』の中の「精気」は、3つの意味に分けられる!
  • 第一は生命の根源としての精気!
  • 第二は水穀精微の気、つまり営衛気血津液を精気と呼ぶ例!

 
 第三は呼吸としての精気である。

 その数少ない例は、五味篇で、水穀が胃に入った後、五蔵と営衛の道に行き、その一部が胸に止まって「気海」となり、それが「肺に出で、喉咽を循る。故に呼(は)けば則ち出で、吸えば則ち入る。天地の精気、其の大数、常に三を出して一を入る。故に穀入らざること半日なれぱ則ち気衰う。一日なれば則ち気少なし」となる。

 経文中の「天地の精気」は『太素』に従い「天の精気」とするのが正しい。つまり、人の生存は地からの水穀(穀物)の摂取と、天の精気(空気)の呼吸によって支えられているとの考えである。

 呼吸については、上古天真論篇にも「精気を呼吸して、独立して神を守る」とあるように、〈形〉とは対象的な〈神〉を養うための重要な手段「調息」であった。『荘子』刻意篇に見える「吹呴呼吸。吐故納新。熊経鳥申」三句は、長生法として有名である。

ポイント

  • 第三は呼吸としての精気!

精気を損傷させるもの

 このように、親から受け継いだ〈先天の精気〉、食物から得た〈後天の精気=地の精気〉、そして呼吸することによる〈天の精気〉が人間の精気の全体を構成する。

 そして、五蔵に所蔵されるこの精気は絶え間ない損傷にさらされる。邪気と対立する(玉機真蔵論篇「邪気勝る者は、精気衰うるなり」、通評虚実論篇「邪気盛んなれは則ち実し、精気奪わるれば則ち虚す」)だけではない。自身の心と体の働き、食物を摂取すること自体によって、時間の経過とともに次第に損耗していき、様々な形で身体と心の在り方を損なうことにつながってい行くのである(疏五過論篇「精気竭絶すれば、形体毀沮す」)。

ポイント

  • 五臓に所蔵される精気は損傷にさらされている!


 


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