蔵府概念の根底にある陰陽五行

篠原孝市

中国医学の構成を正しく理解する

 前回、私は、〈五蔵〉あるいはそこに所藏される〈精気〉と人間の生死や生存との関わりを概括した。

 また〈五蔵〉〈六府〉と〈病い〉の関係に言及し、あわせて〈五蔵〉〈六府〉確立以前の蔵府論に触れた。

 それらをふまえて、今回から、〈五蔵〉〈六府〉の運用について述べることとする。

 〈五蔵〉〈六府〉の運用を考える際に(それは経脈の運用に際しても同様であるが)、どうしても避けて通ることができないのが、〈五蔵〉〈六府〉という認識方法の根底にある〈陰陽〉と〈五行〉についてである。

 現代医学の立場に立つ場合、〈陰陽〉〈五行〉はつまずきの石となる。中西合作的な要素が見え隠れする現代中医学においても同様である。そこで、行われるのは、〈五蔵〉〈六府〉から〈陰陽〉や〈五行〉的要素を薄めたり外したりして、現代医学に沿った形に解釈しようとする試みである。対象が理解できない場合、理解できるように歪めて理解することも珍しいことではない。

 しかし、中国医学の〈五蔵〉〈六府〉から〈陰陽〉〈五行〉を外すことはできない。〈五蔵〉や〈六府〉に〈陰陽〉や〈五行〉の論理を適応して整理してあるからではない。それならば〈陰陽〉や〈五行〉を取り除いても問題ないはずである。しかし、そうはならない。そもそも〈五蔵〉や〈六府〉は〈陰陽〉〈五行〉の論理と一体不可分なのである。具体的には、たとえば〈肺〉とは、〈肺〉のことではなく、肺と大腸という〈陰陽〉の〈関係〉、あるいは肺と肝、肺と脾、肺と腎、肺と胆、肺と小腸、肺と膀胱という〈五行〉の〈関係〉を示す概念だからである。こうした〈五蔵〉の〈関係性〉に耐えられず、古典のなかから、〈關係性〉の希薄そうな〈五蔵〉経文を探し出して対置しても無駄である。中国二千年の〈五蔵〉概念は、ほぼ〈陰陽〉〈五行〉のもとに記載されているからである。中国医学の〈五蔵〉〈六府〉の姿は、現代医学の常識の中にいる私たちを安心させるようなものではない。

ポイント

  • 医学の根底の蔵府概念、その根底の陰陽五行!
  • 蔵府も陰陽五行も、ゆがめず本来の形を理解する!
  • 蔵府概念は陰陽五行があって成立する!

〈陰陽〉〈五行〉という論理の必要性

 以下、〈五蔵〉や〈六府〉という概念に〈陰陽〉〈五行〉という論理が必要とされた理由を考えてみよう。

 自然界や人間の在り方を、言葉や概念、カテゴリーなしに理解することは難しい。この世界は明るさと暗さが反覆し、雨が降るかと思えば風が吹く。長いスタンスなら、日照時間の長さは刻々と変化し、それに伴い寒暑の傾きがあり、地上の動植物が変化する。

 私たちがそこに一定の規則性と安定を見いだすのは、既にある昼や夜、春夏秋冬、寒暑などの言葉、天文学や気象学の知識を意識的、無意識的に援用してそれを見ているからである。それが人間の生活と意識を安定させる。そして、その安定の中に不安定が含まれていることを忘れさせる。

 たとえば寒い夏や温かい冬が珍しくないように、自然界の安定と諧調には、必ず不安定と乱調が含まれている。人間の身体と意識も相対的に安定しつつ、やはり不安定を避けることができない。自然界同様、人間の身体にも、何が起こるかわからない。人間が最初に身心の不調を意識するのは、十代の頃であるが、年齢とともに調和は不調和に変わり、しかも、それを止めることはできない。そして、その不安定や不調和の理由がわからないということが、私たちを苦しめるのである。

 自然界や人体の秩序と無秩序の原因や状態は多様であって、それを捉えることは個人の経験や直感ではどうにもならない。現象に対する命名や抽象化、そして〈分類〉と〈関係〉付けが不可欠である。どんな事態にも対応できるような汎用の理論がなくては、対処することはできないからである。

 古代中国の医家たちにとっても、それは自明のことであった。『素問』『霊枢』『難経』の〈蔵府〉論はもちろん、『傷寒論』の〈三陰三陽〉の病位論も、直接の経験を記載したものではなく、それを抽象化し、〈病い〉を診るための規範を示しているのはそのためである。

 これに対して、経験を抽象化せずそのまま記載することで規範を示したように見える古代医薬書の例として、『神農本草経』や『明堂』の主治条文がある。しかし、それらの経文から何らかの〈論理〉が抽出できなければ、そこに載せられている薬物や兪穴を、臨床において汎用的に用いることは難しい。

 私たちは論理なしに、物事を判断することはできない。いうまでもなく、論理というものは、混沌とした現実を整理し、物事を構造的に把握して、仮説としての認識を形成するための規範ではあっても、現実そのものではない。私がここで「規範」というのは、単に〈陰陽〉や〈五行〉だけを指すものではない。たとえば、混沌とした脈搏の動きをつかむために設定された〈脈状〉もまた、現実の脈拍ではなく、規範なのである。

 古代の中国人も、世界が〈陰陽〉と〈五行〉で秩序正しく動いているなどとは考えなかったと思われる。現在、古典的な鍼灸を行っている私たちもまた同じである。だからこそ、それらの論理を適応し、運用する過程においては、親試実験が必要とされる。医学や鍼灸のような実学では、論理を振りかざしても無駄で、実際の効果が上がるように、仮説としての認識は絶え間なく変更されなくてはならない。それが〈陰陽〉や〈五行〉を使った医学概念の真実の在り方である。〈蔵府〉や〈三陰三陽〉の理論を使っている臨床家は、誰もみなそのようにしているはずである。

 ただ、論理は一般に、人間の頭の中では、目の前の現実よりも現実的に見えてきて、しばしば現実と混同される。論理の通りに現実が起こらないはずがないと思い、現実を、それが論理と整合しないことを理由に否定するようにすらなる。もちろん、それは〈陰陽〉や〈五行〉に限ったことではないが、心すべきことである。

ポイント

  • 自然界や人間の在り方は言葉や概念、カテゴリーで理解する!
  • 理論によって混沌とした自然、現実、脈拍を整理できる!
  • 現実と論理が整合しないことはよくある!

〈陰陽〉〈五行〉における〈分類〉と〈関係〉

 〈陰陽〉〈五行〉と一体不可分の〈五蔵〉や〈六府〉とは、具体的にどのような認識の世界だろうか。

 〈陰陽〉〈五行〉という認識には二つの側面がある。一つは〈分類〉であり、もう一つは〈関係〉である。

 〈分類〉とは、事物をその種類・性質・系統などに従って分けさまざまな現象をそこに当てはめていくことである。これには二つの側面がある。空間的側面と時間的側面である。

 自然界でいえば、空間的側面とは、上・左・外・表・日向・東方と南方などを陽、下・右・内・裏・日陰・西方と北方などを陰とするなどである。時間的側面とは、昼夜、春夏秋冬などである。人体でいえば、上下、左右、内外、表裏、寒熱、腹背、手足と体幹であり、身体部位を〈五蔵〉に〈分類〉すること、すなわち目は肝の気に、耳は腎の気に、鼻は肺の気に配当するということである。五行の色体表的なものと考えてよい。

 しかし、〈分類〉の一対一的認識は、それ自体が甚だ固定的な認識であって、臨床の診察に使ってみると、その硬直性や観念性は明らかである。ためしに目の症状を持っている患者に、肝の気に関わりのあると考えられる足厥陰肝経や肝兪、あるいは期門、あるいは手足の末端にある井木穴に施鍼や施灸をしても必ずしもうまくはいかない。

 つまり〈分類〉は基礎ではあるが、応用にはなお十分ではないのである。別の言い方をすれば、〈五蔵〉は、〈陰陽〉と〈五行〉の関係論に行き着いて初めて意味を持つ。
 たとえば私は先ほど、上下や左右を〈陰陽〉に〈分類〉した。しかし、上下や左右を陰陽的に見ることの本質は、上を陽、下を陰に〈分類〉することを越えて、上下を一体と見るときにおいてのみ意味を持つ。すなわち「上」は「下」なしでは成り立たない相対概念である。

 このことは脈状の浮沈を例にして考えるとわかりやすいかもしれない。「浮」を陽、「沈」を陰の脈と〈分類〉し、これらを二つの脈とみた場合、「浮と沈の間に位置する脈」という考え方が成立する。しかし、それは中国医学を理解しない、現代医学的な発想である。なぜならば、「浮沈」とは最強部が診脈部の深さの相対的な〈偏り〉を示す指標なのであって、浮脈や沈脈が単独に存在するわけではないからである。遅数、虚実、滑濇など、南宋金元以降に一対として理解されるようになった脈状も同じである。だから「滑っぽい濇」とか「浮のような沈」という診察はあり得ない。

ポイント

  • 自然界や人体に関わることを「空間」と「時間」で分類してみよう!
  • 五蔵は陰陽と五行の関係論が必須!
  • 「浮沈」は相対的な偏りを示し、浮脈や沈脈は単独で存在しない!

〈五蔵〉〈六府〉の陰陽分類

 ここからは〈五蔵〉が〈陰陽〉論によって、どのように構想されたかについて述べることとする。

 『素問』金匱真言論篇では、内外、腹背、〈蔵〉〈府〉を陰陽に分類し、次に肝心脾肺腎と胆胃大腸小腸膀胱三焦を陰陽に分類している。さらに春夏秋冬の陰陽分類からの類推で、陰陽の中にさらに陰陽を設けて心を「陽中之陽」、肺を「陽中之陰」、腎を「陰中之陰」、肝を「陰中之陽」、脾を「陰中之至陰」と規定している。この場合、心と肺の違いは陽の中の陽気の過多を表したものと解釈できる。ちなみに「陽」とは「陰の気が少ないこと」、「陰」とは「陽の気が少ないこと」を意味している。

 〈五蔵〉のこうした陰陽分類は、『霊枢』九針十二原篇や陰陽繋日月篇にも見える。それらの篇では、心は「陽中之太陽」、肺は「陽中之少陰」、腎は「陰中之太陰」、肝は「陰中之少陽」、脾は「陰中之至陰」となっているが、意味に違いはない。

 これらの経文に見える「至陰」は、『素問』の六節蔵象論篇、評熱病論篇、痺論篇では、土、腹、肌、土用と関わりのある用例が、水熱穴論篇では腎と関わる用例が見える。

 これらはもともと、〈五蔵〉のもととなった実質臓器の高低から類推されたものであろうが、この〈五蔵〉の陰陽のイメージは、『難経』四難、五難、十二難、七十難などに受け継がれ、後代、五蔵病証を考えるうえにおいて、重要な指標となったのである。

 〈六府〉にはこうした陰陽的分類はない。その代わりに登場するのが、〈五蔵〉と〈六府〉の表裏関係であるが、それについては、次回に述べることとする。

ポイント

  • 『素問』『霊枢』では内外、腹背、蔵府を陰陽に分類している!
  • 古代医学者は陰陽に分類して事象を理解しようとしていた!
  • 陰陽分類は伝統医学の指標!

鍼灸に関する質問 鍼の形・治療場所・子供への鍼 -「東洋療法雑学事典」より

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東洋療法学校協会の公式サイトの「東洋療法雑学事典」をご紹介させていただきます。
今回は次のテーマについてです。

Q:鍼ってどんな形をしているのですか?
Q:どういう場所で鍼灸治療を受けられますか?
Q:子供にする鍼があると聞いたのですが?
「鍼灸に関する質問 鍼の形・治療場所・子供への鍼 -「東洋療法雑学事典」より」の続きを読む…

鍼灸

鍼灸論考 「新・鍼灸ワールドコラム」 第7回を公開 (鍼灸師向け)

鍼灸論考の「新・鍼灸ワールドコラム」第7回連載記事を公開しました。

・立て続けに報告されたわが国での鍼灸事故4症例

詳しくは「鍼灸論考」のページをご参照ください。

◆鍼灸論考 – AcuPOPJ「鍼灸net」連載企画
https://shinkyu-net.jp/ronkou

※今回の連載記事への直接リンクはこちらです。→ 立て続けに報告されたわが国での鍼灸事故4症例

 
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立て続けに報告されたわが国での鍼灸事故4症例

建部陽嗣

 2020年11月から2021年3月にかけて、わが国から鍼灸の症例が英語で立て続けに4例報告された。この4症例はすべて、医師からの報告である。そして残念ながら、すべて事故症例である。そのうち2症例は、過去の鍼灸治療による障害、残りの2症例は鍼灸治療直後に生じた事故の報告である。症例①~③は、画像を無料で見ることができる。URLからぜひ見に行っていただきたい。

症例①89歳男性、けがで発覚した約50年前の埋没鍼

https://doi.org/10.1002/ams2.588

 大阪医科大学救急医学教室のOtaらによって「Discovery of decades-old acupuncture needle fragments during routine care for an arm injury(腕の怪我の日常的なケア中に数十年前の鍼治療の針の破片を発見)」と題して、埋没鍼症例が報告された[1]。

 89歳男性が家で転倒し、右肘からの出血により救急搬送された。緊急治療室に到着したときのバイタルサインは、ほぼ正常であった。右肘外側の擦過傷と右前腕橈骨側の裂傷が確認されたが、これらの創傷の周囲に異物はなかった。右腕のレントゲン写真を撮影してみると、右肘関節の周りに多数の放射線密度の高い異物が見つかった。これらの異物は当初、外傷による何か、異物による断片、もしくはX線フィルムの破片によるものと考えられた。しかし、患者に注意深く問診を行うと、約50年前に右腕の痛みとしびれに対して鍼治療を受けていたことが明らかとなった。

 レントゲン写真を見てみると、合谷や手三里の付近に、細い異物がいくつも映し出されていることがわかる。この症例では、鍼灸針は何年も無害であったので、処置はせず、そのままにされた。しかし、現在、このような埋没鍼療法を行う鍼灸師はいないと信じたい。

 2020年に刊行された「鍼灸安全対策ガイドライン2020年版」でも、埋没鍼療法は禁忌となっている[2]。そこには、体内に残存した鍼が移動し、神経・血管や臓器を損傷する可能性があること、MRI撮像や外科的処置に多大な影響を及ぼす可能性があることが記されている。ガイドラインはネットでも公開されているため、鍼灸師は必ず読んでいただきたい。

症例②腰痛治療のための埋没鍼で尿管結石に

https://doi.org/10.1016/j.ajur.2019.10.009

 2つ目の症例は、北海道社会事業協会帯広病院泌尿器科のMatsukiらによる「Ureteral calculi secondary to a gradually migrated acupuncture needle(徐々に移動する鍼治療針に続発する尿管結石)」である[3]。

 74歳の女性が尿管結石と腎盂結石の治療のために当科に紹介された。臨床症状や愁訴はなかったが、胃癌治療後の術後腹部CTスキャン画像で、左側の水腎症と、腎盂と尿管にそれぞれ直径6mmと15mmの2つの結石が映し出されていた。身体検査、血液検査、尿検査、すべてに異常がなく、尿路結石形成につながる可能性のある薬物の投与も認められなかった。

 CTおよびX線画像により、細長い異物にくっついている不自然な結石が特定され、他にも主に腰部に埋め込まれた鍼灸針が観察された。患者は、約10年前、腰痛の治療のために鍼治療を受けていた。そのため、Matsukiらは過去の画像をあらためて見直してみることにした。すると、5年前に撮像された冠状CTスキャンでは、鍼灸針が左腎実質に移動したことが示され、鍼灸針の上部にかすかな腎結石が観察された。3年前に撮影されたCTスキャンでは、左腎盂に鍼治療針を伴う左腎結石が既に認められ、その他にも多くの埋め込まれた鍼治療針の断片が確認された。つまり、尿管結石は、徐々に腎実質に移動した鍼灸針に起因するものと考えられる。

 まず、硬性尿管鏡とレーザーを使用した経皮的腎結石摘出術を実施し、1つの結石と細い針の断片を抽出した。しかし、尿管結石が壁にぶつかり、粘膜が浮腫状であったため、細いガイドワイヤーを尿管に通すことができなかったため、手術は中止された。2週間後、尿管粘膜の浮腫が解消されたので、軟性尿管鏡を使用して尿管内の針と結石の残留断片を除去した。処置以来、患者は6カ月のフォローアップ期間中、結石の再発はみられなかった。

 論文に掲載された写真を見ると、2㎝程度の鍼灸針とその断片が見て取れる。今回、尿路に移動した鍼を内視鏡で摘出することはできたが、この患者の腰にはまだ長い鍼灸針が残っている。10年前、埋没鍼は既に禁止されていたはずである。誤って折れたとしても、2cmの長さの鍼を患者の体内に残し、そのままにしておくことは決して許されることではない。

症例③アスリートの殿筋で折れ体内で発見された鍼

https://doi.org/10.1186/s40792-020-01065-8

 3例目は、三重大学医学部消化管・小児外科学のYamamotoらによる「Laparoscopic removal of an aberrant acupuncture needle in the gluteus that reached the pelvic cavity(骨盤腔に達した殿筋に刺さっている鍼灸針の腹腔鏡下除去:症例報告)」である[4]。
 患者は、26歳の男性アスリートで、殿部に残った鍼治療針の検査のため当院に紹介された。入院の6日前、鍼治療を受けたのだが、鍼灸針の端が折れて殿筋に残ってしまった。鍼灸師はすぐに針を抜こうとしたができなかった。殿部に鍼灸針が残っているにもかかわらず、症状がなかったため、患者はトレーニングを中止しなかった。アスリートである患者が、トレーニングの中断を嫌がったのだ。しかし、その後、左下肢の屈曲時に痛みを感じるようになり、整形外科を通じて当科に入院することとなった。

 患者の身長は174 cm、体重は68 kg、鍼灸針の刺入部位は特定できなかった。体内に残った鍼灸針に触れたり感じたりするのは困難な状態だった。腹部X線検査では、長さ40 mmの細い金属異物を認めた。腹部のCT検査でも、殿筋に線状の超高密度の異物が確認された。しかし、鍼灸針の針先が後腹膜を破り骨盤腔に到達しているかどうかまでは不明だった。

 迅速な異物除去が必要ではあったが、上記CT所見に加えて、急性腹症を起こしていないことから、緊急手術を行う必要はないと判断された。そして、Yamamotoらは、異物を安全かつ最小限の侵襲で除去する方法を議論した。最初は、整形外科的に体表面からのアプローチによる異物の除去を考えた。しかし、鍼灸針の断端が殿筋の真ん中にあること、殿筋の切開により患者の運動能力が低下する可能性を考慮し、経腹的アプローチを使用することが適切だと判断した。

 経腹的アプローチは直腸癌手術における外側リンパ節郭清に用いられる方法で、これによりCTで確認した鍼灸針を認識できると判断した。腐食した針は壊れやすく、除去中に断片化する可能性、針の断片が膿瘍を形成する可能性を考慮し、残存した鍼灸針をX線透視ガイド下で腹腔鏡を用いて除去することが決定された。

 実際の手術では、X線透視検査で異常な鍼灸針が殿筋にあることが確認されたが、鍼灸針周囲の腹膜が炎症により肉芽腫性変化を示していたため、腹腔鏡鉗子では鍼灸針を感じることができなかった。したがって、後腹膜をさらに解剖して鍼灸針を探すことになった。外側リンパ節郭清で使用されるアプローチで解剖学的構造を特定すると、肛門挙筋に入り内閉鎖筋に至る鍼灸針が特定された。無事に取り除くことに成功し、折れた鍼灸針の長さは40mmであった。鍼灸治療から手術による鍼灸針の抜去まで8日が経過していた。患者に合併症はなく回復し、術後2日目には退院し、すぐに競技スポーツに戻った。

 この症例では、折れた鍼灸針の鍼柄側の写真も掲載されていることから、施術した鍼灸師が協力していることがうかがえる。2.5寸(75mm)の長さの鍼灸針が施術に使われたようである。折鍼が起きてしまった場合、鍼灸師は折れた鍼の柄側と、未使用の鍼の情報を医師に提供することは重要である。使用した鍼灸針の太さまでは写真からは確認できないが、アスリートのような筋肉が発達した患者に対しては、いつも以上に太い鍼灸針を選択することが必要だろう。

症例④肩こりの女性医師が鍼治療後に両側性気胸を発症

http://dx.doi.org/10.1136/bcr-2020-241510

 最後は、慶應義塾大学医学部呼吸器内科のNishieらによる「Bilateral pneumothorax after acupuncture treatment.(鍼治療後の両側性気胸)」である。
 患者は、31歳の呼吸器内科女性医師である。彼女は、肩こりの治療のため鍼灸院を訪れ、首、肩、背中、腰、胸部に鍼治療を90分間受けた。鍼治療部位は、A:胸横筋、B:僧帽筋の中央部、C:肩甲骨上角;肩甲挙筋の起始、D:肩甲挙筋、E:僧帽筋の上部、F:棘下筋、小円筋、大円筋、G:外腹斜筋、腰方形筋、H:腸肋筋の外縁、I:腸肋筋の起始、J:大殿筋の起始、K:中殿筋、小臀筋、L:頭板状筋の起始、M:頭半棘筋、N:僧帽筋と頭半棘筋の起始、O:小胸筋の起始の15部位である。患者は、身長158.1 cm、体重42.3 kgで、呼吸器疾患の既往や喫煙歴はなかった。

 鍼治療30分後、胸と肩に倦怠感と不快感を覚えた。当初、彼女はこの感覚は鍼治療によるものだと考えていたため、様子をみることにした。しかし、背臥位になると、胸の両側から「パチパチ」という軋音が聞こえるようになった。この音は翌日も続き、くしゃみをすると胸が痛くなり、吸入時に不快感を覚えるようになった。彼女は気胸を疑って救急治療室に報告した。胸部レントゲン写真では、第3肋間腔までの右肺の虚脱と、左肺尖部のわずかな虚脱が明らかとなった。患者は、処置なしで11日後に回復した。

 施術を受けた鍼灸院では、対象の筋肉の解剖学的深さに対応するために、15~60mmまで異なる長さの鍼灸針が用意されていた。しかし、肩こりに対して使用された鍼灸針は、8番2寸(直径0.3mm、長さ60㎜)のものであった。施術部位において、特に上記Cの領域(肩甲骨上角部)は、解剖学的に胸膜に近い部位である。Nishieらが超音波検査により確認したところ、肩甲骨上角の肩甲挙筋付着部における患者の皮膚と胸膜との間の距離は22 mmであった。

 使用された鍼灸針の長さは60mmもあり、首や肩の領域に日常的に用いるには適していない可能性が高い。たとえ斜刺で刺入したとしても、刺入できる最大の深さは約30mmであり、長い鍼灸針を用いたことにより両側の胸膜を貫通した可能性が示唆された。
 今回、施術した鍼灸師は初心者ではなく、11年の経験を有していた。そのため、気胸を起こした原因は、施術した鍼灸師の「impudence(怠慢、厚かましさ)」であると論じている。同感である。施術に慣れてきた時こそ、注意が必要である。鍼灸師は、個々の患者の体格に合わせた鍼灸針(長さ・太さ)を選択する必要がある。

 患者は初めて鍼治療を受けたということもあり、鍼治療後に生じた違和感に対して、当初は鍼治療によるポジティブな反応だと勘違いした。呼吸器内科医であっても気胸を疑うことができなかった。そして、無処置で回復したことからも、鍼灸治療によって引き起こされる医原性気胸の発生頻度は、報告よりも高頻度で起きている可能性がある。この症例では、鍼灸治療に関して詳細な記載がなされているだけでなく、鍼灸師が注意する要点が記載されている。これは、論文の著者の1人として、慶応義塾大学病院漢方医学センターで鍼治療を担当する萱間洋平氏が名を連ねていることが関連しているのだろう。

慢心を慎み、鍼灸針を選択する

 いかがであっただろうか。埋没鍼療法は論外である。症例②は、故意かどうかはわからないが、体内に針を残して対処していない鍼灸師がわずか10年前にいたことに愕然とした。今一度強く禁忌であることを強調しておきたい。

 鍼灸針の単回使用はいうまでもないが、必要以上に細いもしくは長い鍼灸針を使用してはいないだろうか。長い鍼灸針を用いても技術があるから大丈夫と慢心するのではなく、必要な部位に必要な太さ・長さの鍼灸針を選ぶことも、プロとして必要な臨床能力である。

【参考文献】
1)Ota K, Yokoyama H et al. Discovery of decades-old acupuncture needle fragments during routine care for an arm injury. Acute Med Surg. 2020;7(1):e588.
2)坂本 歩 (監修), 全日本鍼灸学会学術研究部安全性委員会(編集). 鍼灸安全対策ガイドライン2020年版(日本語版). 医歯薬出版. 2020. https://safety.jsam.jp/pg157.html
3)Matsuki M, Wanifuchi A et al. Ureteral calculi secondary to a gradually migrated acupuncture needle. Asian J Urol. 2021 Jan;8(1):134-136.
4)Yamamoto A, Hiro J et al. Laparoscopic removal of an aberrant acupuncture needle in the gluteus that reached the pelvic cavity. Surg Case Rep. 2021 Feb 17;7(1):51.
5)Nishie M, Masaki K et al. Bilateral pneumothorax after acupuncture treatment. BMJ Case Rep. 2021 Mar 1;14(3):e241510.

世界が注目「鍼灸」WHOも推奨する「伝統医学」を徹底解剖! - 読売テレビニュース

「世界が注目『鍼灸』WHOも推奨する『伝統医学』を徹底解剖!」という記事が、読売テレビニュースのサイトに掲載されています。(読売テレビニュース 2021.5.19) 「世界が注目「鍼灸」WHOも推奨する「伝統医学」を徹底解剖! - 読売テレビニュース」の続きを読む…

鍼灸に関する質問 医療費控除・鍼の深さ -「東洋療法雑学事典」より

東洋療法学校協会の公式サイトの「東洋療法雑学事典」をご紹介させていただきます。
今回は次のテーマについてです。

Q:鍼灸治療院の領収書は医療費控除に使用できますか?
Q:鍼ってどのくらいの深さまで刺すのでしょうか?
Q:鍼は刺す深さが深いほど効果が大きいのですか?
「鍼灸に関する質問 医療費控除・鍼の深さ -「東洋療法雑学事典」より」の続きを読む…

鍼灸

鍼灸論考 「鍼灸病証学」 第6回を公開 (鍼灸師向け)

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鍼灸論考の「鍼灸病証学」第6回連載記事を公開しました。

・蔵府概念が医学の根底をなす

詳しくは「鍼灸論考」のページをご参照ください。

◆鍼灸論考 – AcuPOPJ「鍼灸net」新連載企画
https://shinkyu-net.jp/ronkou

※今回の連載記事への直接リンクはこちらです。→ 蔵府概念が医学の根底をなす

 
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蔵府概念が医学の根底をなす

篠原孝市

人間の〈自然性〉は生存と衰退にある

 前回、私は、〈蔵府〉における最も根源的な要素、すなわち五蔵に所蔵される〈精気〉(先天の精気)の継承(生存の連続性)と、時間とともに不可逆的に進行する衰退が、人間の根本的な条件であると述べた。

 この生誕と老化の二つは、あまりに自明のことで、いまさら指摘するまでもないように思われるかもしれない。しかし、私たちは常に、この二つのことから目をそらそうとする。その二つが、私たちの生存を決定的に規定、制約し、自由な意志による選択を阻害するからである。

 親を選択できないこと、人が他人の助力なしには生きていけないこと(自助の余地がわずかであること)、瞬く間に高齢になり、心も体も機能しなくなること、しかしそれは、絶望でもなければ、悲劇でもない。なぜならば、〈精気〉の継承とその衰退(老化)こそ、人間の中に在って、人間を支える〈自然〉だからである。そして人間は〈自然〉に勝つことはできないのである。

 一人で生まれて一人で生きてきたと考えること、あるいは秦の始皇帝がそうであったように、人の作り上げる制度や文化と人間の生存の〈自然〉を同一視し、それを人為的に覆すことが可能であるかのように考えること、それは手の届かないものを求めるという意味で、確かに人間的であり、ロマンティックでもある。

 なるほど、その地点で人間は自らを自然と区別する。しかし、人間的であること、ロマンティックであることは、常に悲劇的なもの、痛ましいものなのである。

ポイント

  • 人は生誕と衰退から目を逸らす!
  • 人間は自然には勝てない!
  • 人間は手の届かないものを求める!

〈気〉の病いとしての〈五蔵〉〈六府〉病

 私はここまで、〈精気〉という概念をもとにして、人間の生病死を考えてきた。それは生死という長い過程を考えるうえでは有効であるが、生死の間に頻繁に起こる〈病い〉の複雑な構造を考えるうえでは十分ではない。〈精気〉には盛衰しかなく、しかも衰退の一本道だからである。

 〈病い〉の現れを分析し、そこから一定の認識に至るには、そのための拠点が必要となる。現代医学であれば、それは解剖学、病理学であり、そのための細胞や微生物に関する知識ということになろう。それは総じて可視の〈モノ〉についての認識から組み立てられた体系的知識である。

 これに対して、中国医学では、生理や病理の土台となる人間の体内をブラックボックスとみている。そうした中国医学における病態認識の拠点は、これまでも述べてきたように、不可視の〈気〉であり、そこから認識されるものが〈気の病い〉である。

 中国医学を初めとする東アジアの〈病い〉の診察の枠組には、『傷寒論』の三陰三陽病、『霊枢』経脈篇の経脈病証(是動病、所生病)、寒熱や虚実、気血や津液の〈病い〉などがある。あるいは、わが国近世後半においては後藤艮山の〈一気留滞〉説吉益東洞の〈万病一毒〉論吉益南涯の〈気血水〉説などさまざまであるが、当然のことながら、現代医学的な解剖学、病理学、細胞学、微生物学などを基礎とするものではない。理論を持ち出そうと、経験を主張しようと、そこで捉えられているのは、〈気の病い〉である。そして、〈気の病い〉の最も中核をなすものこそ、〈五蔵六府〉なのである。

ポイント

  • 精気だけでは〈病い〉の構造をとらえられない!
  • 現代医学は見えるものを、中国医学は見えないものを対象にしている!
  • 〈気の病い〉の中核は〈五蔵六府〉である!

用語解説

『傷寒論』(しょうかんろん):第1回の用語解説参照。

後藤艮山の〈一気留滞〉説(ごとうこんざんの〈いっきるたい〉せつ):後藤艮山(1659~1733)は江戸前期から中期前半の医家。名は達(とおる)、字は有成、号は艮山、養庵で、左一郎と通称した。名古屋玄医へ入門しようとして果たせず、苦学して「百病は一気の留滞より生ず」として、順気(気をめぐらせること)を治療の綱要とした。そしてその具体的方法として、服薬とともに、施灸、熊胆(くまのい)の服用、温泉、食事を重視した。〈一気留滞〉説の眼目は、『素問』『霊枢』『難経』に見える陰陽五行、蔵府経脈の説を「空論雑説及び文義通じ難き者」と見なし、併せてその延長線上にある南宋以降、明に至る金元李朱医学とその温補の説も否定することによって、〈気の病い〉を、陰陽五行説や蔵府経脈説などを介して構造的に理解するのではなく、〈気のめぐり〉という感性的な捉え方の一点に集約させることにあった。

吉益東洞の〈万病一毒〉論(よしますとうどうの〈まんびょういちどく〉ろん):吉益東洞(1702~1773)は江戸中期の医家。名は為則(ためのり)、字は公言、東洞と号し、周助と通称した。東洞は、伝統的な病因と病機の診察(病いの構造的な把握)に基づく医学を、陰陽論や五行説という「論理」の故に観念的として否定し、「論理」と無関係の〈証〉に基づく処方学を以てあるべき医学の姿と考えた。そこには、「論理」や「観念」を、人から実体を遠ざけて直に物を見せなくする虚構と考える、根深い日本土着の思想があったと考えられる。そのために東洞が必要としたのが、『史記』に見られる古代の伝説的名医・扁鵲の逸話と、五行説の色彩の薄い『傷寒論』であった。そして『傷寒論』の処方とそのしるしとなる証を以て診察治療のためのカテゴリーとした。これが「方証相対」であり、東洞の医学は証即処方の治療体系であった。

吉益南涯の〈気血水〉(よしますなんがいの〈きけつすい〉:吉益南涯(1750~1813)は江戸中期後半から江戸後期の医家。吉益東洞の嗣子。名は猷(ゆう)、字は修夫で、謙斎、南涯と号した。気血水理論を述べた『医範』(1825)がある。また門人の編纂した『気血水弁』『気血水薬徴』が写本で伝存する。南涯は『医範』において、父東洞の万病一毒論を継承する形をとり、〈毒〉を無形のものとし、その病態が有形の〈気〉〈血〉〈水〉に現れると考えたようである。しかしながら、実際には、病機の中核となる〈内気〉を、後藤艮山の〈一気〉でも、東洞の〈一毒〉でもなく、〈気〉〈血〉〈水〉の三つの〈気〉と仮説し、その循環と停滞で病いを説明するという大きな転換を行ったと考えるべきである。これは古くからある〈気血〉の〈血〉をさらに〈血〉と〈水〉に区分したと考えることができる。あるいは朱丹溪や初代曲直瀨道三の有名な「気血痰鬱」を発想の遠因とするものかもしれない。

〈五蔵〉〈六府〉以前の蔵府論

 ここで、現在行われている〈五蔵〉〈六府〉の説以前の、古い蔵府論について総括しておきたい。

 現行の蔵府論は、隋唐以降の新しい医書を読むには十分であるが、それをもって『素問』『霊枢』『難経』『脈経』などの古い医学書を読もうとすると、甚だ難儀する。『素問』『霊枢』『難経』などの秦漢以前の医学書は、現行の医学説の源基ではあるが、内容自体は後代のそれと大きく異なっているからである。その事情は、『十四経発揮』以降の綺麗に整序要約された経脈と経穴の学説では、『霊枢』の複雑な経脈概念や『甲乙経』(『明堂孔穴鍼灸治要』)の兪穴部位が理解できないのに似ている。

●〈五蔵〉

 〈五蔵〉と〈六府〉は最初から現在の肝心脾肺腎や胆小腸胃大腸膀胱三焦であったわけではない。その古い形態は秦漢以前の思想書にその例を見ることができる。

 例えば『淮南子』精神訓では人間の生誕に言及したあと、「是の故に肺は目を主(つかさど)り、腎は鼻を主り、胆は口を主り、肝は耳を主り、[王念孫の『読書雑志』ではこの後に「脾は舌を主る」を補う]……天に四時(しいじ)、五行、九解、三百六十六日有り。人にも亦た四支、五蔵、九竅、三百六十六節有り。天に風雨寒暑有り、人に亦た取與(しゅよ)、喜怒有り。故に胆は雲と為(な)り、肺は気と為り、肝は風と為り[王念孫は「肝」を「脾」に改む]、腎は雨と為り、脾を雷と為し[王念孫は「脾」を「肝」に改む]、以て天地と相參(まじ)わりて、心、これが主と為る」とある。

また『文子』九守にも『淮南子』を引いたとされる類文があり、そこでは〈五蔵〉と五官の関係部分は「肝は目を主り、腎は耳を主り、脾は舌を主り、肺は鼻を主り、胆は口を主る」となっている。

 これらの文章の〈五蔵〉には現行の説には見られない「胆」が入っている。また『淮南子』と『文子』は略同文でありながら、〈五蔵〉と五官の関係に異同があるが、その理由については別に述べる。

ポイント

  • 秦漢以前の思想書には〈五蔵〉に「胆」がある!

●「六蔵」

 古代中国には「六蔵」という捉え方があった。『荘子』斉物論に「百骸、九竅、六蔵、賅(そな)わりて存(あ)り。吾れ誰(いず)れとともにか親しむことを為さん」とあるのがそれである。

 『列子』仲尼篇の中にも「乃ち是れ我が七孔四支の覚(さと)る所、心腹六蔵の知る所なるかを知らず」、同書周穆王篇にも「百骸六蔵、悸(おのの)いて凝(さだま)らず。意(こころ)迷い、精喪(うしな)う」とある。この「六蔵」は腎を左腎と右腎に分けた結果と解釈されている。おそらく『難経』三十九難の「経に言う、府に五つあり、蔵に六つ有る者は、何ぞや。然るなり。六府は、正に五府有り。然して、五蔵も亦た六蔵有る者は、謂る腎に両蔵有るなり。其の左は腎と為し、右は命門と為す」によるものと思われるが、その正否は未詳である。

ポイント

  • 腎を左腎と右腎に分けた結果の「六蔵」!

●「九蔵」「十一蔵」

 さらに古代中国では、「九蔵」という言葉も使われている。たとえば『周礼』天官・疾医の「これを参(まじ)えるに九蔵の動を以てす」の鄭玄の注に「正蔵は五、又た胃、膀胱、大腸、小腸有り」とある。
 また『素問』の三部九候論篇に「神蔵は五、形蔵は四、合わせて九蔵と為る」、六節蔵象論篇にも「形蔵は四、神蔵は五、合わせて九蔵と為る」とあるが、三部九候論の王冰注では、「神蔵」とは五つの神気(魂神意魄志)を蔵するところの肝心脾肺腎の〈五蔵〉であり、「形蔵」とは頭角、耳目、口歯、胸中を指すとする。

 『素問』のなかでも、かなり後代の魏晋南北朝頃の篇とされる霊蘭秘典論篇には「十二蔵の相使(しょうし)貴賎」を問う経文に対して、「心は、君主の官なり。神明、焉(これ)に出づ。肺は、相傅(しょうふ)の官、治節、焉に出づ」のように、心、肺、肝、胆、膻中、脾胃、大腸、小腸、腎、三焦、膀胱とその役割が列挙されている。
 このうち「膻中」は、『霊枢』脹論篇に「膻中は、心主の宮城なり」とあることから、心の包絡のこととされる。

 また同じく後代の篇とされる六節蔵象論篇では、心、肺、腎、肝と脾、胃、大腸、小腸、三焦、膀胱を挙げて「凡そ十一蔵、決を胆に取るなり」と結んでいる。この二つの篇では、〈五蔵〉〈六府〉を並列的に扱い、それぞれの意味付けをしているように見える。

●奇恒の府、胃の意味

 『素問』の五蔵別論篇には「黄帝問うて曰く、余聞く、方士或いは脳髄を以て蔵と為し、或いは腸胃を以て蔵と為し、或いは以て府と為す。敢えて問う、こもごも相反すれども、皆な自ずから是と謂う。其の道を知らず。願わくは其の説を聞かん、と。岐伯答えて曰く、脳、髄、骨、脈、胆、女子胞、此の六なる者は、地気の生ずる所なり。皆な陰に蔵して、地を象どる。故に蔵して写さず。名づけて奇恒の府と曰う。夫れ胃、大腸、小腸、三焦、膀胱、此の五なる者は、天気の生ずる所なり。其の気は天を象(かた)どる。故に写して蔵さず。此れ五蔵の濁気を受く。名づけて伝化の府と曰う」とある。これは、〈五蔵〉や〈六府〉とは別に、「脳」「髓」「骨」「脈」「胆」「女子胞」の六者をひとまとめにして、〈奇恒の府〉というカテゴリーを設けている。「奇恒」とは、常と異なる、の意味である。

 このうち、「胆」を除く五つは『素問』『霊枢』諸篇の中に散見する言葉である。また「胆」は周知のように〈六府〉の一つである。しかし、この〈奇恒之府〉という概念は、『素問』『霊枢』の中ですら五蔵別論一篇に止まるマイナーなものであって、その後の医学の中でも臨床応用されることはなかった。にもかかわらず、南京中医学院が主編した『中医学概論』(1959)以来の現代中医学の中医学書や、日本の『新版東洋医学概論』(2015)において、〈五蔵〉や〈六府〉に続いて〈奇恒の府〉に一章を割いているのは、『素問』『霊枢』中に散見する「脳」「髓」「胞」という言葉を意味づけようとする意図というふうに善意に解釈したしても、不可解である。

 六府の中でも「胃」と「胆」、そして「三焦」は特別な位置にある。特に「胃」は「脾」とともに「脾胃」とも呼称され、また〈六府〉とは異なる〈腸胃〉という概念(現代医学の消化器系に類似した概念)を表す言葉としても使用されたことから、〈五蔵〉とともに特別の位置に置かれている。
 これらの経文は、五蔵論の先駆的状態をうかがわせるものとして興味深い。しかし、〈蔵府〉が後年の医学的基礎となるのは、これが陰陽論と五行説によって整序され、〈五蔵〉〈六府〉となってからのことである。

ポイント

  • 奇恒の府はマイナーな存在!
  • 胃は特別な存在!

用語解説

『十四経発揮』(じゅうしけいはっき):別名「十四経絡発揮」。三巻。滑寿(字は伯仁。1304~1386)著。中国・元末の1341年に成立した経脈経穴書。巻上では『霊枢』経脈篇所載の十二経脈の流注を述べ、本書の中核を為す巻中では十二経脈に督脈と任脈を加えた十四経脈の流注に沿って所属する経穴を配当して注解を加え、巻下では『素問』『難経』『甲乙経』『聖済総録』を典拠として、奇経八脈の流注と所属する経穴を列挙している。本書の内容には、元の忽泰必列著『金蘭循経』に依拠するところが大きいと見られる。経脈と経穴の関係を一義的に関係づけるための試行錯誤は、魏晋南北朝以降、宋代まで繰り返し行われてきたが、その試みは、北宋の『銅人腧穴鍼灸図経』と『聖済総録』を経て、本書によって一応の決着をみた。この十四経理論は、その後の中国鍼灸書に継承されたものの、『十四経発揮』自体は中国ではほとんど重刊されず、かえって日本の近世において20回以上版を重ね広く流布し、江戸初期から1970年代まで、経脈と経穴に関する標準的典拠書として高く評価された。

『甲乙経』(こうおつきょう):第3回の用語解説参照。

『明堂孔穴鍼灸治要』(めいどうこうけつしんきゅうちよう):『甲乙経』巻之三のほぼ全文と巻之七~巻十二所載の鍼灸主治条文、計24000字あまりを指す。書名は『甲乙経』の皇甫謐序による。後漢後期頃に成立したと考えられる、著者未詳の中国最古の経穴書『明堂』の一伝本で、『素問』『鍼経』とともに『甲乙経』を構成する要素となった。唐の楊上善が撰注した『黄帝内経明堂』(現存は巻第一のみ)、それを節略して引用した『医心方』巻第二、唐の王燾の『外台秘要方』巻第三十九、敦煌出土『黄帝明堂經』断簡などの『明堂』復元資料のうちでも第一にあげられるべきものである。

『淮南子』(えなんじ):第4回の用語解説参照。

『文子』(ぶんし):中国古代の思想書。一名「通玄真経」。『漢書』芸文志に著録された段階で既に偽託の可能性が指摘され、また通行本の文章の多くが『淮南子』と共通することなどを理由に、魏晋以降の偽作すら疑われてきたが、1973年に前漢の漢墓から出土した本書の竹簡の研究から、成立や内容についての再評価が進んでいる。

『荘子』(そうじ):一名「南華真経」。戦国時代の思想家・荘子(そうし)の思想を伝えるとされる思想書。西晋の郭象(?~312?)が刪定注解した現行のテキストは、内篇七篇、外編十五篇、雑篇十一篇からなるが、内篇以外の多くの部分については、弟子や後人による附加とされる。後世、道教の隆盛にともない、『荘子』は『老子』と並び称され、その原典とされるようになった。ただし、政治性の強い『老子』とは異なり、『荘子』は世俗を離れた無為自然を理想とし、徹底した相対主義の立場に立っている。

『列子』(れっし):一名「沖虚真経」。戦国時代の思想家・列禦寇(れつぎょこう)の思想を述べたとされる書で、『漢書』芸文志にも著録されているが、通行本は魏晋頃の偽託とされる。『老子』『荘子』などとともに道家の系統に属し、寓話によって説を為すことが多い。

『周礼』(しゅらい):周の官制を述べた書。孔子が理想とした周の政治家・周公旦に仮託されている。『儀礼』(ぎらい)、『礼記』(らいき)とともに、礼儀や制度を説いた「三礼」(さんらい)の一つに算えられ、また儒教の経典「十三経」の一つでもある。後漢の鄭玄(じょうげん)が注を、唐の賈公彦(かこうげん)が疏を著している。

鄭玄(じょうげん):「ていげん」とも読む。127~200。後漢の著名な学者で、『儀礼』『礼記』『周礼』のいわゆる「三礼」と『毛詩』(『詩経』)の注解が現存している。

古典の所出文字数から見た〈五蔵〉と〈六府〉の軽重

 〈五蔵〉は〈六府〉と併称されるが、『素問』『霊枢』において、あるいは後代においても、対等ではなく、中心はどこまでも〈五蔵〉である。それは、『素問』『霊枢』約150000字弱の中に、〈五蔵〉〈六府〉を構成する個々の言葉が何回使用されているかを見るだけでも歴然である。

 今、試みに張登本・武長春主編『内経詞典』(1990)に基づいて、各蔵府の所出回数を示せば、「肝」という言葉は251回(このうち「肝」の文字が単独で使用されている例は196回。以下同じ)、「心」は542回(314回)、「脾」は236回(185回)、「肺」は304回(248回)、「腎」は293回(222回)である。
 他方、「胆」は52回(42回)、「小腸」は46回(44回)、「胃」は324回(195回)、「大腸」は45回(42回)、「膀胱」は52回(50回)、「三焦」は38回(35回)である。
 ちなみに「腸」という言葉の使用例も222回(23回)と多いが、これは「腸胃」という言葉の所出が50回を数えるためである。

 参考に『難経』11945字(『王翰林集註黄帝八十一難経』の正文による)について、筆者監修の「『難経』総索引」(『難経古注集成』第6冊所収、1982 )に基づいて、同様の換算を行えば、肝は70回、心は93回、脾は43回、肺は67回、腎は55回である。胆は6回、小腸は18回、胃は34回、大腸は12回、膀胱は8回、三焦は15回である。

 秦漢以前の医書以外の書物に見える〈五蔵〉〈六府〉の所出回数は、〈五蔵〉では「心」が群を抜いて多く、「肝」と「肺」がこれに次ぎ、「脾」と「腎」は「肝」「肺」よりも相対的に少ない。また〈六府〉では「胃」が「肝」「肺」に並び、「胆」がこれに次ぐ。

 「心」の用例が桁外れに多いのは、〈五蔵〉的な意味ではなく、意識や感情、知識などの意味として使われたためである。また「胆」は、こころを打ち明けるとか、親しさを表す際に用いる「肝胆」の用例に使われているためである。一方、一般社会においては、小腸、大腸、膀胱、三焦などの認識は極めて低かったと考えられる。

ポイント

  • 『素問』『霊枢』に出てくる肝・心・脾・肺・腎を数えてみた!
  • 胆・小腸・胃・大腸・膀胱・三焦も数えてみた!
  • 『難経』に出てくる回数も数えてみた!
  • 五蔵の出現回数はケタが違う!

用語解説

『内経詞典』(だいけいしてん):人民衛生出版社、1990年初版。史上初の本格的な『素問』『霊枢』の字句と語句についての辞典。2286字、5560語について、所出回数、発音と音韻(現代音、中古音、上古音)、解釈、用例、解釈のもとになった典拠をあげてある。これに続くものに郭靄春主編『黄帝内經詞典』(天津科學技術出版社、1991年)、周海平[等]主編『黄帝内經大詞典』(中医古籍出版社、2008年)がある。

『王翰林集註黄帝八十一難経』(おうかんりんしっちゅうこうていはちじゅういちなんぎょう):一名「難経集註」(なんぎょうしっちゅう)。五巻。『難経』に対する唐宋までに成立した古注をうかがう唯一の注解書。三国の呂広、唐初の楊玄操、北宋の丁德用、虞庶、楊康侯の五家の注が収められている。書名から北宋の王翰林(王惟一)の編纂のように見えるが、その関与は未詳である。南宋頃に成立したと見られるも、熊宗立の『勿聴子俗解八十一難経』や滑寿の『難経本義』の新注が出たこともあって中国では早くに失われた。他方、日本では江戸前期の慶安五年(1652)に重刊本が出て、これをもとに重刊された江戸後期刊本が中国に舶載されて、『守山閣叢書』『四部叢刊』に影印された。これとは別に、江戸末期に発見された、慶安本とは系統を異にする古写本も伝存する。ちなみに本書が日本で認識されるようになったのは、江戸末期の『経籍訪古志』への著録を除けば、1982年以
降のことである。