東洋療法学校協会の公式サイトの「東洋療法雑学事典」をご紹介させていただきます。
今回は次のテーマについてです。
・頭すっきり-百会(ひゃくえ)
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2021年の鍼灸の国家試験の結果が3月26日(金)の14時に発表されました。 「鍼灸 国家試験の結果が発表に (2021年 合格者数と合格率)」の続きを読む…
「『鍼灸』がうつ症状を改善する 専門医がうつ病学会で発表」という記事が、日刊ゲンダイのヘルスケアのサイトに掲載されています。(日刊ゲンダイ 2021.3.24) 「鍼灸がうつ症状を改善 専門医が学会発表 - 日刊ゲンダイ」の続きを読む…
鍼灸論考の「新・鍼灸ワールドコラム」第6回連載記事を公開しました。
・サブスタンスPなしでは鍼の効果は現れない?
詳しくは「鍼灸論考」のページをご参照ください。
◆鍼灸論考 – AcuPOPJ「鍼灸net」連載企画
https://shinkyu-net.jp/ronkou
※今回の連載記事への直接リンクはこちらです。→ サブスタンスPなしでは鍼の効果は現れない?
建部陽嗣
「サブスタンスP」に関して、鍼灸師の皆さんはどのようなイメージを持っているだろうか?
はりきゅう理論の教科書には「痛みの伝達物質」として、そして何より「軸索反射」の項に掲載されている。そのページを読んでみると「疼痛発生筋に対する鍼刺激の効果はatropine投与で出現しなくなるので、鍼刺激で血流が改善されるのは,筋内血管に分布するコリン作動性神経が鍼刺激で活動したこと、……(中略)……。さらにモルモットに対してsubstance PもしくはCGRPを投与した場合には、どちらを投与しても鍼刺激と同様の効果が現われた。しかし、atropineの投与によりsubstance Pの効果は影響を受けなかったがCGRPの効果は消失した。」とある[1]。
以上の結果から、鍼刺激による疼痛発生筋の痛みが解消する機序には、サブスタンスPではなくCGRPが深くかかわっていると結論付けている。つまり、鍼灸に関わる伝達物質ではあるが、大きな役目はよくわからない。単なる発痛物質として記憶している鍼灸師も多いことだろう。
そんななか、鍼灸治療とサブスタンスPとの関係を調査した論文が2021年初めに発表された。韓国のFanらによる「The role of substance P in acupuncture signal transduction and effects(鍼治療のシグナル伝達と効果におけるサブスタンスPの役割)」である[2]。今回は、この論文を読み進めることによってサブスタンスPについて再考したいと思う。
サブスタンスP(SP)は、中枢神経系および末梢神経系に広く分布しているペプチドで、ニューロキニン1受容体(NK1R)に対して高い親和性を示し、優先的に結合する。サブスタンスP / NK1Rシステムは、その広範な解剖学的分布も手伝って、神経炎症、微小血管透過性、痛みを含むさまざまな生理学的反応に関与しているとされる。そのため、NK1RへのサブスタンスP結合を調節することによって、胃腸炎、嘔吐、うつ病、不安障害、はたまたがんの治療に有効である可能性が示されている[3]。
Fanらはまず、ラットに拘束ストレスを与えることで高血圧を発症させた。高血圧ラットにエバンスブルー色素を静脈内注射するとすぐに、PC6(内関)に神経性炎症のスポットが出現した。そう、この論文は、第3回で紹介した大邱韓医大学校研究チームの最新論文である。まだお読みでない方は、本連載第3回「アルコール依存症への鍼 韓国の最新基礎研究」をご一読いただきたい。
神経性炎症スポット(Neuro-Sps)は、PC6(6匹12カ所中n = 9)の他に、神門(HT7、n = 8)といった前肢の経穴、行間(LR2、n = 3)、太衝(LR3、n = 4)、束骨(BL65、n = 5)、足通谷(BL66、n = 4)などの後肢の経穴に出現した。
Neuro-Spsが生じた求心性神経からSPが放出されたかどうかを調べるために、Fanらは高血圧にさせたラットの前肢の組織サンプルを使って、SPを免疫組織学的に染色した。すると、高血圧ラットの前肢ではSP発現が有意に増加していたのである。このSPの増加は、非経穴部位では起きなかった。加えて、鍼治療自体がSP放出を増加させることができるかどうかを判断するために、無処置ラットの前肢に、鍼刺激を1分間隔で20秒間、合計10分間実施した。すると、鍼治療で刺激された皮膚でも、SP発現の増加が確認された。
次に、SPが高血圧に対する鍼治療効果に関与しているかどうかを調査した。まず、高血圧ラットの前肢の足首に出現したNeuro-Sps(主にPC6)に、生理食塩水もしくはSP受容体拮抗薬であるCP-99994を注射した。20分後、前肢付近の両側Neuro-Spsに合計10分間(1分間隔で20秒間)鍼刺激を行うと、生理食塩水を投与したラットでは、拘束ストレスによる血圧上昇を防止または減少させることに成功した。この高血圧抑制効果は、SP受容体拮抗薬であるCP-99994を注射したラットでは起きなかった。
FanらはさらにSPの効果を確かめるために、高血圧ラットに発現したNeuro-SpsへSPを直接皮下注射した。すると鍼治療の効果と同様に、高血圧の発症を有意に抑制したのである。つまり、鍼による血圧調節作用にSPが直接かかわっていることが示唆される。これは、2002年発刊のはりきゅう理論の教科書に書かれていることと真逆の結果である。
本当にSPが、鍼刺激を伝える神経の感受性を高めているかどうかを判断するために、体性求心性神経の単線維記録を行った。これは、顕微鏡下で神経の束をほどいていき、単一の神経線維を露出させる方法である。15匹のラットの神経を露出させ、9つのA線維、6つのC線維が記録された。前足肢の経穴に鍼刺激を与えると、A群線維・C線維ともに神経活動が記録されるのだが、皮内にあらかじめSPを投与しておくと、A群線維では2倍、C線維では3倍の放電が記録された。
つまり、SP量が増えることによって、鍼刺激に対する体性求心性A群線維とC線維両方の感度を高め、鍼治療のシグナル伝達を大幅に高めたことが示唆される。
次に、Fanらは、SPの影響が中枢神経である脊髄後角に影響を及ぼすのか調査した。
機械刺激(フォンフライフィラメント)に対する脊髄後角ニューロンの反応を、生理食塩水またはSPを投与し比較した。脊髄後角ニューロンは、非侵害刺激(2、8.5、15 g)の力、侵害刺激(60 g)の力によく反応を示し、その反応は力の強さに応じて漸進的に増加する。
生理食塩水投与群では、脊髄後角ニューロンの活動は、侵害刺激である60 gの力に応答して、治療前、5分後、10分後、30分後でそれぞれ、10.45±1.20、10.72±1.59、10.46±1.60、10.97±1.66スパイク/秒であった。
一方、SPを注射すると、その応答時間は19.16±2.03、20.96±2.62、22.29±2.09スパイク/秒と有意に増加した。このような反応の増加は、非侵害刺激では生じなかった。つまり、SPは侵害刺激特異的に、脊髄後角ニューロンの活動を増加させる。
では、鍼刺激を加えるとその反応はどう変化するのだろうか。高血圧ラットにおける脊髄後角ニューロンの誘発活動は鍼刺激によって増強され、SP受容体拮抗薬(CP-99994)投与によって抑制された。これは、鍼治療による脊髄後角ニューロンの活動にSPが関与していることを示している。
最後に、Neuro-Spsでの鍼治療が、心血管調節の重要な部位として知られている中脳の吻側延髄腹外側野(rVLM)ニューロンに影響を与えるのか調査した。高血圧にさせたラットの前肢部に発現したNeuro-Spsに鍼刺激を2分間行うと、rVLM神経線維の放電は約130%以上増加し、2分後にはベースラインに戻った。この反応は、SP受容体拮抗薬(CP-99994)投与によって抑制された。
Neuro-Sps部の SP上昇が鍼治療によるrVLM活性化に関連していることをさらに確認するために、カプサイシンをNeuro-Spsに注入することでSP放出を誘導し、rVLMニューロンの興奮性を測定した。すると、鍼治療をした際と同様の結果が得られたのである。
つまり、鍼治療におけるSP増加は、rVLMの発火活動を強化し、高血圧ラットに対する鍼治療効果をもたらしたと考えられる(図1)。
いかがであっただろうか。まとめると、高血圧の発症に伴い、ラットの前肢の経穴に神経原性炎症(Neuro-Sps)が生じた。Neuro-Spsは求心性神経からのSP放出を増加させる。Neuro-Spsへ鍼刺激すると高血圧の発症は抑制され、これは鍼治療前にSP受容体拮抗薬を局所注射することで起きなかった。末梢神経線維の単線維記録では、Neuro-SpsへSPを注入すると、鍼刺激に対するA線維およびC線維の感度を増加させる。脊髄後角ニューロンの活性はNeuro-Spsへの鍼刺激後に上昇し、さらに、中脳rVLMニューロン活動も増加した。鍼治療によるSP上昇は、鍼治療信号のトリガーとなるだけでなく、鍼治療効果自体に決定的に寄与すると考えられるのである。
面白いことに、Fanらの研究では、神経性炎症は拘束ストレス後1分以内に経穴に現れ始め、15分以内に完全に発現が認められ、高血圧になった後はずっと維持されていた。これは、経穴の局所的変化は病的状態の発症より前に生じ、病的状態の間維持されたことを意味する。未だ病気にならざる前に、経穴に反応が現れ、そこに鍼治療を加えれば発症を抑えられる可能性を秘めているということになる。
また、これまでは、SPと鍼治療効果自体との関係についてはほとんど知られていなかったが、Fanらの研究によって、鍼治療は高血圧の発症に対する抑制効果を生み出し、その効果はSP受容体拮抗薬投与によって失われた。脊髄後角ニューロンの誘発反応は、高血圧ラットのNeuro-SpsへのSP注入によって強化され、この反応もまたSP受容体拮抗薬投与によって失われた。
活動的な経穴は、神経性炎症メディエーターによって感覚神経終末が感作される。感作された感覚神経終末は非侵害刺激の神経よりも侵害刺激に敏感であることを考えると、経穴に伸びている感覚神経終末は、高血圧ラットの神経性炎症によって放出されるSPによって感作されると考えることができる。したがって、鍼刺激は非常に敏感に伝わり、sham鍼刺激と比較した場合、生理学的閾値に容易に到達することによって鍼治療効果を呼び起こすのである。
また、Fanらの結果をみると、これらの反応は、末梢だけでなく、中枢レベルでも生じていると考えられる。
神経性炎症によって放出されるSPは、単なる発痛物質などではなく、鍼治療の刺入に対する感覚求心性神経の反応を増強し、鍼治療効果の開始に関与する重要な神経ペプチドとして機能すると結論付けることができる。
【参考文献】
1)東洋療法学校協会 編.はりきゅう理論.医道の日本社.2002.
2)Fan Y, Kim DH et al. The role of substance P in acupuncture signal transduction and effects. Brain Behav Immun. 2021; 91: 683-694. doi: https://doi.org/10.1016/j.bbi.2020.08.016
3)Garcia-Recio S, Gascón P. Biological and Pharmacological Aspects of the NK1-Receptor. Biomed Res Int. 2015; 2015: 495704.
厚生労働省より下記タイトルの資料が発出されています。
「はり師、きゅう師及びあん摩マッサージ指圧師の施術に係る療養費の受領委任を取り扱う施術管理者の要件に係る令和3年度から令和7年度までの特例について」
詳細は資料をご確認ください。
厚生労働省は、2021年4月からの介護報酬改定で、居宅介護支援の特定事業者加算を見直す方針を決定しました。
月ごとの単位数が、「加算Ⅰ」が500→505単位、「加算Ⅱ」が400→409単位、「加算Ⅲ」が300→309単位へ引き上げられました。
また、新区分として「特定事業者加算(A)」(100単位/月)が新設されました。
これは専任の主任ケアマネが1名と常勤のケアマネが1名、非常勤のケアマネが1名以上配置で取得できます。
この新区分では、他の事業所との連携によって算定要件をクリアできます。
それは①24時間の連絡体制の確保 ②事業所へのケアマネへの計画的な研修の実施 ③実務実習への協力 ④他法人との協力による事例検討の開催の4要件となります。
その他に今回は、すべての加算要件として地域資源の開発要請があり、「インフォーマルサービス等の多彩な生活援・介護予防サービスが提供される居宅サービス計画書の作成」が追加されました。
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鍼灸論考の「鍼灸病証学」第5回連載記事を公開しました。
・虚していく運命の〈精気〉
詳しくは「鍼灸論考」のページをご参照ください。
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※今回の連載記事への直接リンクはこちらです。→ 虚していく運命の〈精気〉
篠原孝市
前回、私は、人体における〈内気〉は、陰陽論に基づき、〈蔵府〉という一体不可分の〈関係〉として構造化されたと述べた。
その〈関係〉において、〈府〉(陽性の〈内気〉)は食物の摂取から大小便の排泄に至る過程の総体を象徴するものであり、〈五蔵〉(陰性の〈内気〉)の役割は、〈六府〉の助けも得て〈五蔵〉に所蔵される〈精気〉という一語に集約されている。それは、①生殖、②食物の摂取、③大気(空気)の摂取からもたらされたものであり、先天的なものと後天的なものがミックスされたものである。
人間が生まれる最初の段階から持っている〈精気〉、いわゆる〈先天の精気〉について、『霊枢』本神篇には「生の来たる、これを精と謂う」、経脈篇には「人始めて生ずるときは、先ず精を成す」とある。決気篇ではさら詳しく「両神相搏(まじ)わりて、合して形を成す。常に身に先だちて生ずる、これを精と謂う」とある。
この「両神」とは陰陽のことであり、男女のこと、「搏」は「交わる」を意味する。本神篇にはこれに類似した経文「両精相搏(まじ)わる、これを神と謂う」があるが、これもまた「両精」は陰陽の精のこと、「神」とは「神明」、すなわち人間の人間らしい身心の在り方のことを指す。『素問』上古天真論篇には具体的に「精気溢し寫し、陰陽和す。故に能く子有り」とある。この「精気」は体外に出れば目に見える精液となるのである。
これらの経文が意味することは、人間は、最初から自分以外の人間、広くは人間の長い生存の歴史における連続性の中に置かれており、その連続性に支えられて、初めて人間らしい存在となるのである。そのことは、私たちにとって時に桎梏(しっこく)でもあり、時に慰安でもあるが、〈精気〉を受け継ぐことで生存しているという事実を振り捨てることはできない。しかも、その〈精気〉は受け継がれた瞬間から失われ始めるようなものなのである。
ポイント
〈五蔵〉の〈精気〉が虚していく過程について、『素問』上古天真論篇では男女別に七あるいは八の倍数で年齢を設定し、「女子は七歳にして、腎気盛んに、歯更(あらた)まり、髪長す。二七にして天癸至り、任脈通じ、太衝脈盛んにして、月事時を以て下る。故に子有り。三七にして腎気平均なり。故に真牙生じて長極す。四七にして筋骨堅く、髪長極にして、身体盛壮なり。五七にして陽明の脈衰え、面始めて焦れ、髪始めて墮つ。六七にして三陽の脈、上に衰え、面、皆な焦れ、髪始めて白く、七七にして任脈虚し、太衝脈衰少し、天癸竭(つ)き、地道通ぜず、故に形壊れて子無し。丈夫は八歳にして、腎気実し、髪長し歯更(あらた)まる。二八にして腎気盛んに、天癸至り、精気溢し寫し、陰陽和す。故に能く子有り。三八にして腎気平均、筋骨勁強なり。故に真牙生じて長極す。四八にして筋骨隆盛、肌肉満壮なり。五八にして腎気衰え、髪墮ち歯槁(か)る。六八にして陽気、上に衰竭(すいけつ)し、面焦れ、髪鬢頒白す。七八にして肝気衰え、筋動くこと能わず、天癸竭き、精少く、腎蔵衰え、形体皆な極まる。八八にして則ち歯髪去る」と述べている。
また『霊枢』天年篇にはこれを十年単位で描いて「人生まれて十歳にして、五蔵始めて定まり、血気すでに通ず。其の気、下に在り。故に好みて走る。二十歳にして、血気始めて盛んに、肌肉まさに長ず。故に好みて趨(はし)る。三十歳にして、五蔵大いに定まり、肌肉堅固にして、血脈盛んに満つ。故に好んで歩む。四十歳にして、五蔵六府、十二経脈、皆な大いに盛んに以て平らかに定まり、腠理始めて疏(おろそ)かに、栄華頽落し、髪頗(すこぶ)る班白に、平盛にして揺(ゆ)らがず。故に好んで坐す。五十歳にして、肝気始めて衰え、肝葉始めて薄く、膽汁始めて減じ、目始めて明かならず。六十歳にして、心気始めて衰え、善く憂悲し、血気懈惰(かいだ)す。故に好んで臥す。七十歳にして、脾気虚し、皮膚枯る。八十歳にして、肺気衰え、魄離(はな)る。故に言(こと)、善く悞(あやま)る。九十歳にて、腎気焦がれ、四蔵経脈空虚す。百歳にして、五蔵皆な虚し、神気皆な去り、形骸独り居り、而して終る」とある。『素問』陰陽応象大論篇にも同内容の「年四十にして陰氣自ら半(なか)ばし、起居衰う。年五十、体重く、耳目聡明ならず。年六十、陰痿し、気大いに衰え、九竅利せず、下虚上実し、涕泣倶に出づ」との経文が見られる。
以上の三つの経文によれば、〈五蔵〉の〈精気〉は三十五歳あるいは四十歳頃から衰退が始まり、各蔵の〈精気〉が次々に虚していくことで、老化が進むとされている。しかし、中年に始まるとされる〈精気〉衰退の表れは、その時期に初めて生じるものではなく、それ以前からひそかに進行していたものが、ただその時期に顕在化してきただけと考えることができる。
私はこれらの経文を踏まえつつも、自分の臨床経験も加味して、〈五蔵〉の〈精気〉の虚を次のように読み替えたいと思う。
生まれたばかりの乳児は、他人の加護を一瞬も欠かすことのできない、究極の弱い存在である。身心ともに究極の受動的状態であり、こころの状態としては、なお両親との一体感の中にある。しかし、〈精気〉という観点からすれば、乳児こそ根源的な〈精気〉が最も充実している瞬間とみるべきである。この〈精気〉の充実を、乳児の起居動作その他から、陰陽の観点からいえば「〈陽気〉の最も盛んな状態」と呼んでもよい。乳児の弱さとは、ただ後天の気血がいまだ決定的に不足していることから来るものであって、根源的な〈精気〉の充実は、表面上の筋力とか運動能力、体の大きさとは無関係である。しかし、私たちは、どうしても表面上の現れに目を奪われがちである。
乳児は食物の摂取と、親やその他の人間との交わりを経て、時間とともに成長する。体は大きくなり、やがて歩けるようになり、知識が増え、言葉をしゃべることができるようになる。生まれてから十数年も経てば、鍛えれば鍛えるほど、筋力は増強し、運動能力は向上する。知的な能力もそうである。同時に、身心ともに両親からの分離が行われる。中国医学風にいえば、〈後天の精気〉あるいは〈気血〉はどんどん充実する。そして、それが、静かに進行する〈先天の精気〉の衰退を見えなくさせてしまうのである。
若さの盛り、元気のただ中にある若年者でも、ふとそうした〈精気〉の消耗を感じることがある。それは多くの場合、病気、あるいは一時的な身心の消耗の際に突然起こることがある。二十歳で「もう若くない」と感じたり、三十歳で「人生を降りる」と考えることは、高齢者が考えるほど感傷的でも滑稽でもない。若さというものは、確かに輝かしいものであるが、それがやがて失われてしまうことが定まっているという意味で、痛ましいものでもある。
ポイント
生まれた瞬間から始まる〈精気〉の虚の進行とは別に、通常の生活自体が〈精気〉の虚を進行させる。しかし、それは多くの場合、一時、一期のものであり、いわば後天の精気に関わるものである。
そもそも人間は、生きていれば、身心に大きく傷を負ったり、弱さを抱え込むことは避けられない。しかし、人間は身心の弱さ、あるいは精神的な貧困の意識があればあるほど、かえって肉体や精神が強まるものである。本当に強くあるためには、弱くなくてはならないというパラドックスがそこにはある。身心に何かの傷を負った人間が、強硬な性格となり、強靱な肉体を持つことは珍しくない。私の臨床経験からいっても、強い精神や肉体を持つ人間は、例外なく、それに対応した弱さを持っているものである。
もちろん、過労やストレスも長期間にわたり、過剰なものであれば、それは根源的な〈精気〉の虚損につながる。第一次産業や第二次産業中心の社会であれば、肉体的な過労、過重労働が原因となる。日本でいうならば、1870年代から1950年代以前の社会がそれにあたる。しかし、第三次産業主体の社会に転換して以降、私たちを疲労困憊させるものは、主として睡眠不足と、自分あるいは他人との関係のなかの精神的葛藤である。この精神的葛藤の問題については、今後の連載の中で詳しく述べることにする。
ポイント
〈五蔵〉にある〈精気〉の虚とは軽い疲れといったようなものではない。〈精気〉の虚とはつまり不可逆的な老化である。そして、老化そのものが一種の病気なのである。『素問』や『霊枢』の中には、五蔵の支配領域として、五主(筋、脈、肉、皮、骨)であれ、五液(涙、汗、涎、涕、唾)、五竅(目、舌、口唇、鼻、耳)であれ、自分の意のままにならないもの、鍛えられないものが挙げられているのは、象徴的である。年々歳々の絶対的な〈精気〉の虚の進行は、それらの領域に、様々な異変をもたらす。その土台の上に、過労やストレス、あるいは寒暑といった病因とも相まって、様々な病気が生起する。
世間には、〈鉄の男〉と見なされているような人間たちがいる。激しい運動で鍛えた体、他人の非難にも揺るがない強い意志、何事も躊躇無く行う実行力、極端に少ない睡眠時間でもやっていける体力、高齢にもかかわらず水泳をしたり、大型バイクを操ったりする若さ……。それは、しばしば、弱さから逃れられない私たちの、とめどない憧憬と拝跪の対象ともなる。
しかし、〈五蔵〉の〈精気〉の虚という東洋医学的な見地からすれば、そうした〈鉄の男〉は、一つの幻影にすぎない。人は誰もそのように生きることはできないからである。
自分は強いと思い込み、あるいは他人にそのように見られ、体を鍛え続けているにもかかわらず、年々歳々足腰は弱り、手は震え、手すりにつかまってようやく階段を上っても、息切れはなかなか止まず、一夏ごとに視力は低下し、耳は鳴り、そのうち聞こえなくなってくる。特に食欲の減退と睡眠の障害は決定的である。いや、体力の減退とともに、眠ることも食べることもできなくなる。食欲も睡眠も、大小便の排泄も、すべて自分一身のことでありながら、自分の意のままにならない。そして、その果てにやってくるのは、生死の問題である。
〈精気〉の虚の結末ということを考える時、私はいつも秦の始皇帝のことを想起する。司馬遷の『史記』秦始皇本紀には、中国全土を統一し、諸国を制圧して絶対の権力を得、領土を拡張し、様々な改革を行っていく始皇帝のエネルギッシュな活動を活写する中に、前後の脈絡もなく「韓終、侯公、石生に仙人不死の薬を求めさせた」という一句がさりげなく差し込まれている。やがて始皇帝は病に倒れる。死の前、「始皇帝は死を嫌ったので、群臣は誰も死ということを口にしなかった」とあるのが印象的である。
ポイント
中国医書における〈蔵府〉と〈精気〉についての言説には、人間の生理(蔵象)あるいは病態(病証)を一つの全体像として説明するとともに、生病死の全過程に関する内容が込められている。また、今後、詳述するように、人間と自然との関係や、人間の意識についての?説明にも重要な意味を持っている。それは『霊枢』経脈篇に詳述されている経脈学説の空間的な病理理論や、『傷寒論』の三陰三陽の時間的な病位理論にはないものである。
ちなみに、〈蔵府〉や〈五蔵〉についての記載は、医書以外にも散見する。しかし、経脈理論と三陰三陽の病位理論は医書にしか見られないように思われる。これは一つの仮説であるが、〈五蔵〉とその〈精気〉の理論は、道家思想の側からもたらされたもの、経脈学説や三陰三陽の病位理論は、鍼灸と湯液の専門的な実践から生まれたものかもしれない。
ポイント