五行色体表の成り立ちを正しく知る

篠原孝市

 私は、本連載第7回「蔵府概念の根底にある陰陽五行」において、「〈陰陽〉〈五行〉という認識には二つの側面がある。一つは〈分類〉であり、もう一つは〈関係〉である」、「〈五蔵〉は、〈陰陽〉と〈五行〉の関係論に行き着いて初めて意味を持つ」と述べた。そして第8回「人体で繰り広げられる表裏の関係」から第9回〈「表裏〉関係とは〈病いの深さ〉の認識の一部である」において、〈蔵〉〈府〉と〈経脈〉の〈表裏〉について、古典と現在の古典的鍼灸の臨床の両面から解説した。

 今回から〈五蔵〉〈六府〉の重要な側面の一つである〈五行〉の〈分類〉と〈関係〉について述べることとしよう。

表形式による五蔵六府の要約

 『素問』『霊枢』『難経』には、〈五行〉的な〈分類〉や〈関係〉を述べた箇所が数多く見られる。

 それらの中には、『素問』金匱真言論篇や陰陽応象大論篇のように、外部の自然から人間の身体各部や〈五蔵〉などに至る様々な分野の〈関係〉を、構造的に叙述した篇がある。

 また『素問』宣明五気篇や『霊枢』九針論篇のように、カテゴリーごとに〈五行〉によって総括的に〈分類〉した篇もある。風熱湿燥寒の「五悪」、酸苦甘辛鹹の「五味」、皮脈肉筋骨の「五主」などがそれである。

 この〈五行〉によるカテゴリー〈分類〉は、後に五蔵六府を基軸とするものに整理される。その最初の本格的な整理は、『脈経』巻第三の五つの章によって行われた。沈炎南主編『脈経校注』(1991)は、巻第三の巻末に〈五行〉による〈分類〉内容を要約した附表を加えるとともに、「本巻は中国医学の身体に対する有機的一体観に貫かれており、体内の各臓腑と組織器官、人体と外部の自然を密接に関連させて、総体的な考察研究を行っている」と評価している。

 次いで唐代の『備急千金要方』巻第二十九・五蔵六腑変化傍通訣では、56条の表形式として整理された。これを承けた『外台秘要方』巻第三十九・五蔵六腑変化流注出入傍通ではさらに80条に増補された。

 この表形式の「傍通」は、日本の江戸期前半の鍼灸書においても取り上げられている。意斎流の鍼書『意斉流針書』(1713奥書)、著者未詳の『鍼灸抜萃』(1676)とその系列書である『広益鍼灸抜萃』(1696)、安井昌玄『鍼灸要歌集』(1693)、本郷正豊『鍼灸重宝記』(1718)所載の「五蔵の色体」などがそれである。「色体」とは「傍通」の和語で、江戸期の意斎流から出ている可能性がある。また江戸後期には、浅井家が主宰する尾張医学館でも前記「五蔵六腑変化傍通訣」を「諸病主薬」「十四経穴分寸歌」と併せて刊行している(1839)。

 この傍通訣(色体表)は、近代以降も、代田文誌、柳谷素霊、本間祥白らの著作に「五行(五蔵)の色体表」として載せられたことから広く知られた。彼らにとって、「色体表」は、『素問』『霊枢』『脈経』以来継承されてきた、身体を診るための伝統的な有機的全体観(現代中医学でいうところの「整体観念」)を象徴するものだったからである。ただ、1980年代以降に日本で作られた各種の鍼灸辞典の見出し語には、「傍通」や「色体表」の言葉を見いだすことはできない(見出し語の解説文中にはなお「五行色体表」などとして散見する)。

ポイント

  • 五行による分類の源は『素問』『霊枢』『難経』にある!
  • 五行による分類は五蔵六府を基軸として整理されていった!
  • 最初の本格的な整理は『脈経』巻第三!
  • 「色体」とは「傍通」の和語!

用語解説

『脈経』(みゃっきょう):第1回用語解説参照。

沈炎南(しんえんなん):1920~1992。現代中国の中医師。広州中医学院(広州中医薬大学)教授などを歴任した。著書に『脈経校注』『脈経語訳』『中医学整体観』『肺病臨床実験録』『沈炎南医論医案集』などがある。

『備急千金要方』(びきゅうせんきんようほう):第3回の用語解説参照。

『外台秘要方』(げだいひようほう):第3回の用語解説参照。

意斎流(いさいりゅう):第3回の用語解説参照。

『鍼灸抜萃』(しんきゅうばっすい):著者未詳。3巻。延宝4年(1676)初刊。袖珍本に改変された『合類鍼灸抜萃』『広益鍼灸抜萃』もある。上巻は診察と施術、中巻は経穴、下巻は病証と主治を論じる。本書は江戸期に最も読まれた鍼灸書の一つで、安井昌玄『鍼灸要歌集』(1695)、著者未詳『鍼灸和解大全』(1698)、岡本一抱『鍼灸抜萃大成』(1699)、本郷正豊の編とされる『鍼灸重宝記』(1718)などはいずれも本書を基礎として著されたものと見られる。

安井昌玄(やすいしょうげん):江戸中期の鍼医。紀州の人。生没年未詳。唯一の著作『鍼灸要歌集』(1695)は、『鍼灸抜萃』(1676初刊)に基づいて著されたと見られる。

本郷正豊(ほんごうまさとよ):江戸中期の鍼医。生没年未詳。御園意斎の孫・常憲の次男。母方の実家をついで本郷姓を名乗った。『医道日用綱目』(一名「医道日用重宝記」「医道重宝記」。1692初刊)、『鍼灸重宝記』(一名「鍼灸重宝記綱目」。1718初刊)の著者とされている。

尾張医学館(おわりいがくかん):第3回の用語解説「尾張浅井家」参照。

身体の全体性は〈五行分類〉で捉える

 〈五蔵〉を基軸とする〈分類〉は、身体のさまざまな現象を全体的、有機的、構造的に捉えるために必要である。中国医学には、〈蔵府〉と〈経脈〉以外に、身体の全体を捉える方法はないからである。しかも、身体の全体性とは、個々の〈蔵府〉や〈経脈〉によって捉えられるものではなく、〈関係〉の論理であるところの〈陰陽〉や〈五行〉を介して初めて見いだされるものなのである。そのことは、〈蔵府〉や〈経脈〉から〈陰陽〉や〈五行〉を完全に排除してみればわかるであろう。

 以下、五蔵を基軸とする〈五行〉的な〈分類〉や〈関係〉の種々相について述べることにするが、その最初として、〈五蔵〉と外部の自然との〈関係〉を取り上げ、その意味について考えてみることにする。

ポイント

  • 〈五蔵〉を基軸とする〈分類〉は、身体を構造的に捉えるために必須!
  • 身体の全体性は〈蔵府〉や〈経脈〉では捉えられない!
  • 身体の全体性は〈陰陽〉や〈五行〉が介して初めて見出される!

〈五蔵〉と春夏秋冬・東西南北の深い関係

 漢魏以前の伝承医学古典において、〈五蔵〉と循環する時間(春夏秋冬の「四時」に「長夏(季夏)」を加えた「五時」)あるいは空間(東西南北に中央を加えた「五方」)の関係を論じたものに、次のようなものがある(後世の附加とされる運気七篇を除く)。

 『素問』四気調神大論篇、金匱真言論篇、陰陽応象大論篇、六節蔵象論篇、平人気象論篇、玉機真蔵論篇、蔵気法時論篇、宣明五気篇、欬論篇、風論篇、痺論篇、刺要論篇、水熱穴論篇、四時刺逆従論篇。
 『霊枢』本神篇、陰陽繋日月篇、順氣一日分爲四時篇、論勇篇、五音五味篇。
 『難経』十五難、五十六難、七十四難。
 『傷寒論』平脈法。
 『脈經』巻第三。

 このうち、金匱真言論篇、玉機真蔵論篇、『難経』十五難は、〈四時〉あるいは〈五時〉に方位を加えた詳細な記載となっている。他方、〈五蔵〉と方位の〈関係〉だけに言及したものは陰陽応象大論篇しかなく、その他はすべて〈五蔵〉と春夏秋冬に関するものである。このことは、〈五蔵〉を考えるうえにおいて、春夏秋冬の問題が重要であることを示唆しているように思われる。これらの記述のうちから〈五行〉〈五時〉〈五方〉〈五蔵〉を抜萃すると、以下のよく知られた一覧表となる。

表1 五行色体表の抜粋
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 この表のうち、〈五行〉と〈五時〉〈五方〉は、後漢の『漢書』五行志や『白虎通』はもちろん、前漢の『春秋繁露』などにも見えるもので、医学の外の世界で形成されたカテゴリーである。古代中国医学は、こうした世界観の上にその学術を展開したのである。(注)へ

 〈五蔵〉は内部にあって、見ることも触れることも、現代医学の臓器のように検査や実験でその機能も知ることも難しく、現れてくる所見の集積としてしか確認することができない。しかも、〈五蔵〉というものは、身体に現れるさまざまな所見の帰納法によって、つまり単に経験を積み重ねればその果てにその姿が浮かんでくるというものではない。たとえば腰痛や肩凝りは、それだけでは何の〈蔵〉に関わるものであるかわからないし、目や耳や鼻が何の〈蔵〉に配当されるものかは決められない。

 したがって、〈五蔵〉をつかむためには、人体とは別の地点で、所見を〈五蔵〉に〈分類〉するための基準が作られる必要があった。それは、木火土金水の〈五行〉であり、春夏秋冬の〈四時〉、東西南北の〈四方〉(あるいは中央を含む〈五方〉)であった。

 たとえば、〈五行〉の木、東方、春には、「風」「動」「発生」「蠢動」などの意味がある。これらを基準として、人体に同じような現れを探せば、身体が自在に動くこと、あるいは動かなくなること、瞼や顔面が痙攣すること、突然眩暈が起こることなどはすべて肝に関わる症状となる。こうした類推を経て初めて、肝は「木蔵なり」(『説文解字』)と断じられ、「肝は風を為す」(『淮南子』精神訓)と表現されたのである。

 これはつまり、何を生理的状態とし、何を〈病い〉とするかという判断基準を、個人の主観とか倫理、社会一般の常識ではなく、人間の意思とは独立した外部の自然に置くということを意味する。

 生病死の判断の物差しを、人間の意思とは独立した自然に置くことは、同時に、人間の中に自然を見いだすということでもある。しかし、そこからは必ずしも「自然に従って生きる」という倫理は生じてこないように思われる。

 現実の人間は、身体も心も、何ものからも完全に切り離された自由で自立的な個体のように見え、またそのように振る舞っている。そして人間の〈自然性〉を私たちはコントロールできると感じ、筋肉やメンタルのトレーニングに励んだり、養生に努めたりする。しかし、中国古代医学では、人間は不可避の〈自然〉の盛衰と変化に規定されており、その〈自然〉は倫理とすることも選択肢とすることもできないものと考えているのである。

ポイント

  • 五蔵をつかむためには外部の自然に判断基準を置く!
  • 人間の〈自然性〉はコントロールできない!
  • 中国古代医学では、人間は〈自然〉の盛衰と変化に規定されていると考える!

用語解説

『漢書』(かんじょ):第2回用語解説参照。

『春秋繁露』(しゅんじゅうはんろ):中国・前漢の董仲舒(とうちゅうじょ)の撰。17巻。前半では公羊学に基づき『春秋』の筆法を解説し、後半では陰陽五行説に基づき天文と人事の関わりを解く。『呂氏春秋』『淮南子』とともに、中国古代医学と関わりの深い記述が多い。

『説文解字』(せつもんかいじ):第1回の用語解説参照。

『淮南子』(えなんじ):第4回の用語解説参照。

脈状にあらわれる〈五蔵〉と春夏秋冬の関係

 春夏秋冬の〈五蔵〉に対する〈関係〉が最もはっきり現れているのは、脈状である。そもそも、内に有って見えない〈気〉としての〈五蔵〉は、症状よりも、脈状に最もその姿を現す。

 『素問』玉機真蔵論の冒頭に、それを象徴する一節がある。

 「黄帝問うて曰く、春の脈は弦の如し。何如にしてか弦なる、と。岐伯こたえて曰く、春の脈は肝なり。東方の木なり。万物の始生する所以(ゆえん)なり。故に其の気の来たること耎弱(ぜんじゃく)、軽虚にして滑、端直にして以て長、故に弦と曰う。此に反する者は病む、と。」

 これは「万物を始生させる」春の気(それは〈五行〉の木気、方位としての東方でもある)の到来が、肝の蔵の気を盛んにさせ、それが弦脈という脈状として現れることを述べた文章である。

 この発想の根底には、『霊枢』順気一日分為四時篇に「春は生じ、夏は長じ、秋は収め、冬は蔵す。是れ気の常なり。人もまたこれに応ず」とあるように、春夏秋冬の〈気〉の在り方(「成」「長」「収」「蔵」)に対応して、人の体内の〈気〉も盛衰を繰り返すという考え方がある。

 この春夏秋冬の〈気〉に動かされるものこそ、〈五蔵〉の〈気〉であり、〈五蔵〉の〈気〉が盛んになる(それを「旺気」と称す)と、それが脈状に反映する。したがって、春夏秋冬の脈状とは、春夏秋冬に喚起された五蔵の平常の脈状でもある。後代、この脈状診は、たとえば滑寿の『診家枢要』では「五蔵平脈」「四時平脈」と命名され、現在では「四時五臓脈」(樊佳如[等]『四時脈法』、湖南科学技術出版社、2021年)などと呼ばれている。この脈法については、次回に詳しく述べることにする。

ポイント

  • 〈気〉としての〈五蔵〉が最もよくわかるのは症状よりも脈状!
  • 春夏秋冬の〈気〉に対応して人の体内の〈気〉も盛衰を繰り返す!

 (注)
この表については、若干の説明が必要である。一つは中国古代においては、五蔵への〈五行〉配当に別説があったということ、もう一つは土の行の問題である。
 漢代、五蔵への〈五行〉配当には、古文説と今文説の二説があった。医書においては当時から今文説が用いられ現在に至っているため、医書を見ている限りは矛盾を感じないが、『呂氏春秋』や『淮南子』に附された後漢の高誘の注のように、古文説を伝えるものもある。両説を以下の表に示す。

表2 五行配当の古文説と今文説
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 土の行の問題とは、春夏秋冬の四時に五行を取り入れようとしたことから生じた。土をどの季節に入れるかについては、旧暦の六月(季夏)をあてる場合と、春夏秋冬それぞれの末の十八日にあてるとの二つの説がある。


 


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2022年4月11日 コメントは受け付けていません。 鍼灸論考