人体で繰り広げられる表裏の関係

篠原孝市

〈五蔵〉と〈六府〉の陰陽関係

 前回、私は、〈五蔵〉〈六府〉にとって〈陰陽〉〈五行〉という論理が不可避である理由、〈陰陽〉や〈五行〉には分類と関係の二つの側面があり、とりわけ重要であるのは、関係の側面であると述べた。そして、〈五蔵〉には〈陰陽〉という分類あるいは関係があるが、〈六府〉にはそれがないことを指摘した。

 今回はさらに進んで、まず〈蔵〉と〈府〉が〈表裏〉という〈陰陽の関係〉にあることとその意味について述べることにする。

 〈蔵〉と〈府〉の関係を「表裏」という言葉で表現しているのは、『素問』調経論篇の次のような一節である。

「帝曰く、夫子、虚実を言う者、十有り。五蔵に生ず。五蔵は五脈なるのみ。
夫れ十二経脈は、皆な其の病を生ず。今、夫子、独り五蔵を言う。
夫れ十二経脈は、皆な三百六十五節を絡う。
節に病有れば、必ず経脈に被(およ)ぶ。
経脈の病、皆な虚実有り。何を以てか之れを合せん、と。
岐伯曰く、五蔵は、故(ことさら)に六府を得て、與(とも)に表裏を為す。
経絡支節、各々虚実を生ず。其の病の居る所、随いて之れを調う」

 ここでは身体の深部に想定されている〈五蔵〉〈六府〉が表裏関係にあるとともに、浅い部分に想定されている〈十二経脈〉〈三百六十五節〉と相対することが述べられている(「三百六十五節」の解釈に定説はないが、ここでは三百六十五の兪穴としておく)。

ポイント

  • 深部の五蔵と六府は表裏関係!
  • 五蔵六府は浅部の12経脈、365兪穴とは相対する関係!

〈五蔵〉〈六府〉表裏関係の具体例

 〈五蔵〉と〈六府〉の「表裏」の関係について、『霊枢』本輸篇では次のように述べている。

「肺は大腸に合す。大腸は、伝道の府なり。
心は小腸に合す。小腸は、受盛の府なり。
肝は胆に合す。胆は、中精の府なり。
脾は胃に合す。胃は、五穀の府なり。
腎は膀胱に合す。膀胱は、津液の府なり。
少陽は腎に属す。腎は上りて肺に連なる。故に両蔵を将(おさ)む。
三焦は、中瀆の府なり。水道出で、膀胱に属す。是れ孤の府なり。
是れ六府のともに合する所の者なり」

 同じく『霊枢』本蔵篇にも次のようにある。

「黄帝曰く、願わくば六府の応を聞かん、と。
岐伯荅えて曰く、
肺は大腸に合す。大腸は、皮、其の応。
心は小腸に合す。小腸は、脈、其の応。
肝は胆に合す。胆は、筋、其の応。
脾は胃に合す。胃は、肉、其の応。
腎は三焦膀胱に合す。三焦膀胱は、腠理毫毛、其の応、と。」

 以上、二つの経文はともに〈五蔵〉と〈六府〉の表裏関係から書き出されているが、実は〈六府〉を位置づけることに主眼があると思われる。本輸篇の経文の後半に〈六府〉それぞれの位置づけをしてあるのはそのためである(『素問』霊蘭秘典論篇にその異文が見える)。

 本蔵篇の経文に先行するのは、おそらく『素問』宣明五気篇の次のような経文である。

「五蔵の主る所、心は脈を主り、肺は皮を主り、肝は筋を主り、脾は肉を主り、腎は骨を主る、是を五主と謂う」(『霊枢』五色篇にも略同文がある)

 宣明五気篇では、一方には〈五蔵〉の概念があり、他方には身体の深さや機能を表す概念である〈皮〉〈脈〉〈肉〉〈筋〉〈骨〉があって、両者は一対一の対応関係と考えられている。ここで忘れてはならないことは、目・舌・口・鼻・耳と同様、〈皮〉〈脈〉〈肉〉〈筋〉〈骨〉もまた、あくまでも〈五蔵〉との関係であって、〈六府〉と直接の関係はないということである。

 本蔵篇では、〈五蔵〉と〈皮〉〈脈〉〈肉〉〈筋〉〈骨〉のこの対応関係の中に〈六府〉を入れこむことで、たとえば肺を例とすれば、肺―大腸―皮という人体の構造を展開しているのである。

 『素問』陰陽応象大論篇の以下の経文も、そうした三位一体の構造を述べたものである。

「外内の応、皆な表裏有り。……
故に天の邪気感(うごかさ)るれば、則ち人の五蔵を害(そこな)い、
水穀の寒熱に感(うごかさ)るれば、則ち六府を害い、
地の湿気に感(うごかさ)るれば、則ち皮肉筋脈を害う。
故に善く鍼を用うる者は、陰より陽に引き、陽より陰に引き、
右を以て左を治し、左を以て右を治し、
我を以て彼を知り、表を以て裏を知り、
以て過と不及の理を観(み)て、微を見て過を得、
之れを用うれども殆(あやう)からず」

ポイント

  • 『霊枢』本輸篇、本蔵篇は六府を位置づけることに主眼がある!
  • 皮・脈・肉・筋・骨も五蔵と関係し、六府と直接関係はない!

心包と三焦の表裏問題

 ところで、本輸篇や本蔵篇では、肺と大腸、心と小腸、肝と胆、脾と胃、腎と膀胱の表裏関係は指摘されているが、三焦は膀胱に所属せしめられていて、対応する独自の〈蔵〉はない。これは本輸篇や本蔵篇が、〈十二蔵府〉説以前の、古い〈十一蔵府〉説の段階で書かれているためである。

 つまり、現在のような〈六蔵〉〈六府〉になる前の〈蔵府〉は、〈五蔵〉〈六府〉の十一蔵であって、三焦は膀胱と併せて「三焦膀胱」というふうに認識されていた。そうした認識は、『素問』『霊枢』はもちろん、『脈経』巻第一・両手六脈所主五蔵六腑陰陽逆順第七からもうかがうことができる。ちなみに、馬王堆から出土した前漢の医書によれば、前漢以前は経脈自体も十一本であったためであろう、〈蔵府〉と経脈の対応関係についての問題は起こらなかったのである。

 前漢から後漢へと時代が変遷する過程で経脈が三陰三陽の十二本になると、初めて蔵府と経脈の数の不一致、およびその表裏関係が問題となった。それを象徴するのが、『難経』二十五難の次のような経文である。

「二十五の難に曰く、十二経有り。五蔵六府は十一のみ。其の一経は、何等の経ぞやと。然るなり。一経は、手の少陰と心主との別脈なり。心主と三焦は表裏を為す。倶に名有りて形無し。故に言う、経に十二有りと」

 これらの経文を経て、膀胱に関連する何かの実質臓器からイメージされた〈府〉の一つであった〈三焦〉は、原初の実質臓器のイメージを引きずらない、有名無形のものに転じるとともに、やはり有名無形とされる「心主」と表裏関係とされた。ただし、「心主」は現在の研究でも、①心の外膜(心包絡)、②手厥陰の脈、③〈五蔵〉の一つの〈心〉そのものなどと解釈され、定説がない。

ポイント

  • 『霊枢』本輸篇や本蔵篇は〈十一蔵府〉説の段階で書かれている!
  • 本輸篇や本蔵篇では三焦は膀胱に所属していた!
  • 三焦は府から有名無形のものに転じ、心包(心主)と表裏関係!

経脈にも見られる表裏関係

 ここで指摘しておかなくてはならないが、〈蔵〉〈府〉に見られる表裏関係は、陰経と陽経の間でも設定されている。たとえば『素問』血気形志篇には次のようにある(九鍼論篇にも略同文がある)。

「足の太陽と少陰は表裏と為す。
少陽と厥陰は表裏と為す。
陽明と太陰は表裏と為す。
是れ足の陰陽為るなり。
手の太陽と少陰は表裏と為す。
少陽と心主は表裏と為す。
陽明と太陽は表裏と為す。
是れ手の陰陽為るなり」

 経脈の表裏関係があまり意識されない形で織り込まれているのが、『霊枢』経脈篇の十二経脈の流注である。各経脈は表裏関係単位で組み合わされ、それを手足の陽明、太陽、少陽がつながるように並べられている。

 経脈篇は、環の端なきがごとき循環やその流注経路ばかりが問題とされる傾向にあるが、経脈の選定という意味からいえば、経脈の表裏関係は、経脈流注と同様、あるいはそれ以上の重要性があると、私は考えている。

 〈蔵府〉と経脈はそれぞれ別に成立したが、早い段階から相互の関係づけが進められたようである。そして、経脈篇において各〈蔵府〉に経脈が一本ずつ配当された。ただ、〈蔵府〉の表裏と、経脈の表裏のどちらが先に成立したかについては、しばらく結論を保留しておきたい。

ポイント

  • 表裏関係は陰経と陽経の間でも設定されている!
  • 経脈の選定には経脈の表裏関係は重要!
  • 蔵府と経脈はそれぞれ別に成立し、相互の関係がつくられた!

「肺は大腸に合す」とはどういう意味か

 以上のことから、〈蔵〉〈府〉や〈経脈〉に表裏関係が設定されているということは、この医学にとって、甚だ重要な意味を持っていることがわかる。私たちはこの〈表裏〉ということを、単なる知識として受け止めるだけでなく、診断学的、あるいは選経論(経脈の選定法則)的に解かなくてはならない。

 たとえば「肺は大腸に合す」の「合」は普通、配合、会合、合同、応当などと解釈される。張介賓は本輸篇に注して「是れを一表一裏と為す。肺と大腸は表裏を為す、故に相合するなり」と述べているが、「表裏」や「合」の意味はこれだけではわからない。

 また「肺と大腸は同じ〈五行〉の金の気である」との考え方がある。しかし、これは肺と大腸が「表裏」であることを前提とした後付けの物言いにすぎず、やはり「表裏」の意味は明らかではない。

 「表裏」という問題を具体的に考える指標となるのは、たとえば評熱病論篇の次のような経文である。

「巨陽は気を主る。故に先ず邪を受く。少陰は其れと表裏を為すなり」

 これに対して張志聡は「巨陽は太陽なり。太陽の気は表を主る。風は陽邪為り。人の陽気を傷る。両陽相搏てば、則ち病熱を為す。少陰と太陽は、相表裏を為す。陽熱、上に在れば、則ち陰気、之れに従う。之れに従えば則ち厥逆と為るなり」と注している。

 張志聡注に従えば、風邪による陽熱に対応して、陰気による厥逆(足冷)が生じる病態の転変を、巨陽(足太陽)と足少陰の表裏関係によるものと見ているのである。

 また『素問』欬論篇には次のような経文がある。

「五蔵の久欬は、乃ち六府に移る。
脾欬已まざれば、則ち胃、之れを受く。……
肝欬已まざれば、則ち胆、之れを受く。……
肺欬已まざれば、則ち大腸、之れを受く。……
心欬已まざれば、則ち小腸、之れを受く。……
腎欬已まざれば、則ち膀胱、之れを受く。……
久欬已まざれば、則ち三焦、之れを受く」

 欬論篇の意味するところは簡単である。つまり脾の病は続けば胃に移行し、肺の病は大腸に移行するということである。

 以上のことからわかることは、〈表裏〉とは、〈蔵〉から〈府〉へ、〈府〉から〈蔵〉への病の伝変(転換)を説明するための装置の一つであるということである。

 〈気の医学〉としての鍼灸にとって、〈蔵〉〈府〉とは、現代医学の臓腑ではなく、蔵象とその変異、変調のことである。つまり、簡単にいえば、〈肺〉とは呼吸とか声、皮毛(体表)、排尿の多少などのことである。また〈大腸〉とは排泄のことである。それらの諧調が蔵象であり、乱調が病証である。〈気の医学〉で使われる言葉は、ことごとく蔵象の説明や病証の組み立てのためにある。

 たとえば外気温の低下は、まず皮毛が影響を受けて、体表温の低下を防ぐためにまず悪寒が起こる。この悪寒が長く続いたり、強かったりすれば、下痢をしたりする。私たちはそれを「冷えて下痢をした」とか、「皮毛から大腸に冷えが移行した」と称する。そこで終わればそれでよい。そこまではほとんど生理的段階といってよい。しかし、やがて咳が出始めれば、事は簡単ではなくなる。あるいは大小便が出なくなり、あるいは甚だしく悪寒したり、喉が痛くなれば、それはもう鍼灸による治療の段階である。私たちはそれを「大腸から肺に病が伝変した」とか「肺から腎に病が伝変した」とでも称さなくてはならなくなるのである。

 この〈蔵府〉と経脈の表裏関係が、後代、内外傷の議論の中で、どのように展開され、臨床に活かされたかについては、また稿を改めて述べることにする。

ポイント

  • 鍼灸医学は蔵府や経脈に表裏関係が設定されている!
  • 蔵から府へ、府から蔵への病の伝変を説明する装置の一つが表裏!
  • 〈気の医学〉で使われる言葉の役割は蔵象の説明や病証の組み立て!

用語解説

張介賓(ちょうかいひん):第2回の用語解説参照。

張志聡(ちょうしそう):1610~1680?。銭塘胥山(浙江省銭塘)の人。字は隠庵。明末清初の著名な医家。『清史稿』にその伝が見える。清代の初期に侶山堂を設け、同郷の医家や門人多数を糾合して、医経や方書、本草書の共同研究を行った。主な著作に『黄帝内経素問集註』『黄帝内経霊枢集註』『侶山堂類弁』『本草崇原』がある。門人・高士宗は後に『素問直解』を著して医経研究に寄与した。


 


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2021年12月10日 コメントは受け付けていません。 鍼灸論考