鍼灸Newsletter しんきゅうニュースレター No.17 2015年3月発行
新しい医療・介護サービスとして期待される「地域包括ケアシステム」。しかし、2025年には「医療・介護従事者の数が足りなくなるのではないか」と懸念されています。医師、看護師、介護職員など多くの人材不足が心配されるなか、「10万人を越える鍼灸師は、不足する人的医療資源を補充する存在になれるはず」と声を上げたのは、まだ東日本大震災の爪痕が残る東北、福島県で活動されている鍼灸師の先生たちでした。
ここ福島県も超高齢化の波と、さらに今後は過疎化が進むことによって、地域医療の維持が困難になる地域も増えると予想されています。その南端に位置するいわき市は、太平洋に面した温暖な地域で、ほとんど雪も降りません。同市を拠点とする粒来(つぶらい)和正(かずまさ)氏と柏原修一氏、ともに鍼灸師であるお二人の先生に実際の施術を見せていただきながら、在宅医療・在宅介護の現場とこれからのあり方についてお話を伺いました。
今なお復興の途中である東北福島ですが、その後の生活のなかに福が芽生えた人もいます。失意の底にあった女性は、震災によって始まった「在宅による鍼灸治療」で「動ける自由」を取り戻しました。
-このまま治らないんじゃ、死んだ方がマシ
家の裏山から戻る途中に足を踏み外し、腰を強く打ち付けてしまった相川キヨ子さん。急ぎ運ばれた病院でようやく落ち着くと、寝たきりの状態になっていました。しばらく加療を続けたものの、下半身の自由は退院するまで利かなかったそうです。「大変申し上げにくいのですが……これからは車イスでの生活だと思っていただけますか」。そのとき病院の先生に言われたことが、相川さんの心に暗い影を落とします――それまで自転車に乗って、あっちへこっちへと飛び回っていたのに――「このまま治らないんじゃ、死んだ方がマシ」と、病室の窓の手すりに手を掛けたこともあったそうです。
車イスで退院した後はデイサービスでの鍼灸治療の甲斐もあって、少しずつ身体を動かせるようになっていった相川さん。そこに、あの震災です。ここ、いわき市も例外ではありませんでした。治療を受けたくても受けられない日々が2か月続き、快方に向かうと思われていた相川さんの身体は、すっかり動かなくなってしまいます。その彼女に手を差し伸べたのが、粒来先生でした。“在宅”による鍼灸治療を始めたのです。
我が家の居間が、そのまま診察室に。自然体でいられる環境では会話も弾み、それが治療にもプラスに働いているのかもしれません。
-“ペンギン”みたいな歩行動作が……みんなにほめられるように
粒来先生は、相川さんのその日その日の体調を気づかうように、腰の「反応点(ツボ)」を指先で確かめながら、もう一方の手でトントンと鍼を刺していきます。うつぶせの相川さんはおだやかな表情で世間話を始めて、まったく痛みはないようです。その後、電気を流すために、機械の赤い線と黒い線を鍼に取り付けると、「パルス」と呼ばれる“鍼+通電”の施術が始まりました。
「これがいいのね。電気がつぅーと流れて、大きな手でぐぅーと揉んでくれているようなの。もっと気持ちよくなりたくて……これ、いっぱいになるまで回したくなっちゃう」と相川さん。くりっとした瞳で、流す電気を調節するつまみに手を伸ばそうとして、「相川さん、だめだよぉ。触っちゃぁ」。こうして先生に叱られるのも、いつもの光景だと言います。
「歩かれるようになったんだものねぇ。大したものだって、みんなにほめられるの」。うつぶせのまま目を細めて、「最近は杖も忘れてしまうくらい」と微笑む相川さん。施術が終わるのも待ちきれない様子でそわそわ、どうやら元気に歩いているところを見せたいようです。「はじめは“ペンギン”みたいに歩いとったもんねぇ」。その相川さんの話にうなずきながら、よく通る粒来先生の声がやわらかに響きます。
震災の年から数えて3年。「あちこちつかまりながらじゃないと、動けなかったの。それが今じゃほら、このとおり」と、どこにも手を伸ばすことなく、すっと立ち上がってみせました。しゃんと胸を張った立ち姿は、とても車イスでの生活を宣告されていたとは思えません。「お茶、入れるから」と台所へ急ぐ相川さん。「頼むから転ばんでねぇ」――その後ろ姿を粒来先生が、にこやかに見送ります。
鍼灸治療の効果が現れるまでには、相応の時間が必要だといわれます。ただ、その“長さ”は悪いものではなく、高齢の方々には、むしろ良い結果をもたらす一面がありました。
-習い覚えたことを実践して、水があふれ出すのを待つ
「テレビのボリュームだって“30”でも聞こえるようになったんだから。今まで“35”とかだったのに」。相川さんの話に粒来先生は、「聴力が回復したと思うんですよ」と応えます。「置鍼」によって血流が良くなり、聞こえが良くなったんだろうと粒来先生、「何も特別なことはしていません。習い覚えたことを実践しているだけです」とおっしゃいます。
「鍼灸治療では速効性のある症状もありますが、年齢や回数、患者さんの体質など、さまざまな要素が絡んできます。やはり、長い目で見ていただくことが必要だと思います。ダムに水を溜めていくことを想像してみてください。だんだん水の量が増えていって、あるとき、ダムを越えて水があふれ出す――鍼灸の効果が出始めるのは、これと同じことだと思うんです」。
- 未病治をめざす!鍼灸治療にゴールはないのかもしれない
「患者さんの痛いところを取っていくんです。ここが痛いと言われれば触って、気になるところを見つけて鍼を打つ。痛いところが取れると、違うところが痛くなる。たとえば寝たきりだった患者さんが起きられるようになる、歩けるようになる。そうすると今まで動かすことのなかったところが動くようになるので、これまでとは違う痛みが出る。そしたら、また、その痛みがなくなるようにする。その繰り返しです」。
ひとりの患者さんを、長く傍らで看ていられる。だから、話も聞けるし、他に悪いところも分かる。粒来先生のおっしゃるとおり、鍼灸は高齢者の生活や暮らしを支える力になれるのかもしれません。
多様な疾患、時に難病に対しても効果が期待される鍼灸治療は、一方で、どんな治療法があるのか、どんな効能があるのかなど、知られていないところが多いこともまた事実です。そのためには、やはり「知ってもらうこと」が大切だと柏原修一先生はおっしゃいます。
-『この症状には鍼がいいですよ』と選んでもらえるように
ケアマネジャーの交流会に参加して、擦過鍼の有効性や誤嚥防止に効果が期待できる治療法を伝えたり、日本在宅医学会に出向いては、半数が在宅診療の経験を持つという福島県鍼灸師会の実績を紹介したり――「多職種の方々との交流を通して、積極的に鍼灸の説明を続けている」と話すの柏原先生。
「ドクターにしてもケアマネさんにしても、鍼灸を選ぶことに対して消極的なんですよ。そこが問題。あれもダメでこれもダメ……、じゃあ鍼でもどうですかと最後の選択のようになってしまう。『ああ、この症状には鍼がいいですよ』ともっと積極的に選んでいただけるようになっていかなければ」。そのためには、「鍼灸師はいったい何ができるのかということを、まずは医療関係者に知ってもらうことが大切です。もっと分かるように説明していかなければなりません」。柏原先生の言葉が熱を帯びます。
「地域包括ケアシステムでは同じ患者さんを医療の多職種で看ることになります。これは難しいことです。ただ、鍼灸について知らない人があまりにも多い。ケアマネさんに『えっ、鍼灸はこんなこともできるの?』と切り返されることもしばしばです。在宅鍼灸治療実績を踏まえ、医療や介護の現場に携わる人々にできることを素直に伝えていく――これしかないと思うんです」
地域包括ケアシステムが待ち望まれる地方では、“車”が社会を支えています。近年の超高齢化によって、その基盤が揺らいできています。失われた“足”を、「在宅による医療・介護」でカバーしていくという先生方の発想に納得です。
-一番住みやすい、暮らしやすいと言われるように頑張りたい
「介護保険のおかげで、在宅でもいろいろなサービスを受けやすくなった」のは、歓迎すべきことなのだと粒来先生が教えてくれました。相川さんの場合も、在宅で治療を受けられるようにと「往療」を始めたのがきっかけでした。
「鍼灸に限らず、高齢者をケアしていくには長期的な支援が必要になる」と柏原先生が切り出します。「福島に限っていえば車社会であり、診察に来るときにも移動の多くはみなさん車をお使いです。高齢とともに車を使えなくなるということは、移動のための“足”がなくなってしまうということ。これでは通院はムリです。やはり考えられるのは“在宅”による医療・介護だと思うんです」
「困っている高齢の方々に、鍼灸による在宅医療を受けられる機会をもってほしい」「もっともっと鍼灸を知ってもらって、地元の方々の生活の質を維持していきたい」「そして福島県が、全国でも一番住みやすい、暮らしやすいと言われるように頑張りたい」「その中でも、いわき市が一番進んでいるとうれしいですね」――口にされる地域への思いは、そのまま地域に暮らす人々への愛情。いわき市からの委託を受けて、介護予防に取り組んで今年で3年が経つと言います。これは福島県でもいわき市だけで、介護への積極的な関わり、そして鍼灸と介護の連携など、高齢者の生活を維持していくための方法を早くから実践している――「先進県だと思うんですよね、福島は」と、お二人の先生の声が揃いました。
施術が終わり、相川さんの肩にそっと手を添える粒来先生。家族のような温かな雰囲気に包まれたお二人の姿は、いわき市における医療の未来を指し示しているようでした。
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