鍼灸Newsletter しんきゅうニュースレター No.16 2014年12月発行
「団塊」と呼ばれる世代が75歳以上になる2025年、政府はこの年までに「地域包括ケアシステム」と称する、医療・介護サービスの新しいシステムの構築を目指しています。地方自治体を軸に、医療や介護、介護予防、生活支援といったサービスを、おおむね30分以内で提供しようというものです。要介護状態にあっても、住みなれた“住まい”、つまり自宅や地元で自分らしく過ごしたい――そのために、医療や介護といった垣根を越えて、ひとつのチームでの医療・介護が求められています。ただ、そこには課題も多く、本格導入に向けて取り組む自治体も増えてきていますが、まだ手探りのようです。そうした中、紀伊半島の明るい雰囲気に包まれながら、チームで医療・介護サービスを実践しているケースがあると聞き、訪ねてみました。
人口78,868人。紀伊半島の南西、和歌山県の南部に位置する田辺市は、和歌山市に次いで県内第二の中核都市です。古く武蔵坊弁慶の生誕地としても有名なこの地方都市に、患者を中心にした医療と介護を実践するチームはありました。この地で長年「はぎの鍼灸院」を営む萩野利赴氏は、そのチームにあって積極的にチームメンバーと協力し、患者を診続ける鍼灸師です。その先生の傍ら、ベッドの上で横になる小谷市夫さんは「要介護5」。動くことはもちろん、話すこともままなりません。長年みかん栽培を続けてきた2002年、突然脳出血で倒れてしまったそうです。すぐに血腫除去を実施、術後リハビリの効果もあって、一時は介助ありながらも歩行できるまでに回復しましたが、1年半後の2004年の春、脳出血を再発してからはずっと病床に着いたまま、寝たきりの要介護生活となってしまいました。以来、このチームがお世話しています。
同じ“チーム”として小谷さんを看ているホームヘルパーやケアマネジャー、そして訪問看護師の皆さんに、鍼灸師である萩野先生はどのように映っているのでしょうか。
「リハビリであれば理学療法士の先生が付いてくださるのですが、介護となると・・・・・・」。ホームヘルパーの津田旬代さんが言葉を詰まらせます。オムツひとつ換えるにしても、膝や股関節の拘縮(関節が固まって可動域が限定されてしまう)が深刻な場合、介護される患者だけではなく介護する側も様々な配慮が必要なのだとか。ほんの少し力加減を誤っただけでも骨を折ってしまう、常に危険と隣り合わせの介護が、ホームヘルパーに重くのしかかります。もちろんゆっくりと力を加減してあげられればよいのですが、介護保険で許される時間の中で、つい気が急いてしまうこともあると言います。「萩野先生が固まって動かなくなった関節をほぐしてくれるおかげで、とても助かっています」。―― 鍼灸師の“鍼”が、津田さんのご苦労も軽くしているようでした。
筋や腱が短く硬くなって、本来の「伸びる」「曲がる」の動きに制限がでてくる関節の拘縮。その運動を邪魔しているところを見つけ出し、深さや角度を決めて鍼を打ちます。使う鍼は直径が0.16ミリほどで、髪の毛くらいの細さです。これを日本独特の管鍼法で打てば、患者さんはほとんど痛みを感じることがないと言います。こうして問題のある部分が緩められ、やがて関節そのものが柔らかくなるという鍼治療。ちなみに肩の関節が柔らかくなると、患者さんの着替えがとても楽になるそうです。関節の可動域が広くなって、患者さんの体を少しでも動かせることは、介護するときには何よりありがたいことだと話す津田さん。「無理のない体勢で痛くない介護を精一杯してあげたい」という津田さんの願いは、萩野鍼灸師の施術によって、現実のものとなっているようです。
「折れてしまったら、主治医の先生に診てもらって、手術でもすればいい。それは若くて健康な人の考えだと思うんです」。介護を受けられる患者さんの多くは、そんなことを望んでいないはずとおっしゃるのは、訪問看護師の岸本都美子さんです。さらに主治医の多くが、「どうしてもその人ではなく、疾患だけを診る傾向がある」とも。その人を「丸ごと診る」という鍼灸の思想は、もっとも地域包括ケアシステムに必要なものではないかと感じている岸本さん。終末期医療の在宅患者にあっては、痛みを取り除く「疼痛コントロール」に期待を寄せていると話します。小谷さんではありませんが、実際にがん患者の痛みを和らげる施術を目の当たりにして、「その思いが強くなった」と言う岸本さんもまた、チームで同じ患者さんを診ている萩野鍼灸師を、心から頼りにされているようでした。
「鍼灸がもっと知られるようになれば、小谷さんのように苦痛なく、安心した顔にもっと近づけるのに」。ケアマネジャーの松下貞子さんが言うように、地域包括ケアシステムに鍼灸師が参画することは、大きな意味があるようです。そのためには「主治医の先生方にも、もっと鍼灸治療に理解を深めてもらいたい」と、3人の声が揃いました。チームを形成する異職種の方から絶大なる信を得ている萩野鍼灸師ですが、チーム外での連携や役割分担にも心を配られています。
「疼痛や炎症の緩和を得意とする鍼灸師ですが、運動療法といった機能訓練は理学療法士の先生方に敵いません」と話す萩野先生。積極的に役割分担を考えていらっしゃいました。「例えば歩行困難な腰痛、膝関節症をお持ちの患者さんの場合、痛みだけ緩和されても、周囲の筋力が鍛えられなければ歩行困難からは解放されません。筋力増強の訓練は理学療法士の先生にお任せするなど、お互いのいいところを理解して同じ目的に向かい協力しあう、そういう連携を目指しています」患者さんを中心に考える、萩野先生らしいお話です。
これまで手を携えることの少なかった医療・介護と鍼灸――医療の多職種混成チームに託すことに、ご家族に不安はなかったのでしょうか。
「何も心配なんてないし、気楽にさせてもろうてますよ。ねぇ、お父さん」。やさしく髪をなでながら、話すことのできない夫の目を見て語りかける妻の小谷みや子さん。ご主人とはいえ、要介護5の方の世話を続けているにしては、とてもやわらかな笑顔をしていらっしゃいます。隣から長女の加奈子さんも「うちらだけでは、ようしまへん。すっかりみなさんにお任せしてしまって……おかげで楽させてもろうてます」と、にこやかに微笑みかけます。そんなお二人にベッドの上から小谷さんが、目を大きく開いて何か話しかけたそうにしています。そこに、要介護5の家族を持つ悲壮感はありませんでした。
「難しいことはわからんのですが、みなさん、ようしてくれはって……安心していられます」とみや子さんが続けます。「どこがどうとか、細かな症状を教えてくれはります。それがヘルパーさんもケアマネさんも看護師さんも、鍼灸の先生も、みなさん知っていてくれはる。それがとっても安心できる」とは、加奈子さんの言葉です。必ず誰かが寄り添ってくれている実感、そして地域医療ならではの長い間、同じ目で診てくれているということ――それは、患者のためだけにとどまりません。「お互いに気心も知れてくると、こちらから話がしやすい。うちらの悩みもうんうんと聞いてくれはります」
今後は老老介護も増えてきて、家族だけの介護では立ちいかない時期がやってきます。もちろん病院での医療・介護にも限界があります。地域包括ケアシステムは、やがて訪れる超高齢社会にこそ有効なのかもしれません。
患者にも家族にも、ともに医療・介護に当たっている職種の違うチームメンバーにも望まれているのに、実際の現場に鍼灸師の姿は少ない――鍼灸らしさを前面に、もっと強みを活かしていければと萩野先生はおっしゃいます。
今回のケースでは、「地域ぐるみ」そして「在宅」というステージが、鍼灸師の信用度を上げることにつながっていると、萩野鍼灸師は話してくれました。鍼灸では、患者さんだけではなく、住まいやその家族も診るといいます。段差や手すりの有無といったことから住まいの“介護力”を判断したり、家族が介護に疲れていないかなど介護ストレスの有無を確認したりするのは、鍼灸師がもっとも得意とするところで、地域包括ケアシステムにはマッチしているはずと萩野鍼灸師。鍼灸の診察の中でも重要な要素である「傾聴」は、文字どおり、相手の話すことに耳を傾けることですが、この傾聴によって拾える情報は大変多く、医療機器によるデータや検査結果とはひと味違うのだとか。ひとりひとりに時間をかける鍼灸ならではの強みとも言えます。こうした鍼灸治療の強みが活かされることで、チーム医療や在宅ケアの質もよりよいものになっていくようです。
鍼灸師は、診療の目的・内容や症状を、患者やその家族だけでなくチームメンバー全員にわかりやすく伝えることがとても大切だと考えています。そのひとつが「訪問カルテ」です。小谷市夫さんの医療・介護の記録ですが、患部の写真に“尺”となる定規やメジャーなどを当てたり、緊急時にはメールに添付して送付したりと工夫しているんですよ。もちろんそのカルテに、同職種だけに通じるような隠語は使いません。こうした開かれた取り組みや工夫が、チームメンバーのフラットな関係構築にも一役買っているのではないでしょうか。私はそう考えて続けています。
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萩野先生、拝見致しました。
長年在宅医療に携わってこられた鍼灸師の先生の業務内容、考え方、他の職種との連携など非常に勉強になりました。
今後も潜先生の益々のご活躍お祈り致しております。
萩野先生 拝見致しました。
長年在宅医療に携わってこられました、先生の取り組み・考え方等、鍼灸師の先生の立場からのお話勉強になりました。
今後とも益々のご活躍をお祈り申し上げます。