鍼灸Newsletter しんきゅうニュースレター No.3 2008年12月発行
Topic
1.スポーツと鍼灸
1) スポーツトレーナーと鍼灸
2) スポーツ鍼灸people
白石鍼灸治療院 加藤明生さん
神奈川衛生学園専門学校 附帯教育長 朝日山一男さん
有森裕子さん
2.統合医療への試み
医大が注力する鍼灸授業
News&Information
1. WHO/WPRO標準経穴部位―日本語公式版―
2. 鍼灸ポータルサイト制作中
3. 鍼灸学術関連イベント・スケジュール
1. スポーツと鍼灸
北京オリンピックの男子競泳で 2 冠に輝いた北島康介選手、見事な復帰を果たしたテニスの伊達公子選手等々、常に明るい話題を提供し人びとに勇気と励ましを与えてくれるアスリートたち。その陰には、スポーツトレーナーあるいはアスレティックトレーナーとして、彼らを支える多数の鍼灸師がいます。鍼灸は、いつ頃からどのようにして、スポーツと深く関わるようになったのでしょうか。
現在、鍼灸の教育機関にもアスレティックトレーナーを養成する学科を併設している専門学校や大学も増えてきています。多くのトレーナーを輩出する学校法人花田学園で教鞭をとるアスレティックトレーナー専攻科 学科長の溝口秀雪さんにお話を伺いました。
1) スポーツトレーナーと鍼灸
鍼灸は戦前、大学野球とサッカーから浸透し、戦後、活発に
1929 年、小守良勝氏が東京大学サッカー部の要請でマッサージを行い、小守氏はこれをスポーツマッサージの起こりと記しています。しかし、それ以前よりスポーツ分野でマッサージは用いられ、記録にはありませんが、マッサージと同様に鍼灸治療も行われていたと考えられます。
日本でスポーツと鍼灸に関する資料が登場するのは 1949(昭和 24)年のことです。日本における古典経絡治療の理論体系を築き、後に日欧間の鍼灸治療の交流に尽力した本間祥白氏が鍼灸雑誌『医道の日本』に「スポーツと鍼灸の研究」という連載を始め、スポーツにおける鍼灸効果の研究について書かれています。連載では、今日、スポーツ鍼灸のテーマともいわれる 3 つのテーマ、すなわち①競技における外傷や障害の治療やリハビリテーション、②疲労回復、③競技能力向上についても触れていて、約 60 年を経た現在でも違和感がありません。
鍼灸への注目
スポーツ鍼灸・マッサージは、野球選手やサッカー選手へのサポートから始まりましたが、今では、オリンピック競技などでも話題となっているように、様々なスポーツに取り入れられています。興味深い例が、選手と同様の運動量を伴うサッカーのレフェリーのメディカルサポートです。
2007年12月に日本で開催されたサッカーのクラブ・ワールドカップでは、国際サッカー連盟から依頼を受けて鍼灸師、マッサージ師で日本体育協会公認アスレティックトレーナー・マスターでもある妻木充法氏を始めとする 3 名の鍼灸師がトレーナーとして帯同し、各国の 19 名のレフェリーのメディカルサポートを行いました。
米国では早くからアスレティックトレーナーの活動は盛んで、アスレティックトレーナーの制度も確立されていますが、この分野で日本の特徴的なことは、疲労回復や傷害の治療などに対してマッサージと共に鍼灸治療が取り入れられている点でしょう。
競技スポーツではドーピングについて話題になることがありますが、選手は風邪をひいたり、体調が優れなかったり、という場合でも、安易に市販の薬やサプリメントを服用することは避けなければなりません。鍼灸治療はそのような状況においても役立つと思います。
競技スポーツだけでなく、近年では年齢を問わずスポーツ愛好家も多く、例えば高齢者の予防運動、市民ランナーやママさんバレーなどの分野でも、鍼灸・マッサージが生かされていくと思います。痛みの治療から、健康の保持増進・身体のコンディショニングが、今後、ますます重視されていくでしょう。
鍼灸師とアスレティックトレーナー
鍼灸師や柔道整復師等をめざす人たちのうち、スポーツトレーナーになりたい、と希望する方が増えています。しかし、日本では、トレーナーという法的に定められた資格はありません。米国では、全米アスレティックトレーナーズ協会(NATA)が、公認アスレティックトレーナー(ATC)の資格を認定しており、日本では 1994 年に財団法人日本体育協会が、公認アスレティックトレーナー(AT)の資格制度を開始しました。現在、日本では、マッサージ師、鍼灸師、柔道整復師や理学療法士、また、AT や外国でアスレティックトレーナーの資格を取得した人たちが、トレーナーとして活躍しているのが現況です。
鍼灸師やマッサージ師の仕事は、子どもから高齢者までを対象にし、また、様々な傷病に対応していかなければならず、幅広い知識と技術が要求されています。そこで、鍼灸師でトレーナーをめざす方であっても、鍼灸・マッサージ等の資格を単に一つのステップにするのではなく、自分が取得した資格に自信を持たなくてはなりません。
スポーツ分野に関わるのであれば、鍼灸師に必要な知識・技術と併せて、スポーツトレーナーに必要な、スポーツ医科学の知識や技術が必要であると考えています。高齢者医療や他の分野でも同様なことがいえるでしょう。スポーツトレーナーで鍼灸師等の資格者であれば、当然どちらの知識、技術も持ち合わせているということになります。せっかく、資格を持ち合わせるのであれば、双方の真のプロになってスポーツ現場に生かして欲しいと考えています。
溝口 秀雪 (みぞぐち ひでゆき)
学校法人花田学園 日本鍼灸理療専門学校/日本柔道整復専門学校
アスレティックトレーナー専攻科学科長・企画運営部長はり師・きゅう師・あん摩マッサージ師圧師・柔道整復師
(財)日本体育協会 公認アスレティックトレーナー・マスター
NPO 法人日本トレーニング指導者協会 認定上級トレーニング指導者
日本柔道整復専門学校、日本鍼灸理療専門学校を経て 1971 年より学校法人花
田学園に勤務。全日本鍼灸学会、日本柔道整復接骨医学会、日本臨床スポーツ医学会、日本体力医学会 会員。
著書に『スポーツ東洋療法ハンドブック(東洋療法学校協会編)』(分担執筆/医道の日本社)、『スポーツ外傷学/スポーツ外傷学総論』(分担執筆/医歯薬出版)、『スポーツマッサージ』(編集分担執筆/文光堂)他。
2) スポーツ鍼灸 people
日本のアスリートのめざましい活躍と共に、鍼灸師の資格を持ち、アスリートをサポートするスポーツトレーナーも注目され始め、鍼灸学校でも多くの学生たちがスポーツと鍼灸の関わりを学んでいます。鍼灸師はスポーツトレーナーとしてどのような仕事をしているのでしょうか。白石鍼灸治療院の加藤明生さんと、神奈川衛生学園専門学校附帯教育長の朝日山一男さんにお話を伺いました。また、アスリートとして長年、鍼灸に親しんでいらした有森裕子さんのお話も紹介いたします(講演抄録)。
●「”心に響く鍼”でアスリートの結果に貢献したい」
――白石鍼灸治療院 トレーナー 加藤明生さん
北島康介選手の金メダル 2 冠を支えたスタッフとして一躍注目の的となった加藤明生さん。高校から大学にかけて陸上の選手だった加藤さんは、日本体育大学卒業後、鍼灸学校で学び、鍼灸師となって現在 8年目。スポーツトレーナーとしての活動は 15 年目になるそうです。加藤さんは、オリンピックや国体などの大きな大会に帯同するだけではなく、普段は新宿の治療院で一般の患者さんの鍼灸治療にあたっています。鍼灸師がスポーツトレーナーとしてアスリートたちをみるとはどういうことなのか、お話を伺いました。
選手が勝つためにスタッフの一員として何ができるか
加藤さんが今回のオリンピックで北島選手をサポートするチームのメンバーに加わったきっかけは、北島選手が、(加藤さんが勤務する)白石鍼灸治療院で初めて痛みが取れたことを実感したからだそうです。
「北島選手のコーチである平井伯昌コーチから与えられたミッションも“現場で治す”ことであったように、とにかく、スポーツトレーナーとしてスタッフに加わるときは、“選手が勝つため、パフォーマンスを上げるためにどういうことができるか”を特に意識する」と加藤さんは言います。「結果を出して欲しい」と願うだけに、選手のパフォーマンスが上がったときの喜びは、トレーナーにとってもひとしおだが、一方で、結果を出すことのできない選手にどう対応するかが大きな課題。原因が選手の身体にあるのか、或いは心理状態にあるのかなど、悩むことも多いそうです。
「選手の競技前、競技後、そしてホテルでも治療にあたりますが、トレーナーとして大事なのはケアをすることだけではありません。時にはコーチ側の視点にも立ち、選手を心理的にもサポートすること。そのために、選手の予定を把握したり、性格を理解したりということは勿論、競技についても学ぶなど、治療以外の時間も常に選手のことを考えているのがトレーナーとしての仕事です」
大切なことは「尊敬する師を持つこと」、「心を磨くこと」
30 代前半の若さでありながら、既に有名選手の活躍を支え、定評を得ている加藤さん。さぞかし大きな抱負を持ち力漲っていらっしゃるのでは、という予想に反してあまりに自然体で、けれどもある意味、予想を上回る壮大なお答えが返ってきました。
「私には尊敬できる師が 2 人います。1人は鍼灸の師・白石宏先生。白石先生は、これまで数多くのアスリートをサポートしてきた凄い実績の持ち主ですが、技術の素晴らしさはもちろん、生き方も色々と学ばせていただいています。常に学び、チャレンジする精神を忘れず、鍼灸の世界を広げていらっしゃ
る方です。もう 1 人の師は心道流の宇城憲治先生。先生のお言葉ですが、鍼灸道もすべての基本と同じです。理論が 1 割、技術が 3 割、そして心が 6 割。謙虚でなくては人の心に響く鍼はできないとおっしゃいます。自分もまだまだですが、尊敬できる師 2 人の教えを胸に、日々、心を磨いて心に響く
鍼をめざしていきたいです。そして、無限の可能性を秘めた鍼灸道で、さまざまなことに挑んでいきたいです」
「気分転換は、友人たちと食事をしながら会話することですね」という加藤さんには、空間がすーっと静かになるような、不思議な包容力がありました。
加藤 明生 (かとう あきお)
小学校から陸上を始め日本体育大学在学中からトレーナーとして活動。2001 年神奈川衛生学園専門学校 東洋医療総合学科を卒業し、白石鍼灸治療院に勤務。これまでに陸上・水泳を中心に多くのアスリートをサポート。
●「スポーツトレーナーはこれからの地域社会を支える仕事」
――神奈川衛生学園専門学校 附帯教育長 朝日山一男さん
マラソン選手として競技生活を長らく経験した朝日山一男さんは、その後、陸上選手のコーチを経て鍼灸マッサージの道に入り、鍼灸師をめざす学生たちを教えながら、スポーツトレーナーとして選手たちのサポートを続けて既に 20 年。朝日山さんに、鍼灸師とスポーツトレーナーの仕事の可能性について、お話を伺いました。
選手自身がコンディショニングの意識を高められるよう指導
大きな大会だけでなく、地域の高校の運動部で日常的なコンディショニングのサポートも行っている朝日山さん。
「スポーツ選手にとって、障害予防のために小さな体調の変化を見逃さずにケアするコンディショニングが、今後ますます重視されると思いますよ。選手たちの記録の挑戦に貢献したいですが、大切なことは、選手自身の自己ケアへの理解です」
朝日山さんによれば、意識の高い選手は、自分自身の身体の小さな変化に敏感で、体調を整えるために日々、努力を継続しているのだそうです。
「日々の努力が結局は結果につながって記録も伸びてきます。選手自身がストレッチングやアイシングなどで体調を管理し、鍼灸マッサージで足りない部分を補ってあげることで効果を高めるなど、組み合わせを指導するようにしています。自分では何もしないのに鍼灸マッサージで治療すれば万全だと思っている選手もいます。そうではないこと、コンディショニングには自分自身の意識が大切なことに気づいてもらうことが課題です」
介護予防など鍼灸師がトレーナーとして貢献できる場は拡大
朝日山さんは、現在、学校での指導やスポーツトレーナーとしての活動、自宅治療院での治療に加
えて、高齢者の運動指導や介護予防などをテーマにした講演を全国各地で行っています。介護予防
では、福岡大学スポーツ医学専攻の向野義人教授が考案した経絡テスト(M-Test)を活用しています。
動きで異常を判断する経絡テストによって、その人に合った障害予防をはじめとする健康管理のため
のストレッチと動きづくりを教えています。各地での講演の折に時間を作り、周辺を訪ねる旅が貴重な
楽しみになっているそうです。そうして日本全国の小さな町を訪ねるうちに、日本のよさを再発見し、同
時に、故郷や住んでいる町の活性化ということを考えるようになったそうです。
「地域の活性化に貢献したい、と考えるとき、鍼灸マッサージ師はスポーツトレーナーとして大きな役割を担えると思います。地元の学校の運動部でのトレーナー活動や企業での従業員の体調管理サポート、高齢者が寝たきりにならないための運動指導など、鍼灸マッサージ師だからこそできる仕事の場は広がっているのです」
体が一つでは足りないのでは、と思うほど忙しく活動されている朝日山さんに、鍼灸マッサージ師、スポーツトレーナーが、いかに社会と幅広くつながる仕事であるかを教えられました。
朝日山 一男 (あさひやま かずお)
陸上選手(マラソン)として活躍し芝浦製作所勤務の後、慶應義塾大学を経てトレーナーを志し神奈川衛生学園専門学校に入学。東京医療専門学校教員養成科を卒業後、現在まで若手鍼灸師、トレーナーの育成に従事。国体や国際大会、地域大会のトレーナー活動を始め、スポーツ鍼灸セラピーの講演など幅広く活動。著書に「競技力向上と障害予防に役立つ経絡ストレッチと動きづくり」(共著/大修館書店)、DVD「鍼灸マッサージ師による早わかり介護予防」(共作/医道の日本社)
●有森裕子さん、「私と鍼灸マッサージ」をテーマに講演
(社)東洋療法学校協会 第 30 回学術大会 講演より抄録
10 月 9 日(木)、東京都・文京シビックホールにて
1992 年のバルセロナオリンピック 女子マラソンで銀メダル、1996 年のアトランタでは銅メダルという、日本の女子陸上で 64 年ぶりの快挙を成し遂げ、2007 年 2 月に初開催された東京マラソンで現役を引退した有森さん。その競技人生において鍼灸とはとても深い関わりがあったそうです。去る 10 月 9 日、社団法人東洋療法学校協会 第 30 回学術大会で行われた「私と鍼灸マッサージ」と題する講演では、鍼灸との関わりや思いとあわせて、有森さんの軌跡のなかでの裏話なども伺うことができました。若い人たちに檄を飛ば
してくださる場面もあり、未来の鍼灸師たちへの期待を込めた有森氏の熱く温かい言葉が会場に響き渡りました。
競技人生の殆どで鍼灸との関わり
有森さんが東洋医学に出合ったのは日本体育大学時代。
「大学でスポーツトレーナーを育成するプログラムが立ち上がりました。生まれつき両足股関節脱臼で、高校の頃から身体のコンディショニングを気にかけていた私は、トレーナーという職業にも興味を持ちました。鍼灸と出合ったのもこの頃です。当時の私にとって鍼治療は“最後の神頼み”的なものでした。頻繁に通えるほど経済的余裕はなかっただけに、治療に求める期待はとても大きかったのです。通っていた白石宏先生の治療院に漂う雰囲気が心地よく、鍼治療で心身共に磨かれていくような気持ちになることができました。振り返ってみれば、私の競技人生の殆どに鍼灸は関わってくれていたことになります」
逆境をチャンスに変えて走り続けたアスリート時代
大学時代、アスリートとしての可能性や身体の故障に悩んでいた有森さんは、一度はトレーナーへの道に傾きかけますが、このとき 「走れるなら走りなさい。走れるのは今しかない」という先輩たちの言葉が、有森さんの迷いを吹っ切ることになります。先輩たちの言葉に後押しされた有森さんは、その後、様々な逆境をチャンスに変えて、まさに走り続けてきました。 大学 4 年生の夏、進路として選んだのは実業団で走ること。入社した企業は贈賄事件直後のリクルート。
「事件直後のリクルートは入社を希望する学生が少なく、陸上部も立ち上がったばかりで部員は 5 名のみ。これはチャンスだと思いました。目立った記録を持たない私には実業団の門は狭く、皆が行きたがらない企業であれば、入れる枠があるだろうと見込んだのです。やる気は他の人の倍ありましたから、その熱意を小出監督が買ってくれました」 銀メダルを獲得した 1992 年のバルセロナ五輪では、直前にコンタクトレンズを失くして大慌て。「バルセロナ五輪のとき、実は足の裏が痛くて、不安で仕方なかったのですが、直前にコンタクトレンズを失くしてしまい、意外にもこれが功を奏してくれたようです。『これから走るのにどうしよう!?』と思って慌てたせいか、痛みがすっかり消えてしまったのです」
学生たちへのメッセージ
その1.めざした道へのこだわりを持ち、まずは“ライスワーク”を
講演会には東洋療法学校協会加盟校から、スポーツ鍼灸に興味を持つ学生も多数参加していました。若い人たちへのメッセージを、と主催者が促すと、有森さんは熱く語ってくださいました。
「社会人になったばかりで『この仕事は私のライフワークに合わない』などと言って、すぐに諦めてしまう人がいるけれど、そういう人に合う仕事なんてありません。自分に合わせてくれる社会なんてないと思ってください。私は、ライフワークより“ライスワーク”が大切だと思います。つまり食べるためのお金を得ることが最初。そのためには、自分から合わせるのです。一生懸命合わせて働いて、何とか形になってきて、自分の思うことができるようになって初めてライフワークが成り立っていくのです」
その2.アスリートの真剣さに対峙するスポーツトレーナーは素晴らしい仕事
「スポーツトレーナーをめざす皆さんは、素晴らしい技術を身につけようとしています。けれども、技術だけでは勿論ダメです。中途半端な気持ちで選手に触れれば、その人の甘さを選手は見破ります。選手の身体に直接触れることは、とても責任が大きいことです。なぜなら、選手は日々命がけで闘っていて『今治らないと明日はない』という、とてつもなく真剣な思いで皆さんの前に現れるからです。真剣な選手の身体に触れるというのは、とても重いことですが、それはとても幸福な重さです。真剣な選手との出会いをチャンスだと思って、チャンスを自らの手でつかんで夢を実現してください」
有森 裕子(ありもり ゆうこ)
1966年岡山県生まれ。就実高校、日本体育大学を卒業して、(株)リクルート入社。バルセロナオリンピック 女子マラソンでは銀メダル、アトランタオリンピックでは銅メダルを獲得。2007年2月18日、日本初の大規模市民マラソン『東京マラソン2007』で、プロマラソンランナーを引退。1998年NPO「ハート・オブ・ゴールド」設立、代表就任。2002年4月アスリートのマネジメント会社「ライツ」設立、取締役就任。現在、国際陸連(IAAF)女性委員、日本陸連理事、国連人口基金親善大使、他。米国コロラド州ボルダー在住。
2. 医大が注力する鍼灸授業
幅広い視野で患者を診る医師の育成が狙い……埼玉医大の試み
「統合医療」への動きが盛んになってきている現在、東洋医学に対する患者の需要も増え、医師が漢方薬を使用する頻度も増加しています。このような背景から、大学の医学部で東洋医学の科目が組み込まれるようになりました。その中でも、埼玉医科大学(以下、埼玉医大)は、臨床の幅を広げるという目的で早くから東洋医学を授業に取り入れ、漢方とともに東洋医学における車の両輪といわれる鍼灸治療の講義を、積極的に行っている大学の一つです。
全 9 回から成る東洋医学のカリキュラムのうち 2 回が鍼灸を主テーマとし、同大学病院の鍼灸師が授業を行います。1 回は「鍼灸総論」で、東洋医学の歴史や鍼灸治療の基本である経絡(ツボの道筋)と経穴(ツボ)を解説し、全人的医療である鍼灸治療の特質を知る授業。もうひとつの授業は「鍼灸各論」で、鍼を用いて経絡(経穴)に刺激を与える鍼療法と、もぐさを用いて経絡(経穴)に刺激を与える灸療法の治療方法について解説を行い、講義だけにとどまらず、学生が二人一組になってお互いに鍼を試す実習の時間も組み込まれています。
埼玉医大では、この他にも 5 年生を対象に、BSL(ベット・サイド・ラーニング=臨床学習)の一環として、『埼玉医科大学かわごえクリニック』で鍼治療の現場を見学させたり、実際に鍼治療を体験させたりという授業も行うなど、学生が鍼灸治療に多く触れる機会を提供しています。このように、学生たちが若いときに鍼灸を始めとする東洋医学に触れることで、将来、西洋或いは東洋というように医療の枠を限定せず、患者にとってベストな治療法を幅広い視野でコーディネートできる医師となってほしい、と期待しています。
埼玉医科大学病院では、1984 年から東洋医学の診療を行っています。今でこそ東洋医学に対する期待が高まっていますが、西洋医学が中心の大学病院に東洋医学を取り入れることは当時としては画期的でした。
同大学病院では、東洋医学の医療者と西洋医学の医師が一人の患者を同じカルテのもとで治療にあたります。患者にとって満足のいく治療を行うには、東西の両者がうまく連携して現代医療を行うことが必要だと考えているからです。現在、同大学病院では患者の 6~8%が鍼治療を受療し、その半数は院内の専門医の紹介によるもので、顔面神経麻痺、緊張型頭痛、リウマチ、膠原病など、難病といわれ、痛みを伴う症状の方が多いそうです。「院内の西洋医学の専門医に、鍼灸への認識が着実に高まってきていると実感しています。これからも院内の辛い症状を持つ患者に、東洋医学という方法で治療の手伝いをしていきたいです」と同大学病院内で鍼治療にあたる山口先生は言います。
また、山口先生は、患者に少しでもよい医療を提供するための『病鍼連携』を提唱しています。「西洋医学の世界では、病院と地域のドクターとの連携システムを『病診連携』と呼んで積極的に行っています。これにならって、鍼灸院で治療を受けている患者に検査が必要になった際は大学病院や総合病院に、逆に鍼灸治療が有効とみられる患者は鍼灸院にと、大学病院や総合病院、地域で開業している鍼灸院が連携していくことが必要だと考えているからです」
*鍼灸を授業のカリキュラムに積極的に導入している医科大学及び医学部(例)
京都府立医科大学
慶應義塾大学 医学部
昭和大学 医学部
聖マリアンナ医科大学
東海大学
東北大学
徳島大学 等 21 大学
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